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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

川柳「窒息も・・」

2013-02-09 20:36:56 | 新聞を読んで
「窒息もゼリー有罪モチ無罪」

今朝の毎日新聞の『仲畑流万能川柳』に載ってた一句、コレ。

この欄が新聞で一番好きなんだけど、今朝のコレ、凄くいい。

お菓子のゼリーで窒息すると、そのお菓子を作った会社は糾弾されて、

餅で窒息死しても、餅のメーカーは糾弾されない。

何故か?・・・

餅が喉に詰まって窒息死する老人は多いそうだけど、次に窒息死する食べ物はおかゆだそうだ。

餅で窒息死するのはある意味当然とされていて、

ゼリーで窒息するのは当然じゃない、という見解がこの世にあるということか。

餅ならば、窒息する方が注意を怠ったからで、

こんにゃくゼリーならば、作った方が注意を怠ったから、ということになるのか・・・

こんにゃくゼリーが餅のようにポピュラーな存在になったら、

ゼリーで窒息するのは注意を怠ったからだ、ということになるんだろうか・・

スペースシャトル チャレンジャーの事故

2013-01-19 08:48:49 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞の天声人語みたいな欄に、

ボーイング787の事故についてが載っていた。

アメリカのナサの1986年のスペースシャトル事故について、

物理学者のファインマンがこう言ったそう。

「技術が成功するためには体面より現実が優先されなければならない。

なぜなら、自然はだましおおせないからだ。」

ロケットのある部分の部品は気温が低いと弾力を失って、

爆発の可能性があると、現場では以前から知られていたのに、

それを使ったよう。

ナサの安全意識の欠如をファインマンは批判したらしい。

“自然はだましおおせない”・・・このことが云っているのは・・

自然の在りようというのは全て相互関連作用で起こるということ。

その部品一つが“原因”で爆発したとは言えない。

気温以外にもいろいろな条件が一致した時にその部品は有効な働きをするのだろう。

その条件のうち一つでも欠けていたら、ロケットは飛ばない。

その部品も含め、すべてがそのように調和したときそのように飛ぶ。

全て相互作用がうまいこと一致した時に成功する。

自然界はそうなっている。すべて相互関連作用によって起こる。

それを自然はだましおおせない、と表現したのだろうかと思う。

「体面(顕在意識)より、現実が優先されなければならない」を読んで、

湯川博士の、「現実のほかにどこに真実があるかと問うなかれ。

真実はやがて現実になるのである。」

この文章を思い浮かべてしまった。


生きることに目的はありません!?

2013-01-15 08:25:14 | 新聞を読んで
サンデー毎日だったか、今朝の新聞に広告が出ていて、

その中に福岡伸一ハカセの対談が載っているらしく、さわりが出ていた。

「生きることに目的はありません」というもの。

その本文も読んでいないのはもちろんだけど、

動的平衡、せいめいのはなし、なんかを読んでそういう感じのことを彼は言っていたので、察しがつく。

生命現象はすべて動的平衡というありようをしているので、因果関係というモノは成立しない、

生命にデザイナーがいると考えるのは単なる脳の癖で、

そういうものはない、ただ動的平衡だけがある、

よって、生きる目的などもてないもの・・といういうような主旨なんじゃないかと想像した。

全体で秩序だったものをつくれてしまう、というような文章も彼にあって、

そのことでこのブログでも、

そう“なっている”のが生命の在りようだと、

言葉がそう言っている、と書いたことがある。

生きる目的というと顕在意識で考えるもののように受け取りがちだけど、

生命というもの、(勿論人間も含めて)の存在の仕方・存在の在りよう・存在の在り方が

そうなっている。何故だかそういう目的が予め仕組まれている。

生命とはそういうもの。

そんなことしたくないと思おうと、そんなの趣味じゃないと思おうと、

私たちはその在り方から逃れられない生き物なんだよね。





蹴鞠

2013-01-05 17:06:05 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞に京都市の下鴨神社の「蹴鞠」という行事についての記事があった。

