読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「ダンス界のマーロン・ブランド」と卑下したMGMの万能選手

2007-02-02 11:00:14 | Weblog
「フレッド・アステアがダンス界のケーリー・グラントだとしたら、私はマーロン・ブランドだ」

こう言ったのは、「雨に唄えば」で印象的なダンスを踊ったジーン・ケリーです。
アステア1899年生まれに対し1904グラントは1904年生まれ。一方ケリーに対しブラント1924年もほぼ十歳下。後輩スターたちに自分をなぞらえるのはアメリカ式ジョークなのでしょうか。

ジーン・ケリー(Gene Kelly,1912年8月23日 - 1996年2月2日)は、「アメリカ合衆国ペンシルバニア州生まれの俳優、ダンサー(タップダンス)。ピッツバーグ大学経済学部卒。1938年からブロードウェイでダンサーをしていたが、1941年にMGM入りをし、1942年に映画デビュー」。

「フレッド・アステアと共にMGMの二枚看板として活躍したが、二人の共演は少なく、1946年の『ジーグフェルトフォーリーズ』と、1976年の『ザッツ・エンタテインメント PART2』の2作にとどまる。 その他の作品には『雨に唄えば』、『踊る大紐育』『巴里のアメリカ人』などがある」。

「デビュー作は『フォーミー・アンド・マイ・ギャル』。ジュディ・ガーランドと共演をした。 この後はたくさんのMGMの作品に主演し、ハリウッドの黄金時代を築いた。更に、監督・脚本もこなすマルチな才能も見せ、まさにMGMの万能選手であった」。

「ケリーのダンスは躍動感に溢れ、アクロバティックな中にも緻密に計算された素晴らしさがある。また、スタントマンを使わない事でも有名で、映画が出来上がってから会社が知るといった事も間々あったらしい。アステアの華麗で洗練されたダンスとはまた違った素晴らしさがあり、このタイプの異なる二人がいたからこそ、二枚看板と言われた所以かも知れない」。(ウィキペディア)

タイトルナンバーは、この映画のために書かれたものではなく、この映画の前にも後にも度々MGMの映画で使われ、ジュディ・ガーランド等多くのスター達が歌っているそうですが、1929年の『ハリウッド・レヴュー』の中で、クリフ・エドワードによって初めて歌われたのだそうです。今で言えば、80年代の曲をタイトルにして映画を作るような感じです。

「アーサー・フリードが『巴里のアメリカ人』に次いで製作したテクニカラーのミュージカル(1952年作品)で、製作のフリード、監督ならびに音楽場面振付けのジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン、主題歌『雨に唄えば』に基づいてシナリオを書いたアドルフ・グリーンとベティ・カムデン、音楽監督のレニー・レイトン、撮影監督のハロルド・ロッソンらは、すべて「踊る大紐育」と同じスタッフである」。

このケリーの代表作が「雨に唄えば」。

「歌曲の大部分は作詞が製作者フリード、作曲ネイシオ・H・ブラウンによる。出演者はジーン・ケリーをめぐって新進デビー・レイノルズ、ヴォードヴィル出身のドナルド・オコナー、ジーン・ヘイゲン『アパッチ族の最後』、ミラード・ミッチェル『拳銃王』、シド・チャリシー『闘牛の女王』、ダグラス・フォーリーら」。なんだかタイトルがすごい映画ばかり。

「映画は52年度の全米興行収入10位に入るヒットを記録したものの、当時の批評家は今作をあまり高く評価せず、アカデミー賞の作品賞にもノミネートされなかった。しかし、60年代からのテレビ放映と74年に公開されたM-G-Mミュージカルの集大成『ザッツ・エンターテイメント』のヒットによって映画の再評価が高まり、現在ではミュージカル映画の最高傑作として知られるようになる」。

「脚本が気に入ったジーン・ケリーはすぐに出演を決めるが、彼は既に二度も映画で使用された曲『雨に唄えば』をもう一度使用することに難色を示した上に、唄の出だしに悩むが、共同プロデューサーでボーカル・アレンジャーのロジャー・エデンスが提案した“ドゥディドゥドゥードゥディドゥドゥ”から始めることで問題は解決し、ミュージカル映画史上最も有名なシーンが完成する」。

「M-G-Mミュージカルの立役者アーサー・フリードは、『巴里アメリカ人』(51)の製作中に彼がナシオ・ハーブ・ブラウンとともに作曲した20年代から30年代の歌を使った新しいミュージカル映画の製作を思いつき、『踊る大紐育』(49)で一緒に仕事をしたベティ・コムデンとアドルフ・グリーンに脚本の執筆を依頼する」。

「2人は使用するほとんどの曲が、映画がサイレントからトーキーに移行した頃のものだと分かると、映画のストーリーも曲にあわせて『ジャズ・シンガー』(27)の成功によってトーキーへの移行が始まった1928年頃のハリウッドを舞台に設定」。
「素晴らし哉、クラッシック映画!」(http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/top.html)

この曲は、スタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」でも使われています。

「仲間とともに押し入った住宅で、アレックスは『雨に唄えば』を歌いながら、夫の目の前で妻をレイプする。その後、刑務所に入ったり、犯罪者から暴力性を去勢する新療法の実験台になったりと様々な経験を重ねるが、結局アレックスは元の暴力人間に戻る。仕事と名誉を保証され、ウルトラバイオレンスの妄想に浸るアレックスのラストにもこの歌は再び流れる」。

「レイプのシーンでアレックスが何を歌うかはシナリオには書かれていなかった。リハーサルの際にキューブリックから『自分の好きな歌を歌うように』と指示され、マルコム・マクダウェルが歌詞を全部知っている唯一の歌として歌ってみせたのが『雨に唄えば』だったという」。

「キューブリックはその歌を気に入り、その日のうちにそれを映画で使うための著作権の手続きをとった。明るい朗らかな歌だけに、映画の暴力シーンの陰惨さが強く伝わってくる名選曲である」。(「はじめちゃんのシネマ・スクラップ」(http://www.asahi-net.or.jp/~KZ3T-SZK/index.htm))


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