あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

原発事故の陰で苦しむ人々

2014-03-10 16:06:05 | インポート

3/8付の新聞記事を読んで、東電社員の家族の方々が抱えている辛い思いを知りました。当事者責任が問われる東電経営陣がいる一方で、事故の処理のために最前線で奮闘されている社員の方がおられるのだということを忘れてはいけないと思いました。周囲から加害責任を問われ、肩身が狭く身の置き所のない家族の方々。自らも被害者であるのに、東電社員であることの重圧にも耐えなければならず、辛く苦しい生活を強いられているのだと思います。

福島県楢葉町に自宅のあった(事故を起こした原発から20キロ圏内)矢代悠さんは、避難先のいわき市で高校の卒業式を迎えました。父親が東電社員であったために、事故以来両親の間に溝ができ、楽しかった家族の会話も途絶えてしまったとのこと。父親は、事故の収束作業に従事し、月に8日程度しか避難先の家に戻れず、細い体がさらに痩せ、ほおがこけたそうです。母親は、知り合いから口々に「どう責任をとるの」「被害者面して」と言われ、携帯電話から約30人の名前を消したとのこと。また、祖母までが「おめえの旦那が東電のせいで、どれだけ世間体を悪くしてるか」と言い、泣いたそうです。悠さん自身も友人と打ち解けて話すことができない苦悩を抱え、脱原発のデモのニュースをテレビで見ると、父親が責められているような感じがして腹が立ったとのこと。それでも、「父のことを話せば、軽蔑した目で見られるかも」と思い、父のことを深く話せなかったそうです。

悠さんは、この状況から自ら新たな一歩を踏み出します。「震災で減った観光客を呼び戻そう」という企画で始まったバスツアーに案内役として加わり、東電社員として事故の収束作業にあたっている父のことを語ったそうです。

悠さんは4月から県内の大学に入り、建築を学ぶそうです。願いは「昔のように、家族でリビングに集まって仲良く話したい。」とのこと。さらには、祖母に会いに行って話を聞き、家族の関係が変わるきっかけにしたいとのことです。

事故によって避難を余儀なくされ、家族関係まで壊れてしまったことに、その上東電が勤め先であったことによってさらに重い負担を背負うことになった、悠さんご一家の辛苦に、言葉もありません。被曝の危険の伴う 事故現場の最前線で働く、多くの東電社員の皆さんの苦労と家族の心痛を想います。

悠さんのお父さんは、4号機の使用済み核燃料を取り出す作業に従事しているとのことです。宙づり状態の格納プールから取り出す作業ですから、細心の注意を要する危険な作業なのだと思います。そういった最前線で働く人たちがいて、収束作業が進められているのだという事実の重さを深く受け止めたいと思います。

廃炉までの一連の工程が安全に計画通りに進められ、家族関係が元のような温かい関係に回復できることを心から願わずにはいられません。


「原発ゼロ」を読んで

2014-03-04 09:31:22 | インポート

京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが最近書かれた「原発ゼロ」:幻冬舎ルネッサンス新書を読みました。小出さんの講演を以前聴いたことがあるのですが、その後のさまざまな問題や課題も踏まえてまとめられた著作です。

本書を読んで、原発は要らない という思いを改めて強く持ちました。

その理由を2つの観点から、まとめてみたいと思います。

○原発事故は、今でも続いており、廃炉が完了し、福島の人々が安心できるまで終わりがないのだということ。

 廃炉までの工程は、格納プールに入っている使用済み核燃料の取り出し、メルトダウン(原子炉の炉心がとけて落ちること)した1から3号機までの核燃料の取り出し、建物の除去といった段階を経る。しかし、工程を進めるにあたってさまざまな課題がある。

 4号機には、壊れた建屋の中に 宙づりの状態で格納プールに入っている使用済み核燃料が1331体(広島原爆の14000発分)あり、その取り出し作業が現在行われており、2014年末までに終える予定とのこと。ただその間に新たな地震が起き、プールが破損した場合、ケタ違いの放射能(事故で放出された放射能の100倍)が放出されてしまう危険がある。

