アップリンクで「トゥーマスト」を見てきました。(この映画館での上映は既に終了しています。)
サハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のバンド「トゥーマスト」を追ったドキュメンタリー。トゥアレグ族といえば、昔、ティナリウェンは聴いてましたが・・・。「トゥーマスト」はティナリウェンの弟分にあたるバンドで、2008年にピーター・ガブリエルのレーベルからデビューしています。(以下、ネタバレします。)
トゥアレグ族は、サハラ砂漠を遊牧する、ベルベル人系の遊牧民族。20世紀にフランスによる植民地政策が始まり、5つの国に分散、「国家なき民族」になりました。トゥーマストのムーサは元レジスタンス兵士。80年代にサハラ共和国構想を打ち出したリビアのカダフィ大佐の元で兵士としての訓練を受け、そこでギターとカラシニコフを手に入れ・・・音楽で世界を変える戦いを始めます。ちなみに「トゥーマスト」はトゥアレグの言葉で「アイデンティテイ」を意味するそうです。
映画はムーサやトゥアレグの人々へのインタビューを中心に進んで行きます。そして、その背後に映し出されるサハラ砂漠の美しさ。砂漠というと、索漠としたイメージでしたが、こんなに美しかったんだな、と初めて思いました。ムーサの話は淡々としていますが、仲間が次々と死んでいく、過酷なゲリラ戦の様相が伝わってきます。ムーサは武器では世界にメッセージを伝えられないことを悟り、音楽を武器に世界にメッセージを送ることを決意します。トゥアレグ族には新聞もラジオもないのです。カセットテープを所持することも許されないため、パリで活動をすることになります。
音楽が出てくるシーンは後半に集中していましたが、ムーサたちのレコーディングのシーンがあって、これがけっこう微笑ましい感じでした。マイクに向かうと緊張しちゃうとか、メトロノームにうまく合わせられられないとか。でも、ライヴになると神がかったパフォーマンスを繰り広げます。ムーサの奥さんもバンドに参加しているのですが、歌っているとトランス状態に入るというようなことを言っていました。トゥアレグは母系社会で、音楽では女性も重要な役割を果たしています。そう言えば、女性だけの歌のグループも登場していました。曲は全てオリジナルで、社会的な問題も歌にしています。
映画の中で最も心に残ったのは、ムーサの「もう二度と銃は使わない。俺たちが 銃で戦っていたときはトゥアレグ族の状況は知られていなかった。今、やっと俺たちのメッセージが世界に伝わり始めた」という言葉です。確かにそれは正解、こうして彼が音楽を始めたからこそ、彼らの音楽が、そして映画が極東の島国にいる私のところまで届いてきたのでしょう。まさに、「ペンは剣より強し」ならぬ「ギターは銃より強し」なのやもしれません。ただ、彼はある意味、幸せな転向をはかることができましたが、世界にはその逆を行かざるを得なくなってしまった人々も少なからずいるだろう、と思うと暗澹たる心持ちになりました。そして、レベル・ミュージックの宿命についても考えさせられるところがありました。送り手側にとっては生きるか死ぬかのメッセージだけれど、受け手の側は、エンターテインメントとして消費してしまっているという面もある。しかもメッセージが切実であればあるほど、エンターテインメントとしての価値も増すという・・・。とはいえ、メッセージが言葉だけであったとしたら、赤の他人にどこまで伝わっただろうか・・・。娯楽にもなれば武器にもなる、諸刃の剣ともいえる音楽の力について、あらためて考えさせられてしまった映画でした。
サハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のバンド「トゥーマスト」を追ったドキュメンタリー。トゥアレグ族といえば、昔、ティナリウェンは聴いてましたが・・・。「トゥーマスト」はティナリウェンの弟分にあたるバンドで、2008年にピーター・ガブリエルのレーベルからデビューしています。(以下、ネタバレします。)
トゥアレグ族は、サハラ砂漠を遊牧する、ベルベル人系の遊牧民族。20世紀にフランスによる植民地政策が始まり、5つの国に分散、「国家なき民族」になりました。トゥーマストのムーサは元レジスタンス兵士。80年代にサハラ共和国構想を打ち出したリビアのカダフィ大佐の元で兵士としての訓練を受け、そこでギターとカラシニコフを手に入れ・・・音楽で世界を変える戦いを始めます。ちなみに「トゥーマスト」はトゥアレグの言葉で「アイデンティテイ」を意味するそうです。
映画はムーサやトゥアレグの人々へのインタビューを中心に進んで行きます。そして、その背後に映し出されるサハラ砂漠の美しさ。砂漠というと、索漠としたイメージでしたが、こんなに美しかったんだな、と初めて思いました。ムーサの話は淡々としていますが、仲間が次々と死んでいく、過酷なゲリラ戦の様相が伝わってきます。ムーサは武器では世界にメッセージを伝えられないことを悟り、音楽を武器に世界にメッセージを送ることを決意します。トゥアレグ族には新聞もラジオもないのです。カセットテープを所持することも許されないため、パリで活動をすることになります。
音楽が出てくるシーンは後半に集中していましたが、ムーサたちのレコーディングのシーンがあって、これがけっこう微笑ましい感じでした。マイクに向かうと緊張しちゃうとか、メトロノームにうまく合わせられられないとか。でも、ライヴになると神がかったパフォーマンスを繰り広げます。ムーサの奥さんもバンドに参加しているのですが、歌っているとトランス状態に入るというようなことを言っていました。トゥアレグは母系社会で、音楽では女性も重要な役割を果たしています。そう言えば、女性だけの歌のグループも登場していました。曲は全てオリジナルで、社会的な問題も歌にしています。
映画の中で最も心に残ったのは、ムーサの「もう二度と銃は使わない。俺たちが 銃で戦っていたときはトゥアレグ族の状況は知られていなかった。今、やっと俺たちのメッセージが世界に伝わり始めた」という言葉です。確かにそれは正解、こうして彼が音楽を始めたからこそ、彼らの音楽が、そして映画が極東の島国にいる私のところまで届いてきたのでしょう。まさに、「ペンは剣より強し」ならぬ「ギターは銃より強し」なのやもしれません。ただ、彼はある意味、幸せな転向をはかることができましたが、世界にはその逆を行かざるを得なくなってしまった人々も少なからずいるだろう、と思うと暗澹たる心持ちになりました。そして、レベル・ミュージックの宿命についても考えさせられるところがありました。送り手側にとっては生きるか死ぬかのメッセージだけれど、受け手の側は、エンターテインメントとして消費してしまっているという面もある。しかもメッセージが切実であればあるほど、エンターテインメントとしての価値も増すという・・・。とはいえ、メッセージが言葉だけであったとしたら、赤の他人にどこまで伝わっただろうか・・・。娯楽にもなれば武器にもなる、諸刃の剣ともいえる音楽の力について、あらためて考えさせられてしまった映画でした。
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