あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

熱戦が続いてますが、代表のこと中田引退のことについて考えてみた

2006-07-05 12:32:29 | サッカー
 イタリアがドイツを破り(守備の差が出たかな。それとビエリ頼みだった’02のチームより攻撃のタレントが多く攻め手が増えたのが強みか。そのあまりの抜け目無さが私の好みではないのだが。)あとはポルトガルかフランスかといったところで、国内的には、オシムジャパンと中田引退の話題でもちきりで、ドイツでの日本戦はもう話題にすら上らなくなっていますが、中田の引退とからめて、今回の代表について、もう少しだけ考えてみたい。

 中田の現役引退のニュースや本人のメールなどもざっと読んだりして、周囲にあのメールにぐっと来たという知人などもいて、報道などでも、彼のファンである若い人がかなりたくさんいることにも今さらながらに驚いたりしていますが、私もジョホールバルのプレーを観てファンになり、中田がいるから代表チームを応援するとずっと思ってきた時期もあったのですが、最近は、中田の限界を感じることのほうが多くて、ブラジル戦後のあの様子にも、引退宣言のメールにも共感し切れない自分がいました。センターサークルで寝転がってしまった彼には、現在の代表での彼の状況が現れていたようでした。悔しさの表現では、グループリーグで敗れたチェコのネドべド選手が、試合後、一瞬見せた、うつむいてがくっと膝を折った姿に心を打たれたのですが、ネドべド選手には、確か対戦相手のイタリアの選手がよくやったというように声をかけていましたが、中田に声をかける選手は宮本以外はなく、延々と動けなかった中田には、そこまで頑張ったから、というよりも、やはり最後まで孤立していた彼のチームでの状況を感じてしまいました。
 確か、’02の頃、トルシエは「中田がいないチームのほうがチームが機能すると考えていた」、また「中田は技術的にはあまりうまくない。戦術も守らない。でも、フィジカル的には結構いい」と冷静に見ていたようです。(フローラン・ダバディー「黄金時代」より)最終予選での中田の様子や今大会での彼のプレーを観ると、このトルシエの中田評は確かだったと思います。だから、彼は中田を特別扱いせずに、時には中田が代表している勢力と対立することによっても、その対立による緊張感も利用して、チームをまとめていったと今は思います。それに比べて、ジーコは最後まで、中田を特別扱いし、全面的にジーコジャパンの中心選手として据え続けた。ジーコジャパンは中田ジャパンだったし、守備に関しては宮本ジャパンだったと思う。だから、あのチームの限界は、このふたりの限界だったと思う。
 
 中田が一番輝いていたのは、Jリーグのベルマーレでプレーしていた頃だと思う。あのチームは、中田を中心に据えた、中田のためのチームだった。イタリアに行ってからも、ベルマーレでのプレー以上の輝きとパスの切れを彼が見せたとは思えない。イタリアのそれも弱小チームのサッカーはパスサッカーではなかったし、徹底的に中田に合わせてチームを作ってくれるチームなどは無いからだ。そして、それは代表チームでも言えることで、テクニック的には中田よりもテクニックがある選手がいる代表チームでは、中田はもうプレーにおいて特に攻撃では王様でいるわけにはいかないという微妙な位置にいながらも、ジーコからは、絶対的な信頼を得て、チームのリーダーとしての役割を求められていた。現在の実力と代表で与えられている位置づけとの乖離がチーム内に何らかの不満となってマイナスに作用したことは大いに考えられる。プレー的には、彼がボランチとして守備的役割を受け持っている時は、中田はチームにとって必要不可欠な存在だったと思う。でも、彼が(本来彼が最もやりたかった攻撃的なポジション)トップ下に上がるとどうだっただろうか。彼は、攻撃において、以前のような脅威を相手に感じさせるような存在感を示すことができなくなっていた。何よりも攻撃が好きな彼が、今大会で感じた、自分のやりたいプレーと現在の自分のプレーとのギャップが、今回の引退発表の一番の理由ではないだろうか。
 
