脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

青き魂を持つ蒼きサムライ

2006年05月15日 | 脚で語るJリーグ


さあ歌えクルヴァ
コンクイスタ ラ ビクトリア
飛び跳ねろスタディオン

 もう15年目になる、筆者がその青き魂の虜になって。開幕から苦節12年、2005年の12月3日・・・初の年間王者として歓喜に咽ぶイレブン、チームスタッフ、サポーターの姿はこれまで見た何よりも感動的で美しく、言葉にならないほどの思いであった。

 筆者は14年間脚サポ(ガンバサポ)一筋、ガンバ、Jを中心にサッカーをこよなく愛する蹴球馬鹿である。この度、ブログという形で、のらりくらり小ネタからサッカーファンとしての持論、ありとあらゆるトピックスなどを鹿の角を煎じて愛飲する某チームサポとのリレー形式でお送りしようと思う。是非、サッカーファンの方は一読頂いて、感想をそこはかとなく書き綴って頂ければと思う。

 湧き起こる歓喜からちょうど5ヶ月。青く澄み渡ったGWの万博の空にいつものようにクルヴァ(ゴール裏)からこだまする冒頭の応援歌が響き渡る。無情にもタイムアップの笛は鳴り、ガンバ大阪のJ1王者としての世界への第一歩はリーグ戦との過密日程の中で、ひっそりとその幕を降ろした。17日にベトナムでのダナン戦を残しているとは言え、これももはや消化試合。別グループで戦う東京ヴェルディも脱落が決まり、クラブチームとして世界行きの切符を手にするJリーグチームを目にするのは今年もまたお預けとなってしまった。
 このACLとは別に、明日のワールドカップの登録メンバー発表を控え、今年のガンバには世界の舞台に挑まんとする蒼きサムライが3名いる。サッカーファンなら誰もがご存知の通り、主将としてサムライブルーを最後方でまとめる宮本恒靖、「散らし」の名手であり、中盤の底でバランサーとして卓越したボール運びを見せる遠藤保仁、そして右サイドで果てしなくアップダウンを繰り返し、日本のチャンスメイクに貢献する不屈のライトサイダー加地亮の3名である。また、チームの出身者としては、ドロドロになりながら貪欲にフランス2部でゴールを狙い続けるグルノーブルの大黒将志と前回のW杯時は2ゴールで世界にその名を轟かせたウエスト・ブロミッジの稲本潤一も我等が青き魂を胸に、蒼きサムライとして今年のメンバー入りが確実視されている。

 現在でこそ、世界を相手に戦うチームとして、そして、世界に挑む選手を擁するガンバ大阪にはかつて4人の蒼きサムライがいた。ガンバ史上最高のユーティリティプレイヤーであり、97年の固定背番号制スタートまでにGKの1番以外の背番号を全て背負ったDF今藤幸治、その甘いマスクと経験に裏打ちされたファインセーブで浪速のゴールに鍵をかけたGK本並健治、天才と謳われ、玄人好みのプレイヤーであったMF礒貝洋光、その礒貝からのパスを幾度となくゴールに沈めたFW山口敏弘である。
 12年前、オフト監督の後を継いだファルカン監督の就任と同じくして開催されたキリンカップ第1戦のオーストラリア戦。J開幕後のガンバにとって初の日本代表スタメンに名を刻んだのが1994年5月22日、右サイドバックとして広島ビッグアーチに立ったDF今藤幸治だった。試合は1-1の引き分けに終わり、その翌週には国立でパパン率いるフランス代表に1-4と完膚なきまでに叩きのめされたその試合にも後半代表デビューを果たしたGK本並と共に今藤はピッチに立った。
 この2試合にスタメンでフル出場を果たした今藤の姿を筆者は12年経った現在でも忘れることができない。ガンバの青き魂が蒼きサムライとして日の丸を背負い、世界に挑むその姿は、当時Jで結果が出ていなかったお荷物チームのファンにとって何とも勇ましく、これからのチームと共に飛躍を期待せずにはいられなかった。

 青き魂を世界にぶつけてくれた今藤は3年前に30歳の若さでこの世を去った。悪性脳腫瘍だった。97年の天皇杯で負った負傷が原因ではあったが、4度の手術を繰り返し、もう一度ピッチに立ちたかったに違いない。サポーターに最後まで愛されたガンバ最初の蒼きサムライは星になった。

 今藤が代表キャップを刻んだあの日から12年が経とうとしている。ガンバは世界に挑戦できる王者になった。主力選手は日本代表を支える欠かせない重要な存在に成長した。本当にガンバの選手には頑張ってもらいたい。空の上から今藤が見守ってくれている。ACL敗退が決まった5月の万博の青い空に冒頭の応援歌が響き渡り、私は彼の姿を思い出した。
 
 コンちゃん、見守っていてくれよ。彼ら後輩たちは必ずやってくれる・・・