以前の私の覚書メモを久し振りに見たよ。
これを書いてた頃はほとんど一日思索してたなぁ・・・
懐かしい・・なぁ。
『権利』という言葉は紀元前中国の荀子という思想家から来たものらしい。
その人、荀子は人間の本性を「悪」、利己的存在と考えたので、
人間が限度のない欲望を満たそうとすれば、
奪い合いや殺し合いが生じて社会は混乱する、から、
社会の秩序を保つのには権利とか義務という考えが必要だ、となったようだ。
考えれば、それ、権利、義務観念は必要悪ということだねぇ。
孔子に「70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」っていうのがあるけど、
なんでも自分の思う通り、やりたいようにやっていても、
規則や法律を破るようなことにはならないよ、ってことなんだろうけど、
そういう在りようになると、
法律書に権利や義務が書かれてあろうとなかろうと
全然関係ない、ということだ。
そういう在りように“なる”には法律が要るのかと考えると・・・
要らない、という気がするんだけれど、
人によっては要る場合もあるだろうね・・・
どうなんだろうねぇ・・・・
これを書いてた頃はほとんど一日思索してたなぁ・・・
懐かしい・・なぁ。
『権利』という言葉は紀元前中国の荀子という思想家から来たものらしい。
その人、荀子は人間の本性を「悪」、利己的存在と考えたので、
人間が限度のない欲望を満たそうとすれば、
奪い合いや殺し合いが生じて社会は混乱する、から、
社会の秩序を保つのには権利とか義務という考えが必要だ、となったようだ。
考えれば、それ、権利、義務観念は必要悪ということだねぇ。
孔子に「70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」っていうのがあるけど、
なんでも自分の思う通り、やりたいようにやっていても、
規則や法律を破るようなことにはならないよ、ってことなんだろうけど、
そういう在りようになると、
法律書に権利や義務が書かれてあろうとなかろうと
全然関係ない、ということだ。
そういう在りように“なる”には法律が要るのかと考えると・・・
要らない、という気がするんだけれど、
人によっては要る場合もあるだろうね・・・
どうなんだろうねぇ・・・・