デキタン ドシタン

赤松の吹筒花火のはやし言葉です。こんな調子で日和佐(美波町)の出来事やマイライフを公開します。

養蚕

2021-06-29 | 日和佐

先日の養蚕について調べると、戦前までは農家地域ではほとんどが桑畑をもち蚕を飼育しており、大正期が最盛期であったようです。

戦後生まれの私はそんな話は全く知りませんでした。

明治末期から昭和初期にかけて徳島県の経済界は蚕業に頼るところが大きかったとのことで、西日本では養蚕王国を形成していたようです。

このことから日和佐地区や赤松でもその一端を担っていたのでしょう・・!

goo 養蚕 に対する画像結果

☟ これは自宅前の道路に落ちていたものです。(蚕は自然界では育たない?)

違う蛾の繭なのでしょうね?

 

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お早うございます。 (ちごゆり嘉子)
2021-06-29 08:18:59
私の短い県庁勤務は農政でしたから、養蚕に関わってました。
懐かしい思い出です。
結婚により貸借しました。
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養蚕 (michiyo)
2021-06-29 08:36:56
また地域の歴史を紐解いて・・・新しく記録が書けますね。
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おはようございます (夢見る)
2021-06-29 09:21:46
徳島の藍はよく知られていますが、赤松も養蚕?
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蚕で回顧 (デキタン)
2021-06-29 09:33:28
ちごゆり様

おはようございます。
県庁の農政努めだったとは驚きです・・!
姉の嫁ぎ先のお父様も養蚕関係の仕事をしていました。
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産業 (デキタン)
2021-06-29 09:36:50
michiyo様

徳島県は阿波藍に変わる重要産業として全国から注目を集めていたようです。
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養蚕が盛んだった時代 (デキタン)
2021-06-29 09:42:43
夢見る様

蚕は藍に代わり、藍は蚕より強し・・?
聞いてみると赤松も農家は蚕を飼っていて、絹糸を紡ぎ染色までして、織っていたようです!
在所にも紺屋というところがあったらしいので、おそらく染める仕事をしていたのではと思われます。
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