goo blog サービス終了のお知らせ 

ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

愉快 不快

2012-03-09 20:27:36 | ひとの幸福
些細なことであっても、大きなことであっても、

他者をよく思わないとき、

自分を責めるとき、

何故不愉快感に襲われるんだろう。

自分が何をしたいと思っているのか皆目わからないとき、

何故気持ちが雁字搦め状態になるんだろう。

(雁字搦め=比喩的に、精神的な束縛を受けて、身動きできないさま)

自分が生き生きとしているとき、

他人を愛しく思うとき、

愛しいとまでも思わなくても、

穏やかに受け入れられるとき、

何故不愉快じゃないんだろう。

何でも出来ると思うとき、

何かをしないことも出来ると思うとき、

何故自由に感じるんだろう。

私たちの意識はどうしてこういうことになっているんだろう。

やっぱり不思議。


聴けない

2012-03-09 20:00:41 | ひとの幸福
「あの人の言ったことを聴いてあげられなかった」

・・こういう気持ちになったことがある。

言葉は耳で聞こえて来るけど、

心が「聴けない」状態だった。


「聴けない」=「聴くことが出来ない」で、

「聴けない」の前には「聴きたい」がある。

「聴きたい」がなかったら、聴けなくても何とも思わないはずで、

その場合「聴けない」という言葉は頭に出現しない。

「聴けなかった」という自覚があるとしたら、

聴きたい自分だったからこそ、と思う。

自分の中の何かが邪魔してそういうことになる。


聴けるのが良いとも悪いともいえない。

ただ、聴けるという心の状態のときは不愉快感がない。


見ているもの

2012-03-09 16:30:10 | ひとの幸福
元気な人 とその人を見てる。

過去のその人についての情報を観ている。

そう、「元気な人」・・という私の捉えは過去のその人だ。

わたしはいつも目の前に過去を観ている。


実際、目に映像が映ってそれが脳に伝達され、

そのものが何であるかを認識できるのは、

目に映ったときより何分の何秒か遅いらしい。

そういうことで云っても、認識する対象は過去だという。


今、ここという時空でその人がどんな人なのか、

私には知りようが無い。

目の前のその人は知らない人なんだ。

今ここ という時空は真っ白だ。まだ何も書かれていない。

人に限らないけど。

そこに何を描こうかは私が決められる。


人を殺した事があるひとがそれを隠して暮らしている。

その人に会った人はその過去を知らない。

ニコニコ気分でその人に会うと、その人はニコニコするかもしれない。

所謂罪を犯して隠れて暮らしている人がなかなかみつからないのは、

周りにいる人が前科者扱いせずに、

その時のその人と普通に心を持って付き合っている、

・・ということもあるから・・かもしれない。



「過去」

2012-03-09 12:07:45 | ひとの幸福
「過去は変えられる」というのを書いた。

過去の目に見える現象である出来事は変える事は出来ない。

それについての人間の捉え方が変わることはあるので、

過去は変えられる、と書いた。

そんなのは過去を変えられるとは言わない・・という声があるかもしれない。

けれど、過去 というのも言葉。認識。

過去は何処にあるかといえば、自分の意識にしか無い。

過去という名前が付いてる目に見えるものなどない。

だからこそ、思い出すことが出来る。

あの時の母の恐い顔、責めていたあの口調を思い出す。

今の私にとって、甘い記憶だ。甘い過去の出来事。

誰よりも私を思ってくれたあの日の母。








無敵意

2012-03-09 10:21:31 | ひとの幸福
敵組という名前が付いてる目に見える組は無い、というようなことを以前書いた。

運動会の赤組から見れば白組は敵組になる。

それはそのものを敵と捉えているということ。

昨日の敵は今日の友 ということがあるのは、

そのものに対して、気持ちや考えという意識が変わるということを示している。

「人参」や「母」なんていう名前のものはそんなふうには変わらない。

昨日の人参は多分、今日も人参だ。


カントが 世界中から一つの敵意もなくなったら 世界は平和になる。

・・というようなことを言ったそう。

どこに敵意が無くなったら平和になるかを、カントは「世界」と云っているけど、

その「世界」とは人の意識のこと。

世界革命って意識革命のこと。