歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

エストマン『モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ』

2008年03月27日 | CD 古典派以後
Mozart
Così fan tutte
Yakar, Nafé, Resick, Winbergh, Krause, Feller
The Drottningholm Court Theatre Orchestra & Chorus
Arnold Östman
470 868-2

1984年録音。70分21秒/51分52秒/46分28秒。DECCA/L'Oiseau-Lyre。時代楽器を使ったモーツァルトのオペラ録音としてはごく早い時期のものだと思います。この『コジ・ファン・トゥッテ』はエストマンの、オワゾリールへのモーツァルト・シリーズ第1弾で、このあと『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『魔笛』の順で録音されました。わたしが買ったのは以上4種を紙箱に入れた再発ものです。予想どおり、ブックレットに歌詞はついていなかったです、トホホ。

エストマンの指揮はテンポよく運んで、しかもメカニカルな冷たさはまったくなく、むしろいかにも小劇場らしい親密な空気感をただよわせ、なかなかのものだと思います。これで、清新な若手中心のキャストが組んであったらもっと評判よかったろうにねえ。

フェランドのイェスタ・ウィンベルイは当時やや若手だったんだろうと思いますが、それをのぞくとベテランで固めた布陣(ただしデスピーナのジョルジーネ・レシックって人のことはよく分かりません。でもこの人巧いですよ)。ラシェル・ヤカールとアリシア・ナフェの姉妹は、悪くはないけど、個性不足でいまいち。ウィンベルイはこのあとカラヤンの『ドン・ジョバンニ』に起用される人で、ワーグナーもベルディも歌えそうな立派な声をしてますが、ここではモーツァルトをちゃんとそれらしく歌ってます。グリエルモのトム・クラウセは当時すでに大ベテランのバリトンで、どこか人を食ったようなのほほんとした声質でもあるので、グリエルモぢゃなくてドン・アルフォンソみたいに聴こえなくもない。カルロス・フェラーのドン・アルフォンソとレシックのデスピーナはそれぞれ「らしく」歌えていて、いいと思います。

トーマス・アレンがグリエルモを歌った70年代のグラインドボーンの映像がDVDで出ていて、先に買ってたんですよ。そのDVDのほうは、フェランドが不調だったのをのぞいて歌手は好演だし、舞台装置は美しく、演出もごくスタンダードな好ましいものでした。いちど映像で予習しておくと、他の演奏をCDで聴くにしてもイメージが湧きやすいのでいいですね。