フキノトウが自宅周辺の谷際では沢山出ています。
そして、田圃の水溜まりにはオタマジャクシが沢山群れていました。
畑の草抜き作業の合間に気が付きました。
斬新なレザークラフトの作品展示会です。
おそらくは世界でただ一つの作品制作方法なのかも知れません。
きっと素晴らしい作品の数々に驚くことでしょう・・!
是非、ご来場下さい。
<詳しくは今朝の徳島新聞をご覧ください。>
日程:令和5年2月7日~3月31日まで
月曜日・祝日は休館です。
開館時間:火~金(10:00~18:00)、土・日(10:00~17:00)
場所:日和佐図書・資料館2Fギャラリー
場所👆(この辺り)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は旧へんろ道の調査のため後山に登りました。
大岩までは何回も行ってましたが、そこから恵比須浜の田井地区へ抜ける尾根筋は歩いたことが無かったのです。
そこで発見したのが、大岩から少し登ると小岩(私が勝手に付けました)があり、そこから少し行くと井戸のようなものがあるのです。
どうも防空監視哨跡のようなのです、以前には西町側の登り口にスピーカ跡もあったので連動した遺物のように思います。
それは、井戸のような円形でレンガで積まれ、直径は幅2ヒロ、深さは2m程です。
現在は樹木で見通しは悪いのですが、大浜から太平洋に後ろ側には大影山まで広く見渡せる場所です。
行き方は大岩に上がり、そこから整備されていない尾根道(旧へんろ道)を10分程歩くと着きます。
年末から今月上旬にかけて町内の旧へんろ道を歩きましたが、昔の遍路道というのは現在の道路事情からは想像できない山道ばかりでした。
事前資料に基づいて歩いてみましたが、新たな道や石仏類を素人ながら発見できたことは大変うれしかったです。
調べると谷越えルートが何ヶ所もあることに驚きました。
また、石柱などに刻まれたくずし文字の解読に苦慮したのが楽しかったですね。
今日はこれまで調べたことを忘れないように、一冊の資料にまとめてみました。
これらから、次回も新たな発見が出来そう気配がします。
大阪湾の淀川河口に迷い込み死んだクジラのニュースで思い出しました。
それは、以前に日和佐沖で死んだクジラを恵比須浜で見たことを・・
このクジラは、その後室戸方面の沖合に曳航して行って 処理したので・・?
画像を見ると クジラの体内ガスが溜り 膨れ上がっています・・
もし、ここで破裂したなら とんでもない腐敗臭が 漂ったかな・・
ところで、徳島県で海岸に打ち上がった以前の話題も出ていますが、それは阿南市の出来事だったと思います。
今朝の寒さには仕事を少し心配しましたが、遍路道の調査ではヤブ歩きなどあり、一部分は汗かきをしたほどで、無事に仕事を終えました。
こんな感じで探した石仏が数基にて今まであります。
本日も殆どの方が知らない、旧の隠れ へんろ道や石仏の発見がありました。
もしかして、四国遍路が世界遺産に登録なれば我々の発見は・・!?
昨日もスタートまもなく運がある出会いになりました。
JR 牟岐線の木岐駅から旧へんろ道の調査開始で、まもなくお腹具合が悪くなりましたが、運よく白浜海岸の手前に最新のトイレが設置されているのを見つけ、救われました。
そこにはお遍路さんのお札やメモ書きがあり、名古屋からの方が3日に書かれたコメントが記されていました。
その後も運あるのか直ぐ近くで隠れた石仏発見ができました。
附記:14日(水) 万歩計(約16,000歩) 山座峠、後山の二カ所
昨日から依頼されたへんろ道の調査が始まりましたが多くの発見がありました。
歩いた歩数は16,000歩越えにもなります。
日和佐北河内地域を先ず歩いてみることになり、未開の道の探索にて へんろ墓4基を新たに発見できました。
見た感じから、この場所は誰も調査発見されていないようです。
墓石は山土や落ち葉に埋もれていて、放置された状態ですし、場所的にも発見は難しいように思いました。
この本の著者は播田安弘(美波町出身)さんです。
今回は(弐)を読んでいますが、初版も読み結構 興味のわく本です。
邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 内容であります。
「翡翠(ひすい)」や「大和」にも触れていて楽しめます。
ところで、地元赤松出身の青木弘亘さんも、日本人捕虜第1号の酒巻氏のことを書いたりと、日和佐には立派な人物を輩出する素地があるのかも分かりません。
明日は三日目で、最終日の新仏(新過去帳・令和4年)さんの供養となります。
場所は由岐の志和岐の荘厳寺にて、8時から読み上げで円通寺(赤松)は二番目となります。
私も母親の供養のため雨が降ろうとも行く予定です。
これは、町内の真言宗十一ヶ寺の持ち回りで行う、今や投げ銭供養として全国に知れ渡っている行事です。