「蹴鞠」というのは平安時代の貴族の遊びだそうで、

相手が受けやすく、長く続くように蹴ることが作法なのだそう。

う~ん、いいね~。

サッカーは相手より点を多く取るという遊びなんだろうけど、蹴鞠は違う。

サッカーが二つの世界であるのに対して、

蹴鞠は一つの世界という感じ。

蹴鞠は(敵・味方)というのはなくて、両方で一つで、

勝ち負けを競うゲームじゃなくて、

長く続けるのがゲーム。


受け取れない鞠を蹴ったらそこでゲームセット、だったのかなぁ。

蹴る方が受け取れない鞠を出したら、

それを受けて蹴る側は、

「そんな鞠じゃ蹴れないよ」と文句を言った人もあったかもしれない・・・

それで喧嘩になったりして・・・

目に見える“形の仕組み”が一つになっていても、

それをやる人の目に見えない“心の仕組み”も、

そうなってないとやはり二つの世界になるのかもしれない。

形は二つの世界であるサッカーでも、

勝っても負けても心が健やかだったら・・・

負けるそのことが成長に繋がるんだし・・・

まぁ、何がなんでもどうでもいいか・・・





人類の知性は落ちている!?

2012-11-21 10:53:27 | 新聞を読んで
「人類の知性は2千~6千年前ごろをピークにゆっくりと低下し続けているかもしれない――。」

こんな説を米スタンフォード大のジェラルド・クラブトリー教授が米科学誌セルの関連誌に発表した。

 教授の論文によると、人類の知性の形成には2千~5千という多数の遺伝子が関係しており、

ランダムに起きる変異により、それらの遺伝子は、働きが低下する危険にさらされている。

 一瞬の判断の誤りが命取りになる狩猟採集生活を送っていたころは、

知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、

人類の知性は高まっていった。

・・・以上、朝日新聞社より。

へぇ、こういう考えもあるのか~と思った。

狩猟採集生活をしていた頃、知性や感情の安定性が優れている人が生き残った。

狩をするというのは、命がけだったと思う。それは、

いつも、いつ死んでもいいという覚悟があるということなんだろうと思う。

死ぬかも死ぬかもと不安に怯えていたら、感情の安定どころの騒ぎじゃないだろうし、

冷静で的確な判断も出来ないだろう。

いつ死んでもいいという覚悟が出来ているということは、

狩ることに準備万端抜かりなし、という技術面もさることながら、

その日その日を十分満足して暮らしているせい、ともいえる。

そういう人は過去や未来に囚われず、幸福に生きていたのかもしれない。

幸福に生きることが知性が伸びることであり、

感情が安定するということか・・当たり前か・・・


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ユング 「影」 ②

2012-11-17 14:51:22 | 新聞を読んで
オウムの問題はわからないままになっているけど、

オウムがそうなったのには必ず何らかの間違いがある。

何が一番の間違いだったのか・・・

オウムの人たちは悪い事をしようとして、悪い事をしたんじゃない。

良い事をしようとして、悪い事をした。

そんな馬鹿な、と思う人もあるかも知れない。

でも、私たちはほとんど毎日そんなことをしている。

願っていることと、やっていることが正反対。

平和を願って、戦争してる。内乱してる。

子供を良くしようと、子供を怒鳴り、子供にイライラし、子供に冷たく接する。

子供が幸福に暮らせるようにと願って、

子を自分の敷いたレールを歩かせようとやっていることが、

子が親を殺す事態まで進む。

小さなことから世界的なことまで、根は一緒。

自分が意志を持って、したことの、結果を見ていない。

どうしてそうなるのか・・・自分の心・意識を観ていないから。

目を瞑ったまま行為行動しているから。

自分が何をしているのかわかってない。

自分もそうだったし、そういうことは今でもあるからわかる。

そのことを否定しているわけじゃない。観察しているだけ。

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エンパシー

2012-11-13 14:18:37 | 新聞を読んで
亡くなった政治家の宮澤喜一さんの文章について・・・

元米国国務長官キッシンジャー博士のことを、

「実務家としての手腕ともう一つ、

相手の立場になってものを考える『エンパシー』

(共感、感情移入)といわれる能力がある。

彼はユダヤ人だが、その種の能力は多分ユダヤ人と、

それから日本人だけが持っている特質ではないか。

生粋の英米人は自分の思想なり信仰なりが強く出すぎて、

相対的なものの考え方を認めない」

・・宮澤著・戦後政治の証言から・・というもの。

まぁ、これは宮澤さんの個人的感想なのは勿論だけど、

ふーん、彼はそう思ったのかぁ、という感慨はある。


