ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

だらしない人 だらしある人

2012-05-26 11:36:53 | ひとの幸福
「だらしない人はだらしない人を責めないことが多い。

だらしの良い人はだらしのない人を責めやすい。」

これは去年8月ブログ開始の一日目のもの。

今日これを書くことで一日目のブログではなくなる。

更新だ。面白い。

「だらし」の意味を調べたら・・

(「しだら」の倒語という)しまり。ひきしまり。

だらしないとは引き締まってないという意味なんだ。

どうしてだらしない人はだらしない人を責めないんだろ。

自分がそうだからひとのことなんか言えない・・

こういう心理かな。

・・ということは自分のことは責める気にならない、自分がかわいいから。

・・ということか。

けれど、責める気にならないというのは、

(だらしないのは良くない)というプログラムが、あっての場合もある。

そういう場合は責めたい気持ちが湧いて来ても、

それを理性で止めている、感じ。

自分がかわいいように相手もかわいい。

相手は自分と共に在る、という心理とも言える。


(だらしないのは良くない)というのが無意識的にも無い人は、

だらしない人を見ても、何とも思わないだろう。干渉・介入無し状態。

現象に何の評価もないとそういう状態になる。

又、だらしないのは良くないという自分の考えが正しいと決めていない場合も、

干渉・介入無し状態だろう。


責めるのは、その場面だけを見て、そうなったそれまでの時空を観ようとする心がない、

そういうことでもある。

一部だけ見て、全体という時空を観ようとしてない状態と言ってもいいかもしれない。

けれど、それが悪いということじゃない。

未熟なだけで、未熟さって可能性の塊だ。


今回イブと暮らして強く思ったことがある。

イブは自分の思うようにならない時に、

うーん!もうぉー!!!キャー!!と叫んでいたけど、

凄く楽しみに思えた。

こうしたいのに方法がわからない!!

こうしたいのに能力が無い!!

って叫んでいるみたいだった。

すごく意欲的なんだなと思った。

未熟さって、まだ開けてない素晴らしい宝の箱を持っていることだ。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。