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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

お母さんはピュア!??

2016-01-15 16:46:43 | ひとの幸福
この前、東京の娘が来ていて、その間、また彼女に余計な事を言ったなぁ・・・

またやっちゃった・・

この娘の前では自分の未熟さがとくに顕著に出てしまう。

でも、面白いことに、この本いいよとか、面白いよとか、言ってくれるその本が

その時の私にとってグッドタイミング的なものが多かったりもする。

だがだが、いわゆるひっかかる(気に障る)人でもある。

そういう引っかかる人と共に居た方が自分が成長する機会になる・・・

・・みたいな考えが私には強くあるのはこのブログでもよくわかってしまうと思うんだけど、

娘が帰った後に又そんなことを思っている自分に気付いた。

そうだ、私は自分のことばかりだ、と思った。


自分は自分だけど自分一人でなっているわけじゃない。

人と共に存在している、そういう存在のし方しかないのに、

ときどき私はとても自分勝手だ。

その娘から今回お母さんはピュアだと言われた。

嫌な感じで言われたわけじゃないんだけど、

私が傷つかないようにと、そういう言葉を使って言ってくれたんだ、と思った。

それは私にとっての警報だと思った。


自分の為に娘を利用しているつもりはなかったけど、

そういうことでもあったかと思った。

もうそれはやめようと思った。

彼女を使って自分の成長なんかしようとするまい。

自分の成長なんかどうでもいい。

そうだ!ホントそうなんだ。

この思いは私にとってかなり画期的だぞ。

成長したいという欲を放せた、ということかもしらん・・・???

新しい展開かもしれないぞ・・・・・!!

でも、こんなふうに思えたのもこの娘がキッカケだなぁ・・

なんて、いつものように思ってしまう自分ではあるなぁ・・・








人間の悪臭のついた言葉

2015-11-11 15:11:06 | ひとの幸福
知りたくて知りたくて読んでいる状態というのは

その言葉を わからない、となっている状態かと思う。

わからないからこそ知りたい、になるのだから。

その言葉を聞いたこともあるし、読んだことがあっても、

知らない、というところから始まるんだなぁ。

知らない状態に意識的にしてるわけじゃないんだけれど、

そうなってしまうものだ。




この世の私・・・②

2015-11-07 08:33:04 | ひとの幸福
喜びを喜ばず、苦しみを苦しまず・・・そういう私は

ナントカナニ子というこの私じゃない。

ナントカナニ子は大いに喜び、笑い、大いに悲しみ、泣き、

大いに苦しみ、大いに僻み、絶望し・・・

けれど、ナントカナニ子の苦しみや悲しみなんてものは

新聞や本で知る苦しみのうちに到底入らない程度のものだとよく思うけれど、

ナントカナニ子が感じる悲しみや苦しみがなければ、

ひとの心に共感することなんてできない。

自分が傷を負った分だけひとの傷を共に感じることが出来るのだと思う。






この世の私・・・

2015-11-06 08:41:03 | ひとの幸福
この世の私は腰が痛い。

この世の私は風邪っぽい。

・・一昨日書いたものなんだけど、

この世の反対は普通「あの世」と言うけど、

一般にそう思われているところのあの世とは違う感じもする。

この世でナントカナニ子を生きている、という、

なんとも不思議な感覚を、感じると、

このナントカナニ子が感じる喜びや悲しみや気になる感やらが、

少し違った感じになる。

そういったものを客観視しているような感じ、なのかな。

山岸さんが書いてた、人生は舞台だったか劇場だったか、

ナントカナニ子がそこに出ていて、

それを観ている、そういう感じ。

喜びを喜ばず、悲しみを悲しまず、苦しみを苦しまず、寂しさを寂しがらず・・・

そういう自分がいる感じ。




不思議な感じ・・・

2015-11-04 16:53:36 | ひとの幸福
普段はそんなこと思ってないんだけど、

ぱっと意識が変わって、今ここのこの意識が在る、

これしか私にはわからないし、これしか世界はない・・

そういう感じになると、頭が不思議な感覚になって、

周りの世界がいきなり静かに見えて来るような気がする。

私一人なんだ。

世界は私なんだ。






嫌な奴はどうでもいい!?

