企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

職場のIT化の功罪

2004年08月28日 | 企業の一般的な話
PCの普及により、会社という会社にPCが導入されています。あなたの働く会社もそうだと思います。
まだ、本当の意味であるPersonalに割り当てられた状態ではない、なんてツッコミは置いておきます。

功罪というからには、現場を見てからいろいろと感じることがあるのです。
まず、功から。
○データの共有が進むようになりました。メールの同時配信ができ、また、通信が残ります。言った言わないが起きなくなった。
○誰でも、数字を分析できるようになった。これまではごっついシステムを使わなければ出来なかったようなクロス分析が、エクセルでできるようになった。
○報告書ひとつつくるうえでも、きれいに作れ、コンテンツの再利用が簡単にできるようになった。


一方、罪は。
○印刷物が増えました。みんなが、ちょっとした資料を印刷する。紙の使用量がすごい増えていると思います。(家では印刷しないような人でも、会社では印刷をすっごいするんですよねぇ)
○PCの使い方を勉強しないで、わからん、と言っている人が出てきた(仕事だろ、いやなら、転職をしろって感じですね)
○PCでの作業の効率化を勉強せずに、使いづらいとは分かっていても、そのまま時間をかけて作業をしてしまう人がいる(ちょっと勉強すれば、その後の仕事が大分楽になるに関らず、勉強をしない)
○インターネットで遊んでしまっている人がいる
○大量データの流出が容易に怒るようになってしまった
まだまだ沢山あるでしょうね。

こういった問題、それぞれの企業でどんな風に解決していっているのでしょうか?

私なんかからすれば、厳しくやれ、やるな、と伝える他には、なんか手がないような気がするのです。
アイディアを聞きたいものです。
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なぜ、長時間の会議で平気でいられるのか

2004年08月28日 | 企業の一般的な話
月に何回か、まるまる一日会議という日がある。仕事の関係でだ。その会議は、経営会議であったり、営業会議であったり、プロジェクト発表会であったり。
正直、まるまる一日の会議って、集中力が持たない。日によっては、会議の内容を聞いていないことが多かったりもする。

それにしても、なんで、企業の人々は、あんなに長時間の会議が平気なんだろう。確かに、プロジェクトの発表会のようなもの、また、ディスカッションが中心の会議なら、まぁ、平気だ。でも、そうではない内容、例えば、紙を見れば分かるような数字を、どんどん読んでいくだけのような会議。

これまでの経験で、会議に対して思うこと。
☆主張をロジカルにまとめてもらいたい。
☆その主張に必要なファクトをしっかり出してもらいたい。
☆発表者が全てを発表しようとせず、ポイントを絞って発表して、そこへ質問が出れば教えてもらう形にしてはどうか。というか質問は、随時受け付けるべき。(うーん。これが機能するには、発表者がストーリー性をもって発表しており、質問者も、論理的に考えられる人でないといかんのだろうなぁ。すなわち、ロジカル・プレゼンテーション/コミュニケーションという共通言語(^_^;)、言語はないか)を話せる人でないといかんわけだ)

上記は、発表会でも会議でも共通している話だね。
加えて、所謂ディスカッションについては・・・
☆司会も含めて7人くらいまでが人数としては限度ではないか。それ以上多すぎると、人の話を聞かない。喋らないという現象が発生する
☆喋る人は、結論から先に、ストーリーをもって喋る
☆自分が聞かなくてもいいや、と思って一人で考える人がいるので、話ながら書きながら考える。(ロジカルに考えることができれば、そんなに問題にならないと思う)


以上、人が長時間会議で頑張っているのを見て、自分にはできないことを、その会議の所為にしようとしている。昔の会社は、会議慣れしていたのかもしれない。私にとっては、長時間の会議は無駄。ポイントを絞って、さっさと報告すればいい。全体感さえしっかり説明してもらえれば、あとは、情報が小出しになってもいい。責任者が、まとまった情報を、会議で初めて報告受ける、というやり方で経営する時代は終ったのではないか?
課題解決のフレームワーク、課題・仮説についての意識の擦り合わせにさえしっかり時間を取っておけば、あとは、短い時間で報告していいのではないかと思うのだよね
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なぜ、自分はよくストレスを感じるのか-運が悪い-いやいや禍転じて福だよ

