ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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正しい認識 ★・・・ ②

2013-01-20 10:39:12 | 本を読んで
見られる側が、これはなんだろう???という邪心のないまなざし

(釈迦の云う『見ない』)

を感じても消えない・無くならないのは、

対象物が究極的な在りようのものだろう。

例えば、ひとに100%親切な気持ちで何かしているときに、

「これはなんなんだろう???」と邪心なく見つめられても

その現象は消えないと思う。

親切な気持ちで何かしてるその人の中にも邪心が無いからじゃないか。

赤ちゃんが昼日中井の頭公園で裸でいて、

ひとからなんだろう?と観られてもその現象は消えないだろう。

あの時空での性器出し男は邪心無く見つめられて、

自分で性器をズボンの中にしまった(その現象が消えた)のは、

その男が自分に邪心が在ることをわかっていたからだろう。

そしてそれが在ることを恥ずかしく思ったのではないか・・・

だからこそ、公園で性器をズボンに入れた。


“見ない”ことをしたので、見えなくなった。


邪心が元々のひとに在る性質、究極的な在りようではないからこそ、

自発的、自動的に消えるのかと思う。

仏陀の言う、これ・・・

「正しい認識が対象物を見たなら、

それが「ある」という定義であり、

正しい認識が対象物を見出さなかったなら、

それが「ない」という定義であるとされています。」

(この「ある」「ない」は究極的にという意味で)

・・この言葉がよくわかる例かと思う。



そして、又

その邪心のないまなざしという現象は自性によって成り立ったものじゃない。

その人の外部からなんの影響も受けずに、

たった一人でそうなったわけではないから。

『共に』というなり方でそうなったもの。

そういうなり方しかないから。



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