前に「共感」というタイトルで書いたことがあったけど、

同感ではない“共感”は感情を持つ人間として、誰にでもあるものかと思うけど、

「自分の思想、信仰が強く出すぎて・・・」

というように、物事についての自分の考えが正しい!と突っ張るから、

物事ではなく、感情の共感の部分を消してしまうことになるのではないかと思う。

でも、それが日本人とユダヤ人の特質かどうかは、私は知らないんだけど、

何故かいろんな場面でユダヤ人と日本人とが並んで出て来る文章を見ることがある。

これがどうしてそうなのか疑問があった。

その謎はユダヤ人とか日本人という人種がどうのこうの言う前に、

言語の在りようなんじゃないか・・・がちらっと浮かぶ。

言語が人に与える影響は計り知れない。

血統的に生粋のイギリス人やフランス人、中国人であったとしても、

日本語で育ったら、その人は日本人的になるんじゃないだろうか・・・



つくりと働き

2012-10-04 09:15:15 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞に養老先生の文章が載っていた。

時々養老先生のこの欄が出て来る。今日のはこういうの。

口というのは解剖学的な器官の名前じゃなく、

機能を表わす言葉、概念である。肛門もそう。構造の名は肛門管というらしい。

口は構造名は唇と口腔。

「つくり・構造」と「機能・概念」との相異について云ってた。

口を慎め!なんていうのは働きについて云ってる。

概念の言葉は多い。敵・味方なんてのもそうだ。

昨日の敵は今日の友というように、ころころ変わるもの。

まぁ、口は機能を表わす言葉・概念だけど、肛門に変わったりしないけどね。

でも嘔吐なんかは口が出口になってるなぁ。でもそれは働きじゃないか・・

いや、働きといえば働きだよね。

「お金・現金」というのも概念だね。

その紙や金属、通帳の数字にはそういう働きがあることを表わしている。

「机」というのは構造なのか概念なのか・・・

それを踏み台としてしか使ってない場合も広い世の中にはあるかもしれない。

ダイニングテーブルなんかも、物置にしてる人もある。

そういう場合、つくりはテーブルだけど、機能は物置。

まぁ、いいや、そういうことはどうでも。

構造は簡単には変えられないど、機能だったらいくらでも変わる可能性がある。

意識は機能、はたらき。




「声掛けする」72%

2012-09-21 19:04:26 | 新聞を読んで
今日の毎日新聞に出ていた。文化庁の国語世論調査で、

混んだ電車の降車時に他人への声掛けをするかどうか聞いたところ、

72%が「する」と答えたという。

98年度の調査から10.3ポイントの上昇という。

他人の話の腰を折ったりしない、下品な表現を使わない、

なども増えているということのよう。

これに対し早大大学院、日本語教育専門の教授が、

人間関係に神経質になっており、表面的な円満さを求めているからではないか、

と分析しているという。

どうしてこういう見解になったんだろう?と思った。

表面的な円満さを求めている、という解釈はその教授がそう解釈してるということだけど、

~ではないか、と云ってるので、そうだ、と云ってるわけじゃないことはわかるのだけど、

そういう解釈はこの調査全体でそう思うようになったのか、

日常、自分が見ている周りの人を観て、そう観えたので、そう解釈したのか、

日常、自分が表面的円満さを求めてそういう言動をしているからなのか、

新聞やテレビに出る人達を見てそう観えたのでそう解釈してるのか、

何か他での研究結果と混ぜてそう解釈してるのか、

この記事だけじゃわからないけど、

調査に参加した人たちがその時その時表面的円満さを求めてそういう言動をしてると、

わかる、となっているのかと思った。

本当にそうなっているんだろうか。

もし、そうだったとしたら余計にこんな解釈は入れない方が世のためなんじゃないかな。


~ではないか、という表現なんだから、

その通り読んで、あぁ、この教授はこう解釈してるんだな、で終わらせればいいだけのことなんだけど、

調査の数字を見てどう解釈するかは記事を読んだ人がすることで、

ちょっと邪魔になるかな、とも思った。

鵜呑みにする人もあるかもしれないって思った。


魯山人の言葉

2012-08-25 18:43:49 | 新聞を読んで
何日か前の天声人語に魯山人の言葉が引用されてあった。

「魚という奴は面白い

食通の魯山人は言う

じっと目を放さずに見つめていると、なかなか焼けない

ちょっとよそ見をすると

急いで焦げたがる」

こういう感想世の中に多いんだろうな。

でもなんとなくそのことはどういうことなのか?って思う人がいないんだろう。

「将来と向き合うこと」

2012-08-07 08:41:06 | 新聞を読んで
選択とは将来と向き合うこと・・・そう言える自分だとしたら、

自分の人生は自分が主人公だという自覚があるということなんじゃないだろうか・・?