 メルトダウンを起こした3号機は2015年から、1・2号機は2017年から使用済み核燃料の取り出しが行われるとのこと。しかし、メルトダウンによって高度に汚染された中で、取り出し作業が計画通りに実施可能なのかどうか。

 次に、とけ落ちた核燃料の取り出し作業となるが、分散した状態なのかひと塊りになっているか等、その状態は今のところ不明である。小出さんの考えでは、すべてを取り出すことは到底不可能であり、最終的には放射能漏れを防ぐために石棺で覆うより方法がないのではないかとのこと。チェルノブイリの石棺は30年しかもたなかったことを考えると、一度石棺で覆ってもさらにその外を新たな石棺で覆うことが必要とされる。

 これらの工程を安全にすべて完了するのに、どれだけの年月が必要とされるのでしょうか。汚染水の対応さえままならない現状を考えると、作業を進める中で新たな課題や問題が見つかり、計画通りに進むことがないように思えます。確かなことは、福島の人々が安心だと思えるまで、事故には終わりがないのだということです。

○原発を稼働させることによって生じる核ゴミ(使用済み核燃料など高濃度の放射性物質)は、どうなるのか?

 これは、避けては通れない大きな問題ですが、後始末の方法については政府の方針も決まっていません。否 正しく言うと、決められないのが実情なのでしょう。地下深く埋める地層処理をするのか(地震大国のどこに安全に埋められる場所があるのでしょうか)、地上のどこかに放射能を漏れを防ぐ遮蔽した施設を造り人的監視の下、保管処理するのか(それをどこにつくるのでしょうか。安全神話が崩れた中で、危険な核ゴミを受け入れるところなど、どこにもないように思えるのですが)。いずれにしても、放射能は現在の科学力では無力化することが不可能ですから、人体への影響を与えない管理方法しかとることができません。しかも、さらに再稼働させることで新たな核ゴミがまた増えることになります。後始末の方法さえ見つからないのに、危険な核ゴミを増やし続け、その処理を未来に付け届けすることは許されないことなのだと思います。

 原発事故によって日本中にまき散らされた放射性指定廃棄物さえ、その処理の行方が決まっていません。政府は、最終処分場を被災した5つの県に一カ所ずつつくるという方針で、その処理を地方に丸投げしようとしています。福島県内の放射性指定廃棄物は、中間貯蔵施設で管理し、30年以内に県外に移設するという方針ですが、それは果たして可能なのでしょうか。政府の責任で対応しきれないところに、問題の根本があるのではないでしょうか。

 それだけ核ゴミの取り扱いは深刻な問題なのだと思います。それなのに、あえて原発の再稼働を進め、原発の外国への輸出さえ考えているのですから、あきれてしまいます。

 電力の必要性から、再稼働が必要だと語っているようですが、原発が稼働していない現状でも電力不足は生じていないのではないでしょうか。むしろ、原発事故によって節電の考えが浸透し、電気器具も消エネ型に改善・改良されている状況なのではないでしょうか。太陽光発電等、自然エネルギーを活用した電力で、新たな需要も十分に補っていけるのではないでしょうか。

 核ゴミをどう取り扱うか、この課題に正面から向き合うならば、即 原発ゼロに政府の方針を転換し、核ゴミの処理方法を検討して国民に提示し、長期にわたる廃炉計画を具体化していくことが求められます。

 原発の問題は、国民の未来にかかわる大きな問題です。再稼働を認めるかどうかについては、国民投票制度のような形で、広く民意を問う必要があるのではないでしょうか。特定秘密保護法案が、多くの国民が反対する中で強行採決されたように、民意を問わずに猛進する政府の姿勢に歯止めをかける国民投票制度の必要性を痛感します。

