葉牡丹の葉っぱの真ん中からピューっと威勢よく丈夫な茎が伸びて、菜の花と同じアブラナ科の黄色い花を咲かせている。土手などに咲いている同じアブラナ科の菜の花もだが、その花から受けるイメージの可憐さ、可愛さに比べて、その性質の図太いほどの強健さに、野生の持つ魅力を感じる。それは、お嬢様育ちのように手がかかるチューリップとは対照的だ。(チューリップでも原種系はやはり野性が残っている気がしますが。)その野の花の持つ野生の魅力に魅かれる。
以前、菜の花の種を貰って、プランターに蒔いたことがある。にょきにょきと太い茎が生えてきて、すくすくと育って花をつけた。その菜の花の植わったプランターだけ、まるで野原のような野生の臭いを周囲に撒き散らしていて、その野生に感動して、それ以来、菜の花が好きになった。
植物でも人間でも、そういう野生の部分を残しておくこと、あるいは、そういう野生と時々触れ合うことは、だいじなことではないかなと思う。大自然の中へ行くのはなかなか大変だけど、身近にある小さな野生を見つけて接することはできると思うし、人工に偏りがちな私たちにとって意外に重要なことではないかと思うこの頃。
以前、菜の花の種を貰って、プランターに蒔いたことがある。にょきにょきと太い茎が生えてきて、すくすくと育って花をつけた。その菜の花の植わったプランターだけ、まるで野原のような野生の臭いを周囲に撒き散らしていて、その野生に感動して、それ以来、菜の花が好きになった。
植物でも人間でも、そういう野生の部分を残しておくこと、あるいは、そういう野生と時々触れ合うことは、だいじなことではないかなと思う。大自然の中へ行くのはなかなか大変だけど、身近にある小さな野生を見つけて接することはできると思うし、人工に偏りがちな私たちにとって意外に重要なことではないかと思うこの頃。