Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

佐渡島Mt&BIKEひとり旅 4日目前半

2023年06月03日 | 
5/27(土)、最終日の朝。
きのうフロント脇でお弁当を販売しているのを発見。
これは便利。
今朝はその中からカレー味の炒飯弁当を買い、朝食に。
きょうは北に向かい、佐渡金山を見学します。
きのうよりずっと距離が短いので気持ちも楽です。
2連泊した「たびのホテル佐渡」をチェックアウト。
鍵付きの倉庫に自転車を保管していただきありがとうございました。
大きなザックはここからSADO OUTDOOR BASEに配送してもらいます。
出発前に葉っぱや砂が付いていた自転車をきれいに拭いて準備完了。
フル充電100%で行ってみよう!
佐渡金山までの道で心配なのは、トンネルです。
両端に一段高い歩道があればいいのですが、はたして?
街中をスイスイ走り海沿いに出た後、山道に入ります。
一番の不安要素 中山トンネルが見えてきました。
よかったぁ~。
左右に歩道がありました。
右側の方が広かったので、ここは右の歩道を走ります。
トンネルを抜け、再び海に出ました。
立ち寄る予定はなかったのですが、こんな構造物を見つけ思わず停車。
ここは「大間港」
明治25年、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港だそうです。
コンクリートに見えますけどね。
鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使用されていたそうです。
現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。
きょうはここまで行ったらUターンしようと決めていた下相川の浜に到着。
ここでぜひとも見たい観光スポットがありました。
手前は吹上海岸石切場跡。
左の石積みは名奉行「鎮目(しずめ)市左衛門の墓」
この2つではなく、奥にある大きな岩。
ここから見るとまったくわかりませんが、回り込むとくさび型の岩がすっぽり。
これが見たかった。
「弁慶のハサミ岩」
待ち伏せした鬼が佐渡弁慶と力比べを所望。
力自慢の佐渡弁慶が投げ飛ばした岩がここまで飛んできたと伝えられています。
それでは佐渡金山まで戻りましょう。
金山手前にこんな大きな産業遺跡がありました。
「北沢浮遊選鉱場跡」
山から掘り出した鉱石を選ぶ場所で、「浮遊選鉱」という方法を金や銀に応用し日本で初めて実用化に成功した施設。
1ヶ月で5万トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一の浮遊選鉱場」と言われていたそうです。
今では佐渡のラピュタとも言われているそうで、人気のフォトスポットに。
こちらは「シックナー」
泥状の鉱石と水を分離する施設で直径約50m。
浮遊選工場と共に昭和の大増産を支えました。
「鋳造工場跡」
左側の白い建物はCafe「北沢Terrace」
時間が早過ぎてやっていませんでした。
石畳の道があるので、自転車でも中まで入ることができました。
右に小さく見えるレンガ造りの建物は火力発電所だそうです。
坂を上がり、上からも見てみました。
反対側には佐渡奉行所跡がありました。
佐渡は「天領」と呼ばれる江戸幕府の直轄領で、金銀山と佐渡一国を治めるために相川に佐渡奉行所を設置。
有料だったので、入口からチラッと見るだけね。
葵の御紋、かかってますね。
緩い上り坂を進んで行くと、出ました。
新潟県知事書の「輝け!世界の宝 佐渡金銀山」
せっかくここまで来たので、佐渡金山を過ぎ、史跡 大立竪坑まで行ってみました。
あら、保存修理中でしたか。
竪坑とは地下の鉱脈を掘るための地中エレベーター。
現在の立坑櫓は昭和15年完成、平成元年の休山まで使用。
最終深度は352mだそうです。
ここから引き返し佐渡金山へ。
おススメのB+Cと2つ楽しめるAコースにしてみました。
料金1,500円。
下には「穴の中は約10℃で寒いです」の注意書きあり。
