あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

つれづれ日記(「散るぞ悲しき」追記、石橋湛山他)

2007-07-09 16:43:26 | 
 いろいろ書きたいことはあるんですが、じっくり書く時間が無いのと、湿度の高い暑さのせいで、夜更かしが辛いというのもあります。(ココログにフランスのアニメ「王と鳥」について少しだけ書きました。よかったら訪問してみてください。)

 それと、前記事で紹介した「散るぞ悲しき」という本を読み返して、ずっといろいろと考えたりしていたりもしていて、少しそのことで追記したいこともあったのです。私が映画「硫黄島からの手紙」「散るぞ悲しき」という本から浮び上がって来る、軍人栗林忠道像の何に感銘を受けたのか、ということをずっと考えていたのです。硫黄島での、軍人としての彼の思考やその戦闘は、現在の平和な日本に暮らす私たちの感覚からは、かけ離れた部分があります。そして、これらの作品はとり方によっては、他の戦記物同様、ヒロイズムに酔いたいひとたちに、都合よく解釈される危険性もあると思います。それでも私は、これらの作品に描かれた栗林という人物に惹きつけられるものが多々ありました。それは、家族にやさしい手紙を書き送った、ほとんど理想的な家庭人、父親としての姿の部分が、そのひとつですが、それと同時に、関係者へのていねいな取材や証言を通して描かれた、軍人としての彼の行動や思考から現れる、徹底した”現実主義者”としての彼の姿にも感銘を受けたのです。アメリカ留学の経験があった栗林は、現実主義者として、最後までアメリカとの開戦に反対していたそうです。でも硫黄島に赴任してからは、軍人として、自らの経験と知力のすべてを投入して戦いました。その戦いぶりから、現在においても、米軍人の間では”General KURIBAYASHI”の評価は非常に高いそうです。そして、その高評価は、彼の徹底した現実主義(緻密に現実を観察して分析し、最も有効な対策を考える)から来ていると思うのです。その彼が、自らの死を覚悟した最後の総攻撃の前に(その先頭に立って闘うことが、若い兵士たちに死ぬしかない過酷な戦いを強いた指揮官としての彼の責任の取り方だった)発した決別電報の本文や辞世において、言わずにはおれなかった言葉、そのぎりぎりの軍中枢部批判―前線の現実をよく知りもせず、机上で楽観的な大局ばかりを語った彼らの方針が、いかに現場の兵士たちを苦しめたかを―に籠められたその思いを知ることは、意味のあることだと思うのです。右とか左とかに関係なく、戦争の現実とその虚しさを知るために。彼が残した最後の言葉は、その戦場の悲惨な現実をわれわれに伝えたいという強い意志と思いが籠められて発せられたものだったのです。その強い思いに60年という歳月を越えて答えたのが、映画「硫黄島からの手紙」であり、「散るぞ悲しき」という著作だったのです。


 (※追記:「美しい国」と言いながらうっとりすることは、現実を見ずに、現実から遊離してしまっていることそのものではないだろうか。)
 

 最後に、先日、NHKで放映された、石橋湛山が特集された「その時歴史は動いた」という番組もなかなかよかったのですが、これについては天木さんのブログで紹介されていますので、そちらを訪問してみてください。