 私は、サッカー選手以外の彼には、たぶん興味がないだろうと思う。私が好きだったのは、ベルマーレや代表やペルージャでのプレーで、ブランドとしてのナカタや、彼のファッションやライフスタイルにはまったく興味がない。若いころには魅力的だったあの独特の人間性も、これから先は彼自身が未熟な側面として、乗り越えなければならなくなる場面に直面すると思う。そして、彼は日本のサッカー界では一時代を創った偉大な選手だったと思うけれど、世界基準で言えばトップの選手ではなかった。この世界と日本での評価の差が、そのまま日本のサッカー界の問題点でもある。(オシム監督も指摘していますが。)
 オシム監督も中田の引退を残念がっているようですが、(ペルージャ、ボローニャなどの監督として中田のイタリアにおける最大の理解者で、バッジオの在籍したブレシアの監督でもあった)マッツォーネ監督が、中田の引退を聞いて、早過ぎると残念がったようです。マッツォーネ監督のもとでは、彼が生き生きと活躍していたことを思うと、もう少し、チームと監督に恵まれていたならばなあとも思わずにはいられない。それも彼自身が選んだ道だったのかもしれませんが、もっとやれたはずというのはJリーグ時代からのファンは思っているのではないでしょうか。ただ、日本における彼は協会の人さえも批判しない存在になってしまっているので、自分の現状を把握するのに、自分以外に鏡が無い状態(きちんと批判するマスコミが無い状態)で、成長するのは難しかったと思う。これは、他の日本のスター選手たちにも当てはまることであるが。例えば、Wカップの予選では殆ど活躍やゴール出来なかったにもかかわらず特に批判もされずエースストライカーとして代表入りした高原については、皆どう思っているのでしょうか?セリエAでずっとノーゴールだった柳沢がクロアチア戦ではずしたからといって今頃戦犯みたいに騒ぎ出すのもねえ・・・。
 
 そして、あのオーストラリア戦の3失点というところに帰って来るのですが、ベンゲルは、あのオーストラリア戦の10分間が無ければ日本は予選を突破していたと言っていたし、トルシエもクロアチア戦の日本の試合は世界に誇っていいと評価していました。だから、クロアチア戦でもし柳沢がゴールして1-0で勝っていたとして、1勝1敗1分でオーストラリアと並んでいたとしても、オーストラリアとの得失点差でトーナメントを逃していた可能性は強い。だから、柳沢がゴールできなかったことよりも、オーストラリア戦で3失点したほうが問題なのだ。そして、ブラジル戦の後半もだが、あの守備の崩れ方は攻撃以上に問題で、守備に関しては、選手選考も含めて大いに反省しなければいけないと思う。オーストラリア戦の3失点は柳沢がアウトになってからということを考えると、前線の柳沢は効いていたとも思う。
 そう言えば、Wカップ前に、中田がFWの選手について聞かれて、高原、柳沢、大黒はやりやすいタイプだと言っていたと思うが、三人とも結果を出せなかった(ゴールしたのは玉田だけ)。この点から見ても、中田中心のチーム作り、中田の好む選手選考にジーコが偏ってしまったことも、結果的には失敗だったと思う。選手の選考や起用に選手が影響力を持つことのマイナス面も出ていたと思う。
 ブラジル戦の後半、高原退場したあとのピッチ上の選手たちのやる気の無さ、ベンチの選手たちの諦めきった弛緩したような表情は見るに耐えなっかた。何かが足りないチームだった。メンタル的な問題からチーム全体にマイナスのオーラが漂っていたような気さえする。そして、それは中田ひとりの責任ではないが、中田にも確かに責任はあったと思う。
 ただ、トルシエやベンゲルような客観的な意見を聞くと、ジーコジャパンまるでだめだったと切って捨てるのは、あまりにも拙速なやり方だと思う。客観的に、評価するところは評価し、ダメだったところをちゃんと分析しないと、また四年後に同じ事が繰り返される予感がする。徹底的に日本を分析し、日本の良さを消すプレーをしてきたオーストラリアに日本は負けるべくして負けた。でも、その試合のラスト10分くらいまでは日本は試合をコントロールしていたのだから、あのチームが何も無かったわけではないのだ。