2015-11-01 16:01:18 | ひとの幸福
昨日こういうのを書いている・・・

・・・その人のことが気にならなくなった。

どうでもよくなった・・・これ。

どうでもいい、というのはどう在ってもいい、ということだ。

その人がどうしようといい、どう在ろうといい、ということ。


どうでもよくなった、と書いている・・・ということは、

その前はどうでもよくなかった、ということだ。

あ~だったらいい、こうだったらよくない、

というような心の状態の私だった、ということ。

相手のそのままをそのまま認める、という私じゃなかった。

当たり前のことだけど、ひとは勝手にあ~とかこ~とかするものだ。

人は誰でも自分の意志で生きているもの。

いちいち人から許可を得て行為行動するもんじゃない。

なので、それを見る側聞く側は、

どうでもいい、という心状態が当たり前ということだね~


が、しかし・・どうでもいい、と聞くと、

なにやら不穏な空気を感じてしまう・・・

投げやり、虚無感、そんなイメージがある。

そういうイメージがあるのも当たり前か・・・

どうでもいい、という言葉は 絶望 も意味するから。

相手のことに関して、どうでもいい、というのは、

相手に何の願いもない・・相手にどうこうしたいと思わない・・・

という状態だ。

相手をどうこうしたい、と思うから、

相手は自分の思い通りにならず(人は自分の意志で動くものだから)