もちろんレインジャケット、持参しましたよ。
まずは階段を下り、江戸金山絵巻コースの宗太夫抗へ入ります。
確かに涼しい。
そして見学者、少なっ。
というかいない・・・。
おー、採掘作業を忠実に再現しています。
人形がぐるぐると取っ手を回していてなかなかリアル。
坑道は開山から100年足らずで海面下になり地下水が流出。
水との戦いが採掘量に影響したそうです。
左のオスマン・サンコン似のおっちゃんは、水上輪を操作する樋引人足。
24時間連続の作業で交代制だったそうな。
坑内で食事や休憩する姿。
手前の3人は鑚と鎚で鉱石を掘る金穿大工。
採掘は4時間ごとの交代制で、技術者として賃金もよく優遇されていたそうですが、
労働環境は悪く、短命の人が多かったそうです。
ドキッとしたのはこちら。
左手前の番所役の人形が、
振り向いた~~~~~。
もー、驚かすんじゃないっちゅーの!
回りに誰もいないし、ちょっと怖かったぜ。
これは間切改め。
奉行所が発注した見積り通りに掘られているか、どれだけ進んだか検査しているところ。
坑道を出ると、今度は室内展示室へ。
アリの巣のような坑道だったんですね。
樋が並び湧き水を汲み上げ坑外へ排水している様子がよくわかります。
本物の佐渡小判ですか。
江戸時代に佐渡で作られた希少な佐渡小判と一分金。
光り輝いてます。
越後屋からこんな小判の束を差し出されたら「お主も悪よのー。」と袖の下に入れちゃう気持ち、
わかりますって、お代官様。
なにやら騒いでいるコーナーが。
この丸い穴から手を入れて、中の純金延べ棒を30秒以内に取り出すというチャレンジ。
時価約1億円以上の純金延べ棒は12.5kgもあり、やってみるも無理ーーーーー。
めちゃくちゃ重く、右腕全体に乗せようと思ってもまったく出来ませんでした。
片側がほんのわずか上がっただけでギブアップ。
3,044人も成功したなんて、信じられません。
成功してもこの延べ棒がもらえる訳もなく、シリアルナンバー入り金箔カードの贈呈でした。
土産物売場を通り、外に出ると金の鯉?
西伊豆の土肥金山からやってきたそうな。
見ただけでご利益あるといいな。
再び入口に戻り、今度は明治官営鉱山コース 道遊抗へ。
こちらは明治から平成元年の操業休止までの約100年間使用された坑道。
日本酒の熟成所として有効利用されていました。
トロッコも当時のまま保存。
奥の坑道から外に出てきました。
右の坂を上がり、
徒歩約7分の道遊の割戸へ行ってみましょう。
これが開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡ですか。
山の頂が真っ二つに掘り割られていることで佐渡金山のシンボルです。
穴の中をズームしてみました。
なんかイメージしていたのと違ったなぁー。
もっとはっきり割れていたのに。
道を下り、順路の機械工場へ。
坑道内を走っていた2トン蓄電式機関車。
24個の蓄電池が搭載され、作業終了後に毎日充電されていたそうです。
窓ガラスに三菱のマークが入っていました。
相川金銀山は明治29年、宮内省から三菱へ払い下げられました。
昔のままの電話が工場内に残っていました。
今の若い人たちはこれを見ても電話だと思わないでしょうね。
工場を後にすると、あったぁ~。
これです、これが見たかったの。
「道遊の割戸」
先程近くまで行った道遊の割戸ですが角度が違うのか、こっちの方がわかりやすい。
巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れてしまいこんな姿に。
こんなぱっくり割れるもんなんですね。
山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74m。
ちなみに割戸の下はこんな感じ。
道遊抗の説明書きにこの上が道遊の割戸とありました。
史跡 佐渡金山、2コースたっぷり見学したら1時間以上経過。
いやぁー、なかなかおもしろかったです。
それでは大佐渡スカイラインを下り、京町通りに参りましょう。

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