あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

つづき( 日韓後 のあれこれ)

2007-09-11 21:54:51 | サッカー
今回、日韓後のことを、いろいろと思い出してみた。

 日韓Wカップが終わって、日本は、グループリーグ突破というノルマを達成したにも拘わらず、ヒディンクの韓国がベスト4まで行ったため、トゥルシエに対する評価は、よくやったというより、もっとやれたはずという批判的な意見のほうが大きかったと思う。

 そんな一般の声に呼応するように、しばらくしてNumberでの川淵会長と現都知事との対談で、トゥルシエの日本選手に対する態度が差別的管理主義的だとして批判されたりしていた。

 Wカップが終わってすぐのころ、中田のことを、やたらヨイショして持ち上げる特番が放送された。Wカップでの勝利はすべて中田の手柄だと誘導するような番組作りには、当時でさえかなりの違和感を感じた。そして監督との確執なども、中田側からの一方的な感想が語られることによって、一種のトゥルシエ批判になっていたと思う。

 Wカップ後、高原が、Jリーグで大活躍して、ドイツのエースを約束されたようにメディアで持ち上げられていた。(Wカップが終わってからというのが、今回と同じですね。そしてその後の予選ではダメダメだったのですが。)

 アテネオリンピックで、山本昌邦監督が、オーバーエイジ枠に、(前回オリンピックや日韓大会に怪我や病気で出場できなかった)高原と小野を選ぶが、高原はエコノミー症候群が再発して辞退。アテネオリンピックは、おもに守備の崩壊(オーバーエイジ枠によるバランスの崩れ?)によってグループリーグ敗退した。(まるで、この大会はドイツでおきることを予言していたようでした。)

 トゥルシエへの多分に感情的なものも含めた反発、反動から出発した(やたらと自由、自由と強調されていた)ジーコジャパンは、その出発点、(トゥルシエジャパンの功罪を充分に検証をせずに始まったそのスタートが)、まちがっていたと言える。トゥルシエジャパンで何故稲本が守備を気にせず伸び伸びと攻撃に参加できたのか、高さとパワー不足対策として効果があったこと、いまひとつだったこと、などについて(Wカップ後に「フィジカルの弱さ」などと会見するのでなくて)そのスタート時にしっかり検証するべきだったと思います。それなのに、反動や怨念から出発してしまった。(この項続く。たぶん・・・) 

 ※gooに新記事少年がいる (映画「バッテリー」より)アップしました。