べそかきアルルカンの詩的日常“手のひらの物語”

過ぎゆく日々の中で、ふと心に浮かんだよしなしごとを、
詩や小さな物語にかえて残したいと思います。

退屈な一日、ラジオから流れてくるのは

2022年07月02日 21時14分39秒 | 叙情



あぁ、なんてこと。ふと気づけばもうこんな
時間。すでに日が暮れかけている。なにもし
ないまま、また一日が終わろうとしています。
きょうやったことといえば、朝起きて熱いシ
ャワーを浴びて、目覚ましに苦い珈琲を一杯
飲んで、ラジオをつけて。
そのときラジオから流れてきたのは〝夜の女
王のアリア〟でした。まだ朝のはやい時間だ
というのにです。
その歌がオペラ〝魔笛〟の中で歌われている
ものだってことくらいは知っていたけど、自
分にはとても真似はできないな、などと感心
しつつ、窓をあけてしばらくぼんやり空をな
がめていたら、この空はきみの住む町につな
がっているのだという事実が、ふいに胸の奥
からわきあがってきたのです。ぼくはいつだ
ってきみのことを想ってる。きみは信じない
と思うけど、いつだってぼくはまだ、きみの
ことを想っているのです。たとえばいまこの
瞬間、きみはどこでなにをしているのだろう
かみたいな、他愛のないことだけれど。

とにかく朝から部屋に閉じこもっていると空
腹をおぼえることもなく、午後のひととき二
杯目の珈琲を口にしながら、本棚から適当に
ぬきだした画集をなんとはなしに眺めて過ご
しました。そのとき手にしていたのはエコー
ル・ド・パリの画家たちの作品を集めたもの
でした。モディリアーニの描いた退廃、ユト
リロの虚無、パスキンの憂鬱、シャガールの
幻想、フジタの乳白色、ローランサンのやわ
らかな色合い、キスリングの色彩のコントラ
スト。ラジオではセルジュ・ゲンスブールが
つぶやくように歌っていました。

そういえばきみはいつか、ジャン・フランソ
ワ・ミレーが好きだといっていましたね。お
ぼえていますか。学生街のカフェの壁に掛け
てあった〝羊飼いの少女〟が印刷されたポス
ターを観ながらそういったのです。あのとき
ぼくは、ぼくも好きだとこたえたはずです。
〝晩鐘〟などは好きな絵のひとつでしたから。
でも、ほんとうに伝えたかったのはそんなこ
とではなくて、きみが好きだということ。世
界中のだれよりも。もちろん、そのようなこ
とはおくびにも出しませんでしたが。きみは
きっと気づかずにいたでしょう。それとも素
知らぬふりをしてくれていたのですか。
そんなことを考えながら三杯目の珈琲をカッ
プに注いでいたとき、ラジオから聴こえてき
たのは、チェット・ベイカーが寂しげに歌う
〝マイ・ファニー・ヴァレンタイン〟でした。
きょうのような気怠い退屈な午後には、ちょ
うどふさわしい曲ですね。四杯目、五杯目の
珈琲を飲むうちに、あぁ、なんてこと。もう
日が暮れはじめました。

今夜も手紙を書きます。青い便箋に黒のイン
クで。
この便箋の青はアンダルシアの空の色を模し
たものだそうです。ぼくはスペインに行った
ことがないので、実際のところはわかりませ
ん。けれど、とてもきれいな青色です。手紙
を書き終えたらいつものように封筒に入れて、
机のひきだしに仕舞います。宛名を記すこと
も、切手を貼ることも、ましてやポストに投
函するなんてことはありません。
そうやって書き溜めた手紙が何通あるでしょ
う。ぜんぶきみ宛の手紙です。けっして読ま
れることのない手紙。
いつかまとめて火にくべます。アンダルシア
の空色の青い炎が、きっときれいに灯るでし
ょう。
ラジオからヘンリー・マンシーニの曲が流れ
てきました。十代のころ観た映画を思い出し
ます。そうだミルクを温めましょう。手紙を
書くのはそれからです。
朝がおとずれるまで時間はまだ、たっぷりあ
るのですから。






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