イライラ、カッカ、もんもん、する。

相手に絶望すればそんなのなくなる。

相手も自分も自由になるじゃないか・・・・・



人のことばを深読みすると感情が悪化する ②

2015-10-03 16:51:15 | ひとの幸福
この前『人のことばを深読みすると感情が悪化する』ことについて思ったことを書いたけど、

こういうのもある、と思ったので書くね。

人が言った「アレがいいな」という言葉をそのまま聞かずに、

そうは言ったけど本当はアレじゃなく、

~がいいと思っているんじゃないか・・などと深読みすることがある。

遠慮してそう言ったんじゃないか、本心は違うんじゃないか・・なんて。

こういうのがあの本でいう深読み、という奴なのかな・・・

でも、そう“深読み”しても感情が悪化することはないわな・・・

いや、「遠慮なんかして、イヤな人!」なんてふうに感情が悪化する場合もあるか・・


前にも書いたことがあるけど、

どんなことでも、そうしてることがその人のその時の意思・意志。

例えば遠慮の気持ちで「アレがいい」と言ったとしても、

遠慮したい、という意志でそうしてるわけだ。

アレがいい、の、意思じゃなく、そう言っているという意志。

そういう自分の意志に無自覚な場合もあるだろうとは思う。

でも、遠慮してたにしても、自分の意志で遠慮してるんだから、

ひとがそれを深読みなどする必要はないと言えるな。

遠慮 を例に出して書いたけど、

本心じゃないことを言ったとしても、

何かで、それを言いたかったという別の意志があるはずだ。




物事に動じる・動じない

2015-10-03 14:29:59 | ひとの幸福
中学の頃、物事に動じない子だった・・と友人が言ったけど、

どういう物事に動じなかったのか、わからない。

その後の人生、いろんな物事に動じっ放しのような気もする。


この前、何かの時、「どうしよう どうしよう!!」と狼狽えた私を見た、

久し振りに会った友人に「認知症が始まったか」と思われたけど、

幾つかのそういうことには前から動じていた私だったんじゃないかな、と思ったよ。

友はそういう私に会ったことがたまたま無かっただけのことかなぁと。

まぁ、だいぶ脳力が落ちている、という気は確かにあるけれどね。

昨日の夕飯のメニュウがなかなか出て来ないことなんかしょっちゅうだし。


「誰ソレは物事に動じない人だ」・・と言っても、

それを言う人がその物事に関しては動じるので、そういう発言になるのかなと思う。

人によって、動じてしまう物事は違うだろうなぁ。

何に動じているのか・・・

よくよく自分を観てみると・・・見える見える、自分の不安感。

あ~なったらどうしよう!・・・どうしよう、って言ってるけど、

どうしよう“!!”であって、どうしよう“??”じゃないんだよね、これは。

あ~なった時に、どうしようか、考えようっていう冷静な考えから来るコトバじゃない。


不安感が生まれるのは、どうなってもいいという覚悟がないからだと思う。

これは自分はどうなってもいい・・という覚悟であって、

ひとはどうなってもいい、ということじゃないと思うんだけど、

自分が~なる、ということは必ずひとに波及するものだ。


どうなってもいいという覚悟は、やるべきことは全部やりきって、

あとは天命を待つ、という心境なんだろうな。


不安感があるうちは不安感を利用して、

やりたくてやれることはやりきらなくちゃ後悔する。


十分生きて、進歩や成長が要らなくなった死を待つ床では

全ての不安から解放されるんだろうなぁ。







完璧を望む

2015-09-28 09:50:26 | ひとの幸福
欠点やある種の能力のないことが気になる(自他の)傾向というのは誰にでもある。

それで自分や他を責めてしまったりすることが誰にでもあると思う。

そんなことで人間関係がギクシャクしたり、トラブルが起こったり、

紛争戦争になったりする。

どうして欠点や能力のないことが気になるのか・・・・・

一人の人間は完璧なものではないのに、

一人の人間に完璧を求めてしまう性質がある・・ということか・・

自分やひとが完璧なわけないのに・・

・・と思ったが、完璧でないから求めてしまうわけか・・・

既に完璧だったら求めることないもんね~


一人の人間に多くの能力が備わっていることを求めてしまう・・・・・

表面意識でそう求めてるわけじゃない・・・

でも(そういうことが出来るはず)があればこそ、気になるんだもんね。


いつかは出来るかもしれない事も今は出来ない、というのもあるし、

多分一生出来ない事もあるし、

前は出来ても今は出来ない事というのもある。

人それぞれだし、それぞれ得手不得手があるもんだ。

出来る人がそれをしたらいい。


こんなにたくさんの人が居るこの世界は全員で完璧になる。

不完全なもの同士がたくさん集まると全体で完全になる。

そう思うと 自分一人で頑張らなくていいんだ が腑に落ちる。

私がお盆に頑張らなくなったのも、それがやっといくらかわかった、からなのかもしれない。

山岸さんの青い本のなかにあった言葉、補佐の役目を果たします、だったかな・・

全体がそうなるように、一人一人が出来る事で補佐の役目を果たす、

ということなのかと思ったよ。

われ、ひとと共に繁栄せん ということなんだろうと思う。

今の世の中だって完全じゃないかもしれないけど、そうなってるからこそ

それなりに全体で動いてる。

ひとは完璧を求めてしまうものだから、もっともっとと・・・

常に続く・・だ。

けど、方向違いに暴走しないようにしないといけない。

自分に引き付けてみてしまう・・・

2015-09-27 16:09:16 | ひとの幸福
事によるんだけど、

自分が出来ることをひとが出来ないと どうして??などと思うことがある。

そのことに非難感情なんかなくてもそう思ってしまうことがある。

自分は~することが当たり前なのに、

ひとがそれをしないと どうして??? となることもある。

まぁ、自分なりの(当たり前観)を持ってる。

自分中心的な見方をしてるとも言える。

ひとのことを自分に引き付けて見てしまうってことか。


あそこの店のナニソレが美味かった、などと聞くと

聴くより早くみたいな感じで、私もそれ食べたことがある、とか

あそこよりドコソコの店のナンタラが美味かった、とか、

聞かれもしないのにすぐ自分関連のことを言いそうになる。

こういうのも同じような感じか・・・

そういうときは“自分”が大きいんだなぁと思う。

そういう自分が見苦しいな、と思うこともある。

まぁ、それが 我(がが強い・・とかの)なんだろうけど。

いや、我が強くたっていいんだけど、

そのせいでひとと仲良くやれない場合があるからね。

ひとと仲良くやっていきたい、というのがあるもんで

気になるんだろね。

「人のことばを深読みすると感情が悪化する」

2015-09-24 21:04:11 | ひとの幸福
「人のことばを深読みすると感情が悪化する」・・・これ、

今日の新聞の書籍広告欄にあった和田秀樹という精神科医の書いた本の

『感情的にならない本』の宣伝文句?じゃない、なんていうのか、

中からの引用文のひとつにあったんだ。

で、こんなことを思った私だったよ。


「人のことばを深読みすると感情が悪化する」


なんで『深読み』をするのか?

深読み、というけど、

深く掘り下げて人のことばを読んでるから深読みする、

というわけじゃないんじゃないかなぁ・・・

こんなことが身に覚えがあるよ・・・

多分それは、自分で自分を否定的に見ているときに起こる。

ひとの言葉を勝手な思い込みで、

あれは自分のことをこれこれこういうふうに批判的に言っているんだ・・なんて判断して、

その判断が正しいとは限らないのに、自分の中でほとんど正しくなっちゃってて、

自分を批判してると思い込んで感情が悪化・・・

うん、自分で自分の首を絞めているような感じ・・かな。

自分が自分を否定的に見てないときは相手が何か言ってもそういうことは起こらない。

自分の中にあるから、

相手がそういうふうに言っているように見えてしまう。

相手はホントいい迷惑だ。

相手にとっては濡れ衣のことが多い気がする。


その本を読んでないから著者がどういう意図でそれを言ってるのかはわからないよ。

そう読んだ私が深読みをしたのか?!