2004年08月28日 | 企業の一般的な話
どうも、人の話を聞いていて、自分がストレスを感じるのは、自分勝手なだけではないらしい。

自分自身は運がいいと思っていた。今の自分があるのも、セブンイレブンの711円のくじ引きで7回引いて5回あたるのも、運がいいからだと思っていた。もちろん、マカオで大小をやって10回連続で負けたことも、ネタを提供できるという意味でいい経験だと思う。懸賞も、おおきなものは当たらないが、小さなものはたくさん当てた。そういや、宝くじはあまり当たっていないな。

しかし、サービスを受けるという時には、どうも、そうではないようなんだ。今年の例。
☆タクシーにのって、事故にあいそうになることは多数。運転が下手くそで、気分が悪くなることもよくある。道を知らないのか、へんな道に行かれることもある
☆理髪店で、剃刀で小さな怪我をさせられたことも多い
☆新幹線が止まるトラブルに3度あっている。まぁ、自然災害と、架線火災だっけ。
☆新幹線車内で、側頭部に他人の荷物がぶちあたったこともあった
☆買った商品が不良品であることは多い。スーパーでは、果物では、りんごなんて最悪だ。あのヤオコーでもそうだったもんなぁ
☆新幹線の中で、スーパーで買ったお刺し身を、素手で食べたこともあったなぁ。それも醤油無しで。「お箸つけますか」と聞かれて、ハイ、って言ったはずなのに・・
☆ホテルに泊っていて、音のトラブル、クレンリネスのトラブルに何度もあっている
☆時間制の駐車場から出る時、出口に何台か並んでいた。動かない。何故かと見ると、出口で機械が故障しているようだ。さっさとゲートをあけて、車を通せばいいのに、通さない。なおそうとしている。そしてなおらない。結局、修復はあきらめた。15分になるか?その間で、既定の時間を過ぎてしまった。金を払えという。怒鳴って無視して出てきた
☆加えて、あるエレベータを使おうとして、他の関係者は通れるのに、私は名札を付けていても、通さないといわれた。本来のルートを使って行けと・・・

自分勝手? 確かに、限られた情報で、効率のよさそうな目的達成の手段を考えると、現場で設定しているルールと齟齬をおこすことが多いのかもしれない。

そう、二つの理由があるんだろうな。
1 出張生活が多く、人よりも、サービスを受ける頻度が多い。だから
2 その場その場の場面での、最適な目的達成手段について、限られた情報の中で素早く判断する癖がついており、その自分が考える理想(これが自分勝手なんだが)と現実との差がストレスになるんだろうな、と思う。
このストレスをばねにして、仕事に活かしていくしかないのかな?
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サービスを受ける時に感じるストレス

2004年08月28日 | 企業の一般的な話
毎日のように、町を歩いていて、いろんな商店でのサービスをうけるけれど、ストレスを感じることが多い。自分勝手すぎるから、ストレスを感じるのかもしれないけど、他の人と同じサービスを提供してもらいたい。だって、同じ対価を払っているのだから。
昨晩、天王寺で甘太郎という居酒屋へ行った。食事を終えて、まったりしているところへ、店員から「本日二時間制なんで出てください」との言葉。そんな話入る時には聞いていない。本日なのか、それとも、その店はそういう店なのか?いずれにしても、そういうつもりで入ったわけではない。加えて、ビールが出るまでかなり時間がかかっていた。閉店は11時半。我々が入ったのは9時だったらしく、11時に追い出された。お店の中は、かなりがらがら。

甘太郎、何がいけないと思う?
-最初に、2時間と言わなかったこと
-ビールが遅かったこと、おそい分、店で楽しむ時間が減る
-上記は、客の視点から見たポイント。一方、ビジネスとしてみれば・・・さっさとビールを出して、客単価をあげて、沢山食べてもらう。加えて、機敏に対応することで、客の回転も高める。
-加えて、11時半の閉店まで好きに時間を過ごさせる。あと少しです。そもそも、客に対して、2時間制って言っていなかった。それを確認せずに、追い出しにかかった。このあたりが、あきまへんな。

二度と行きません。あんなお店。塩ラーメンは美味しかったけれど、あんなサービスの店はごめんです。ラーメンだって、居酒屋として美味しいだけ(泣)
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