まるみのあっちこっち巡り

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GW「ノルウェージャン ジュエル」南国の楽園夏色クルーズ 基隆港出港

2018-11-08 00:25:48 | 2018GWノルウェージャンジュエル 南の島クルーズ



今回のクルーズの最後の寄港地である基隆港の
最終乗船時間は、午後5時半でした。







体調が良くなかったこともあり、
精力的な行動をとれず、早めにキャビンに戻り、
横になって映画を楽しんでいました。







キャビンから見る基隆の街は、どんよりした天候のため、
何とも物悲しい雰囲気を醸し出すかのようでした。







基隆港東岸から船は静かに出港しました。







午後6時にはレストランの前で待ち合わせて
船友さんたちとディナーを楽しむ時間でもあるのですが、
今回は急遽キャンセルして、
離れ行く基隆の街を堪能することにしました。







少しずつライトアップされていく基隆の街。







朝の入港シーンは、少しずつ基隆の街に近づいて行く様子を
見ていたので良かったのですが、
出港シーンは、切ない気分になっていくのでした。







映画「悲情城市」や「KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園」など
日本と台湾との深い繋がりのある映画のシーンが蘇り、
目が曇り、大粒の涙を流すこととなりました。







映画「KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園」は、
1944年、大日本帝国陸軍の将校達が、南方の戦場へ向かうために
基隆駅から、台湾南部へ向かうところから始まります。







嘉義農林学校野球部の近藤監督(名門松山商業の元監督)は、
1勝もしたことのない弱小チームを甲子園に出場し、
決勝戦にまで進出するチームに成長させました。

彼らは緊張の面持ちで船に乗り、甲子園の地を踏み、
注目を浴びることになり・・・。







甲子園で活躍した彼らは、日本や台湾で野球選手として活躍、
中には太平洋戦争で戦死された方もいらしたようです。
二度と戦争のためにこの港を利用されることのないようにと
ただただ祈るばかりです。







日本が統治していた台湾で、民族の差別をすることなく
技術指導にあたり、広大な烏山頭ダムを完成させ、
不毛の地であった嘉南平野に農業をもたらした八田與一氏。







近藤監督や八田與一氏など誰に対しても公平な態度をとり、
台湾のために尽力し、成果を上げた日本人がいらしたからこそ、
現在の日台関係があることを忘れてはいけないと思います。

台湾・基隆

2018.5.3
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