 小出さんは、本書の中で 科学者としての姿勢を次のように語っています。

~(本文より抜粋) 科学が見つけたものが社会で間違った形で使われてしまい、それがコントロール不能に陥った時、科学に携わっているものには、特別重たい責任があると私は思います。その責任をどうやって果たしていくか、それが私にとっての課題ですし、科学に携わっている人たちにもきちんと考えてほしいと思います。

 また、自分の生きる姿勢を次のように語っています。

~米国のレイモンド・チャンドラーという作家は、「プレイバック」という小説の中で、「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」と書いています。……いったい「優しく生きる」とはどういうことなのだろうと、私はずっと自問しながら生きてきました。そして最近、「自分以上に生きることに困難を抱えている生き物にどのような眼差しを向けるかで優しさが決まる」と思うようになりました。日本を含めたそれぞれの国で生きる子どもたちに対してもそうですし、牛でも馬でも、すべての生き物に対してもそうです。大きな権力に虐げられた社会的弱者に寄り添い、優しく生きることを貫く。それが一番強いことであり、本当の強さなのだと思います。このことを忘れずに、私はこれからも私なりに生きていこうと思います。

 社会的弱者に寄り添い、優しく生きることを貫く という姿勢が、小出裕章という人物の生きる哲学であり、それを貫き通してきた人生でもあったのだと思います。敬愛の思いを込め、自分の生き方の中にもその哲学を取り入れることができたらと思います。

 政治家も 福島の人々の思いに寄り添い、原発ゼロの方向に踏み出してほしいと願うのですが……。

 まずは、自分のできることから原発ゼロに向けた一歩を歩んでいきたいと思います。

 


まどみちおさんの詩

2014-03-02 14:29:19 | インポート

まどみちおさんが、104歳の生を閉じたことをニュースで知りました。大好きな詩人でした。

理論社から発刊された全詩集には、本人の意思もあり、戦争を謳歌する詩2編も収められています。あとがきで、その経緯を振り返り、自責の念を深く述べておられます。命の不思議さやかげかえのない尊さを 時空を超えて見つめてこられた詩人だからこそ、過去とも誠実に向き合われたのだと思います。心からご冥福をお祈りいたします。

たくさんの好きな詩の中から1篇を取り上げ、追悼の思いを込めて次に紹介します。

              光

                       まど みちお

手でさえぎると 

地面が暗くなるので わかる

こんなに ここに 

太陽の光が 流れてきているのだ

     ここに存在する 

     すべてのものにねだられて

     一おく五千万キロの むこうから 

     川の水のように やすみなく

     あとから あとから あとから…

         だが川の水は さえぎると溢れて 

         激しくそれを おし流そうとするのに

         光は おとなしい

         さえぎる ぼくの てのひらの上に 

         ひよこのように ちょこなんと…

              ああ 何なのだろう

              光というのは

              地球の夜を 消し去って

              自分が無いかのようにして

              ここに 昼があるというのは

              このかぎりない やさしさは!

光のかぎりないやさしさを 一瞬にして気づかれたのでしょうか。さえぎるてのひらの上に、ひよこのようにちょこなんと たたずんでいる 光のありようを見たことで。ひとつの切り取られた景色が、まどさんの限りない想像の世界の中で意味のあるものとして形となり、言葉となって私の心に下りてくるようです。

一億五千万キロの旅をしながら、川の水のようにあとからあとから降り注ぐ光。分け隔てなく地球上にあるすべての上に、自分は無いかのようにして 昼を届ける。さえぎるものがあればおとなしくそこにちょこなんと在り続ける。

そんな光のありように、人間としての理想的なありようを見たのでしょうか。

まどさんの一篇一篇の詩には、さまざまな光が織り込まれているような気がします。その光が心に届くことで、自分自身が少しは豊かになっていけるような感じがしました。

これからも まどさんや吉野弘さんの詩を取り上げながら、私なりに見出した光を紹介していけたらと思います。