選択とは将来と向き合うこと・・?

将来の「何」と向き合うんだろう・・・?

将来の自分であり、周囲であり、・・・なんじゃないか・・

将来の自分の「何」と向き合うのか・・・?

幸福を選ぶ最良のチョイスはどこにあるのか、世界中が答えを求めている・・・

という言葉があったけど、

将来の自分の幸福度、周囲の幸福度、それと向き合うということなんじゃないか・・・?

「選択とは将来と向き合うこと。

だからこそ普段からの思い込みや判断が過った時の理由も検証し、

結果を率直に議論して初めて、その可能性を実現できる」

・・これが記事の文章なんだけど、

その可能性、という「その可能性」って何を云っている?

ひとが幸福となる可能性を実現できる・・・ということ・・かな。

上に書いた引用の文章をさっさと読んでしまった時は、

「その可能性」という言葉には留意しなかった。

全体を読んで、あーそうだな、その通りだな、位で。

あの記事を最初に読んだ時は言葉の一つ一つを味わわないで、

読んでしまったなと今は思う。

世の中には、ほんとにさっさと読む言葉と、さっさと読めない言葉があるもんだ。












「人生決める選択の謎を追う」 ⑤

2012-08-06 07:04:20 | 新聞を読んで
ジャムの例でこの記事に最初に出ていた、

選択の幅がたくさんあると、ひとは判断できなくなるということ。

これは本当に面白くその通りだと思った。

何かを見聞きした瞬時、すぐにカッとなって怒る現象は、

選択肢の幅は・・というより、その対応しか選択肢がないことを表わしている。

見聞きした時の対応が幾通りも自分にあれば、

時と場合によって、その中から選択できる。

ジャムの話しのように30もあれば、選択することが出来なくなることもあるかもしれない。

現象に際して「これは良くない!・ダメ!・これがいい!・これが正しい!」が頑としてあると、

対応という選択肢は一つしかない。

とても選びやすい。なので、瞬時に対応することになる。




「人生決める選択の謎を追う」 ④

2012-08-05 20:31:48 | 新聞を読んで
若い頃、入社した会社でのこと。

そこで、その課の庶務担当というので入社した。

前任者が妊娠して辞めるので、その会社は社員を募集し、

それに応募した私が試験を受けて、入社することになった。

ところが前任者が流産してしまい、退職をしないことになった。

配属された課にはその仕事をする流産した有能な彼女がいた。

それならそれで、私を他の課にでもやってくれたらよかったと思ったけど、

その会社はどんな考えがあったのか知らないけど、

私をそのままにした。私がする仕事がなかった。探してもなかった。

前にも書いたけど、やることがないくらい辛いことはない。

そこで何をしてもいいならいいけど、そうではなかった。

暇で暇で暇でつまらなくて、辞める選択肢を選んだ。

それから別の所へ就職した。

そこで働いたことがキッカケで前夫と知り合い、結婚した。

もし、前の会社の彼女が流産しなかったら、

私は前夫と知り合うことなどなかったろうな、と当時、思った。

彼女は彼女で流産になるようなプロセスがあったんだろうと思う。

彼女が流産しないで会社を辞めていたら、私はどうなっていたか・・・

また、私がその会社を辞めた後、次の会社に就職しなかったら・・・

前夫とは知り合うこともなく、全く別の人生だったろう。

前夫と結婚してからの展開で今の夫と知り合い、結婚した。

前夫と結婚しなかったら、今の夫と結婚するような展開にはならなかったろうと思う。

また、前夫と知り合うキッカケになったその会社に何故就職したのか・・・

・・親しい友人が働いていて、今募集してるからどう?と紹介してくれたところだった。

その友人と知り合ったのは専門学校で・・・

もし、その専門学校に行かない選択をしてたら・・・

友人もそこに入学した選択を選ばなかったら・・・

・・こんなふうに生まれた時まで、どんどん遡れる。

記憶はないけど、ずーっと選択して来たはずだ。


選択で人生の行動、生活が変わって来るのは無論だ。

