ムカデとことこ

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秋葉原無差別殺傷事件・死刑

2022-08-01 17:46:59 | 新聞を読んで
もう1週間も前かもしれない。

なんだかんだと日が過ぎてやっと今日出せるかな、この文章。

その事件の犯人が刑で殺されたらしい。

この前平野啓一郎という作家の「死刑について」という本を

読んだせいか、こんな表現になった。

所謂、先進国では死刑制度を止めた国が多いらしい。

私もこの本を読む前は人を殺したら死刑になっても仕方ないだろうと、

なんとなく思っていた。

そう、まさしく、なんとなくだ。

日本でも、冤罪というものが数々ある。

時の権力で罪のない人が殺されることがある。

死んでも死にきれない、ということだろう。

絶対そんなことはあってはいけないことだ。

死刑になりたいから、人を殺したというのを

最近何度か聞いたことがある。

死刑制度がなくなればこういう事件は起こらないだろうなぁ。


死刑にされる前、加藤というその人は

何を思ったろう・・・・・

以前、池田晶子さんと、死刑判決を受けた人との対話の本を読んだことがある。

ほとんど内容を忘れてしまっている私だけれど、

その死刑囚は確か死刑を受け入れていたと記憶してる。
 
この人にとって、死刑は必要なのか、死なずに済んだら、、、

と読んだ当時思ったことがある。

いや、この人にとって、などと考えることなどないのが、

死刑制度というものなんだろう。

人を殺したら自分も殺されるのは当然だという考えか。
 
あんな悪いことをしたから、死刑になるのだ、

だから、悪いことはしない方がいいのだ、

みたいな思いに、人をさせる為にその制度があるんだろうか。

そして、それの元は、

ひとは脅せば何とかなる、という考え・・からか・・・・・

日本人はそれが当たり前と思っている、ということか・・・

私もなんとなく死刑もありか、と思っていたのだから、

そうだったのだと思う。

死刑制度というものは簡単に言えば、仕返し制度かなと思う。


勿論、なんの落ち度もないのに大事な人を殺された

被害者遺族にとっては、、、自分もその立場に立ったら、、、

殺されたなんて、とてもとてもとても受け入れることなど出来ないのは当然だ。

それは本当にそう思う。


死刑制度を止めた多くの国は死刑制度を止めることに

反対する人の方が多かったよう。

それでも、死刑という制度を止めた。

多数決・・・というのも恐いものがある。

けれど、国のトップの一部のひと、だけで舵を取られるのも恐い。

今のプーチンみたいに。

難しい。

なんか、どうしようもないような気持ちになりそう。

こんなふうに思うのは、この世界をなんとかしたい、

なんとかしようという発想からだろう。と、思う。

この複雑なる世界を自分がなんとかしようなんて発想は

無理難題。

自分には何も出来ない・・・

どうしたらいいんだ・・・と途方にくれるけど、

世界がなんとかなることに繋がる小さな小さなことを

していくことか。

この事件を起こした加藤という人は

当時、彼のいろんな気持ちをなんの否定もなく、

聴いてくれるような人が確か一人も居なかった、

と、本人が思ってた、というような報道があった気がする。

一人でも、彼の言葉や行為に、そうか、そうなんだ、と聴いてくれるひと、

そんな人がいたら、事件は起こらなかったかもしれない。

ひとの話を聴けるひとになること。

ひとの心に寄り添うことの出来るひとになること。

たった一人のたった一回のことでも、

世界が変わる小さな小さなきっかけになりうる・・・・

それなら私でも少しは出来るかもしれない。

私がやれる方法はそれかな・・・と思うよ。




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