歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

『知的生産の技術』について補足。

2006年08月06日 | 本とか雑誌とか
『知的生産の技術』に「日記と記録」という章が立てられていて、具体的な事実の記録としての公家日記の伝統にふれ、「日本の宮廷貴族の業務日記の伝統をこそ、われわれはうけつぐべきであると、わたしはかんがえている。」と述べる。その前の「手紙」の章には後陽成天皇が清原秀賢に宛てた手紙の話が出てきて、林屋辰三郎さんの説が言及されている。京都大学の人たちは専門がちがってもこんなふうに互いに情報交換が活溌だったんだろう。

「ペンからタイプライターへ」という章は、1960年代、知的生産を仕事としていた働き盛りの学者の、日本語タイプライターへの焦がれるような渇望が縷々つづられている。ワープロ時代をへて、いまやパソコンでもって自由に文章を「生産」できる環境を与えられているわれわれの幸福を、しみじみと感じさせられる。

梅棹忠夫『知的生産の技術』

2006年08月05日 | 本とか雑誌とか
梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、1969.07.21,第1刷、2005.09.15,第75刷、本体740円。

有名な『知的生産の技術』をようやく読んだ。この本についてはネット上で、あれはもう時代遅れ、という言い方をよく目にしていた。それを真にうけて、もう読まなくてもいいかなあと思っていたのである。しかし、通販サイトでなにかのひょうしに梅棹さんの『情報の文明学』という本を見かけて、読み、その勢いで『知的生産の技術』も読んでみることにした。

かな書きタイプライターの話が出てくる。写真まで載せてその使いやすさを説いているが、これなどは時代遅れといわれれば確かにそうだ。しかし具体的な道具の話は時代遅れになっても、情報を整理し、知的生産に資するものとするための梅棹さんの基本発想は、今日なお古びない。

すべて「カード」で整理する、というのが、この本で紹介されている梅棹さんの情報管理の技術だった。この発想はパソコン時代の今日においても、あるいはパソコン時代の今日だからこそ、各自が各自の仕方で取り入れて、オリジナルな情報管理術として実行すべきことだ。そのためのヒントがこの本には詰まっている。

この本のなかで梅棹さんが知的生産の技術に関して「今後こうなるだろう」と書いていることがらの多くは、今日その通りになっているし、著者が「こういう道具が出てくればとても便利になる」と書いているモノの多くは、パソコンをはじめとして、今日われわれが実際に便利に使うところとなっている。この本、もっと早く読むべきだった。せめてワープロ時代に読んで、備えておけば、その後の(今日にいたる)パソコン時代、情報の整理にこれほど右往左往させられることはなかった、かもしれない。

ぴゅっ。

2006年08月04日 | メモいろいろ
午前中にNHKの子ども科学電話相談をちらっと聞いていたら、セミをつかまえようとするとおしっこをして飛んでいくのはなぜですか、という質問があった。それに対して先生が「あれはほんとうはおしっこぢゃないんだよ」とこたえていた。なあんだ、そうなんだと思って聞いていたら、つぎに先生は、「ほんとうはおしっことうんちのまざったものなの」と言ったのである。うけた。

ムジカ・フィオリタ『メルーラ/器楽曲集』

2006年08月03日 | CD バロック
TARQUINIO MERULA
Canzoni, Danze e Variazioni
Musica Fiorita
Daniela Dolci
TC 591303

2004年録音。62分46秒。TACTUS。タルクィニオ・メルーラ(1594~1665)の世俗器楽曲を集めたアルバム。おすすめ。

メルーラという人のことははじめて知りました。17世紀イタリアの音楽というと、長生きしたモンテベルディ以外にはほとんど聴いたことがなかったんですが、どこかの通販サイトでこのCDをたまたま試聴して、気に入って買いました。曲の雰囲気はモンテベルディのオペラやマドリガーレにおける器楽パートと似ていますが、もっと涼やかでさっくりと楽しめます。ムジカ・フィオリタというグループもはじめて知りましたが、生き生きしていて新鮮な演奏。テクニックもまったく危なげありません。ダニエラ・ドルチという女性が鍵盤楽器を弾きながらリードしています。

楽器は、管弦打楽器に、ハープに、鍵盤楽器。曲は短いものばかりで、合奏ありチェンバロの独奏あり。多彩な演奏で、楽しめます。トラック9 "La Lucignola"のはじめのところに鳥の鳴き声が入ってきます。ナマ音ではなくて、効果音のようです。

