先日の養蚕について調べると、戦前までは農家地域ではほとんどが桑畑をもち蚕を飼育しており、大正期が最盛期であったようです。
戦後生まれの私はそんな話は全く知りませんでした。
明治末期から昭和初期にかけて徳島県の経済界は蚕業に頼るところが大きかったとのことで、西日本では養蚕王国を形成していたようです。
このことから日和佐地区や赤松でもその一端を担っていたのでしょう・・!
☟ これは自宅前の道路に落ちていたものです。(蚕は自然界では育たない?)
違う蛾の繭なのでしょうね?
先日の養蚕について調べると、戦前までは農家地域ではほとんどが桑畑をもち蚕を飼育しており、大正期が最盛期であったようです。
戦後生まれの私はそんな話は全く知りませんでした。
明治末期から昭和初期にかけて徳島県の経済界は蚕業に頼るところが大きかったとのことで、西日本では養蚕王国を形成していたようです。
このことから日和佐地区や赤松でもその一端を担っていたのでしょう・・!
☟ これは自宅前の道路に落ちていたものです。(蚕は自然界では育たない?)
違う蛾の繭なのでしょうね?
懐かしい思い出です。
結婚により貸借しました。
おはようございます。
県庁の農政努めだったとは驚きです・・!
姉の嫁ぎ先のお父様も養蚕関係の仕事をしていました。
徳島県は阿波藍に変わる重要産業として全国から注目を集めていたようです。
蚕は藍に代わり、藍は蚕より強し・・?
聞いてみると赤松も農家は蚕を飼っていて、絹糸を紡ぎ染色までして、織っていたようです!
在所にも紺屋というところがあったらしいので、おそらく染める仕事をしていたのではと思われます。