“行動”の選択は生活、暮らしの状態に影響を与えるけれど、

一つ一つの“行為”の選択、“感情”の選択が人生の質にかかわって来るんじゃないかと思う。

感情は意識的に選択できるものじゃないけど、

感情が起こる元は「こころ」だと思う。

幸福を生み出す最良のチョイスはどこにあるのか・・・という言葉があったけど、

人間の心の状態、そこに幸福を生み出す最良のチョイスはある。

そう思う。

「人生決める選択の謎を追う」 ③

2012-08-05 12:45:00 | 新聞を読んで
「私たちの人生がどこへ行くのか、どうやってそこにたどり着くのか、

最も強く決定づけるのが、一人ひとりの選択だ」

と彼女、シーナ・アイエンガーさん。

全くその通りと思う。

その記事の中にはこういう彼女の言葉がある。

・・・「選択の達人に共通するのは、過去の判断を何度も検証し、

『情報に基づく直感』を養ったこと。

選択の内容を日記に記録することで、誰もがこういう能力を高められる。

・・・重要な選択であったかどうかを検証するためには、

判断当時にどのような影響を予想していたのか、

その結果がどうだったのかを比較することが不可欠です。

しかし、人間の記憶はあいまいで、当時の感情を思い出すのはすごく難しい。

そこで日記をつけることによって確認します」

・・以上引用。


記録するというのは本当に有効かと思う。

書くというのはなにより客観視することだ。

こういう影響になると予想して、こういう言動を選択したことが、

どういう結果に繋がったのか。

予想と、実際になった展開はどう違ったか、それとも予想通りだったか、

よく観察しないといけない。

これは本当に常に意識的、自覚そのものだ。

書くという行為を続けることが自覚の感度をよくする。これは本当に実感する。

最後に、「情報があふれ、可能性が無限に広がる現代、

幸福を生み出す最良のチョイスはどこにあるのか。

世界中が答えを求めている」

この文章を書いた記者はそう思ったのかな・・

最良のチョイスはどこにあるのか・・

この「どこ」は、どう思って「どこ」と表現したんだろう・・?

どこにある、って

自分の心、意識にしかないんじゃないのかな~

それとも、もっとなんか違う意味なのかな・・?

よくわからない・・










「人生決める選択の謎を追う」②

2012-08-05 11:18:14 | 新聞を読んで
昨日のフロントライナーの人の言葉でこういうのがあった・・・

「選択とは将来と向き合うこと。

だからこそ普段からの思い込みや判断が過った時の理由も検証し、

結果を率直に議論して初めて、その可能性を実現できる」

選択とは将来と向き合うこと・・・

どの瞬間も私たちは選択している。

意識的の場合もあるし、無意識的にしている場合もある。


昨日書いたけど、店でジャムを買うときも幾つかの瓶からこれにしようと選択する。

そのジャムを買うという選択肢を選んだことは「将来と向き合っている」・・・

という言葉でも言える。そのジャムを食べるのは、

買った時より未来なわけだから。

どの瞬間の選択も未来・将来の展開に影響を与える。

昨日、6年生と花札をした。

(今、ここに彼女が来たので、この例で書こうと思った。

彼女は今、これを見ていている)

3人でやって、6年生がビリだった。

6年生はビリになったことを素直に受け入れたように見えた。

負けを受け入れたということを彼女は無意識的にだろうけど、選択したのだと思う。

負けを受け入れられず、不機嫌になり、暴力を振るう選択肢もある。

彼女はなんでも出来る。どんな選択肢を選ぶことも出来る。

そこで不機嫌になり、それによる展開、未来も彼女は創れる。

負けたことを受け入れられない心でいても、

それを表に出さず、陽気に振舞う選択肢を選ぶことも出来る。

けれど、それを意識的にするなら、その後の展開に後遺症は現われないけれど、

無理にしているという自覚がなく、

無意識的にしてしまったとしたら、後遺症が出る可能性がある。

どちらにしてもその時より後の自分・自分の周囲を創る。

そして、もちろん、過去の多くの選択の結果が今に在る。