トラック2の"Chiaccona"は、ヤーコプスがモンテベルディのマドリガーレ集第8巻で、"Ninfa, Che Scalza Il Piede"の冒頭に引用している曲。このモンテベルディのマドリガーレは、本来いきなりテナーのソロからはじまるはずなのに、ヤーコプスの録音ではトロピカルな感じのする前奏がくっついていて、気になってました。第8巻(1638年出版)だと、同時代の音楽ってことにはなりますね。

eg。

2006年08月02日 | MacとPC
通りすがりのかたに教えていただいて、egbridgeの環境設定ツールでさっそく、「「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を補正」にチェックを入れた。それでegbridgeでも「ゆうづう」と打って「融通」と変換させることができるようになった。ただこのチェックは、あくまでもユーザーの打ち誤りを「補正」するのが目的みたいね。すなわち、egbridgeのスタンスとしては、《間違って「ゆうづう」と打ってしまっても、ちゃんと「融通」と変換してあげますよ》という気持ちらしい。

まあ、わたしのような変なこだわりをもっていなくて、ごく一般的な用途に使う場合は、egbridgeはよく出来た日本語変換プログラムだと思います。

ところで、egword universalのほうで、禁則がカスタマイズできないのが困ったなあ。ヘルプによると、《禁則は日本語組版の標準規格である「JIS X 4051」に準拠して処理されます。/禁則文字の変更はできません。》とのこと。それと、改行後の行頭にはじまりのカギ括弧(「)が来る場合、自動的に半角になってしまうのも、ちょっと具合が悪い。

それにしても、egwordがこう軽くなると、Mac用のエディタをつくってくれていた人たちが制作意欲を失くしやしまいかと、それもちょっと心配。わたしの場合、エディタはJedit XとLightWayTextを併用していて、文章のちょっとした下書きやオフラインで書く日記だとかはJedit Xを使い、漱石や古典を写したりするときはLightWayTextで縦書きすることが多い。どちらも、なくてはならない便利な道具である。なくなったら困る。

ヤーコプス『バッハ/モテット集』

2006年08月02日 | CD バッハ
J.S. Bach
Motets
RIAS-Kammerchor
Akademie für Alte Musik Berlin
René Jacobs
HMC 901589

1995年録音。72分22秒。HMF。バッハの『モテット集』を聴くのはユングヘーネルに続いて2枚目。わたしの好みとしてはユングヘーネルよりもこっちのヤーコプスのほうがいいです。ユングヘーネルのは1パート1人で歌わせて、声楽アンサンブルの高度なテクニックを聴くべきスリリングな名演でしたが、こちらはしっかりした声の厚みで、より普遍的に合唱の楽しさを楽しめます。

ゾリと合唱の対比がよく効いています。合奏協奏曲みたいです。ゾリとして、シビラ・ルーベンス、マリア・クリスティーナ・キール、ベルナルダ・フィンク、ゲルト・テュルク、ペーター・コーイがところどころ出てきて歌っています。キールとテュルクはユングヘーネル盤にも出ていました。

指揮者としてのヤーコプスという人は、じつに聴かせ上手ではあるものの、演出過剰な場合が多いと思います。モンテベルディもヘンデルも、余計なものをくっつけすぎていて、あまり感心しません。が、バッハについてはよさそうです。この演奏と『ロ短調ミサ』しか聴いていませんが、どちらもいいです。

それにしてもモテットというのはバッハの合唱技法のエッセンスですね。伴奏がシンプルなだけ、合唱に集中できるのもいい。いちど歌ってみたい。

カークビー『パーセル歌曲集』

2006年08月01日 | CD パーセル
Henry Purcell
Songs and Airs
Emma Kirkby
Christopher Hogwood
Anthony Rooley
POCL-5213

1982年録音。45分59秒。Oiseau Lyre。カークビーは、英語の歌を、あまり大げさでない小ぶりな編成で歌うときがもっともいきいきして聞こえる。このパーセルなど、まさにそう。カークビーが絶頂期にさしかかったころの録音で、いい時にいい録音を残してくれたものだ。冒頭の"Hark! Hark! How all things"から引き込まれて、最後の"An Evening Hymn"まで一気に聴き通してしまう。ホグウッド、ルーリー、そしてガンバのリチャード・キャンベルが控えめに下から支え、とにもかくにもカークビーのパーセルに焦点を合わせて、じっくり味わわせてくれる。ただし、およそ46分という収録時間は今となっては短かすぎ。"Fairest Isle"が入っていないのがさびしい。カークビーで"Fairest Isle"、聴きたかったなー。