崇高本能 ②

2015-09-23 18:13:48 | ひとの幸福
よくなろうという崇高本能があるから、戦争することになる。

よくなろうとする崇高本能があるから、

自分や人や国の欠点が気になる。

気になった後、

その気持ちをどう行動に移すか、が問題だ。

相手に口じゃなく、直接手を下す・・なんてことになったら、

トラブルや戦争行きのバスに乗るようなもんだ。

誰かが何かした時、全員が手も足も出ない・・・になれればこの世はいいものになる!?

そんなことをしたらこの世はめちゃくちゃだ・・・

大丈夫。この世は相互作用で進むもの。

あ~言えばこう言う、

あいつがあ~するから、こっちはこうするんだ、・・・・・

これがなくなる???

ほんとうにそうかなぁ・・・???


ひとに言ってもらうことで人は進むことがたくさんある。

国と国なら戦争じゃなく、外交、ホントの対話。

素直なら進歩することが出来る。

大人も子供もだ~。

素直というのは“言われた感”がないってことだね。

と、いうことは、

言われた感、というのは、他が(言った)に対して、

自分の心が(言われた)と反応することだけど、

他が(言った)に対して自分の心が(聞いた)だったら素直ってことだ。

・・でもなかなかそれが難しい・・・もんだ。

うん・・・その時、言われた感があってもいい。

だって、そうなっちゃったんだもの。

その時々の自他の在りのままの姿を受け容れましょう。

・・・すると、

時間の経過で、言われた感がなくなることも結構ある。

その時、言われた感があっても大丈夫。

崇高本能があるから・・・・


・・・いろいろ・・考えると、やっぱり・・・

ここに返ってくる・・・

人間自身がもっともっと成長することでしか世界は変わらないね~

全てが 自己に発し、自己に還る だなぁ。

そして自己は自己のみで存在するにあらずだなぁ・・・

崇高本能

2015-09-23 14:13:40 | ひとの幸福
人ってより良くなりたいという崇高本能をもれなく持っている。

いや、自分はそんなもの持ってないって言う人もあるかもしれないけど、

そんなに甘いもんじゃないよ~

うんざりするほど本当のことだよ。

これがなかったらどんなにこの世はらくちんなんだろうと思う。

それがあるから苦しみが始まる。

「人は誰でも、見たいものを見、聞きたいことを聞いている」

2015-09-20 20:43:27 | ひとの幸福
「人は誰でも、見たいものを見、聞きたいことを聞いている」

こんな言葉を聞くと、

いや、見たくないものも見るし、聞きたくないことも聞いてる・・

と瞬時に言いそうだけど、

考えてみるとその通りと思う。

瞬間瞬間の、今ここ という時空では人はそうだ。

私は今、パソコンに向かっている。

机の隣には電話が置いてある低い書棚があり、

そこには本やら写真立てやらがある。

視野にはそれらはあるけれど、それらに今ここで、関心がないから見ない。

今ここで電話がかかってきたらその電話に関心を持ち、受話器を取るだろうし、

今ここで夫が私を呼んだら、私はその声に関心を持ち、聞くだろう。

その瞬間見たいものが見える。

その瞬間聞きたいものが聞こえる。

その瞬間、他のことに関心を向けていたり、集中したりしてる時は、

何かが在っても気付かない。

瞬間的に人は見るもの、聞く音を選択してる。

自分の関心のままに生きている。

そういう意味で、自分中心に生きている。そうとしか出来ない。


また、見たいものを見、聞きたいことを聞いている、と聞くと、

見たいのは自分にとっていいもの、聞きたいのも自分にとっていいもの・・

と勝手に勘違いしてしまうから、

見たくないものも見るし、聞きたくないものも聞く、という反応をしてしまうんだろうな。

だけど、人はいいものだけを見たいわけじゃないんだ。

いいことだけを聞きたいわけじゃないんだ。

そんなふうに人は出来ているんだ。

いいものだけを求めているわけじゃないんだ。

いいものとよくないものがある世界では

どっちを選択する事もできる。

よくない方の選択を使っていい機会にすることが出来る。



安保法案可決と・・・

2015-09-20 07:56:19 | ひとの幸福
安保法案に賛成とか反対ということじゃなく、

こうした政治の動きや議員の様子やらを新聞やテレビで見ると

私たちの姿だなぁと思う。

今のこういう状況も、なるべくしてなっている。


私たちの意識が日本をつくっている。

世界の意識が日本をつくっている。

世界の意識が世界をつくっている。

無意識、表層意識を含め、意識が主人公だ。


ちょうど今日の毎日川柳の秀逸作品のこれ、

「僕たちにホントよく似た議員たち」。


安保法案も数の論理で可決したけど、

これも“続く”だ。

何もかもが次の舞台に続く。