あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

飲み会と詩

2014-03-10 17:42:49 | インポート

8日の土曜日に、かっての職場の仲間たちとの飲み会がありました。酒が進むにつれて、当時のいろんな出来事が話題になり、まるでその頃にもどったような気持ちになりました。少しずつ歳はとったものの、目の輝きや表情はもちろん、ハートも笑い声もかってのままでした。信頼という温かい感情が根底にあふれているような楽しく心安らぐ飲み会でした。

その仲間の一人からうれしい話を聞きました。現在6年生を担任していて、卒業のしおりの中に、私の拙い詩を入れさせてもらったということでした。著作権の侵害にあたるかもしれませんが……と語る言葉の内に、今担任している子どもたちへの熱い思いを強く感じました。

詩は、親と担任としての思いを重ね合わせ 子どもたちに向けて書いたものです。改めて読んでみると、卒業式で見た子どもたちの姿が浮かんできました。その成長を見守ってきた親の方々の笑顔と涙も。担任の一人ひとりの子どもたちによせる思いも。

高校や中学校は卒業式も終わったようですが、小学校は再来週あたりが卒業式のようです。新たな旅立ちの時を迎えた子どもたちの未来が、希望に満ちた幸多い未来であることを心から祈りたいと思います。

     あれから十二年

 

あれから十二年

 あなたの誕生を

 だれよりも 喜び

 あなたの命を

 だれよりも 愛しく感じた

 あの日から もう十二年

 

今はもう

 この手で抱き上げるには 重すぎる

 健康な体と心を持ち

 卒業という旅立ちの時を迎えた あなた

 

あふれる夢と希望を その翼に乗せ

 目の前に 大きく広がる未来を

 力強く そして高く

 翔び続けてほしい

 

限りない未来は

 いつだって あなたのために

 用意されているのだから

 

あなたの成長と幸せが

 これからも

 母の柔らかな笑顔と

 父の穏やかな微笑みを

 つくってくれるのだから

 


原発事故の陰で苦しむ人々

2014-03-10 16:06:05 | インポート

3/8付の新聞記事を読んで、東電社員の家族の方々が抱えている辛い思いを知りました。当事者責任が問われる東電経営陣がいる一方で、事故の処理のために最前線で奮闘されている社員の方がおられるのだということを忘れてはいけないと思いました。周囲から加害責任を問われ、肩身が狭く身の置き所のない家族の方々。自らも被害者であるのに、東電社員であることの重圧にも耐えなければならず、辛く苦しい生活を強いられているのだと思います。

福島県楢葉町に自宅のあった(事故を起こした原発から20キロ圏内)矢代悠さんは、避難先のいわき市で高校の卒業式を迎えました。父親が東電社員であったために、事故以来両親の間に溝ができ、楽しかった家族の会話も途絶えてしまったとのこと。父親は、事故の収束作業に従事し、月に8日程度しか避難先の家に戻れず、細い体がさらに痩せ、ほおがこけたそうです。母親は、知り合いから口々に「どう責任をとるの」「被害者面して」と言われ、携帯電話から約30人の名前を消したとのこと。また、祖母までが「おめえの旦那が東電のせいで、どれだけ世間体を悪くしてるか」と言い、泣いたそうです。悠さん自身も友人と打ち解けて話すことができない苦悩を抱え、脱原発のデモのニュースをテレビで見ると、父親が責められているような感じがして腹が立ったとのこと。それでも、「父のことを話せば、軽蔑した目で見られるかも」と思い、父のことを深く話せなかったそうです。

悠さんは、この状況から自ら新たな一歩を踏み出します。「震災で減った観光客を呼び戻そう」という企画で始まったバスツアーに案内役として加わり、東電社員として事故の収束作業にあたっている父のことを語ったそうです。

悠さんは4月から県内の大学に入り、建築を学ぶそうです。願いは「昔のように、家族でリビングに集まって仲良く話したい。」とのこと。さらには、祖母に会いに行って話を聞き、家族の関係が変わるきっかけにしたいとのことです。

事故によって避難を余儀なくされ、家族関係まで壊れてしまったことに、その上東電が勤め先であったことによってさらに重い負担を背負うことになった、悠さんご一家の辛苦に、言葉もありません。被曝の危険の伴う 事故現場の最前線で働く、多くの東電社員の皆さんの苦労と家族の心痛を想います。

悠さんのお父さんは、4号機の使用済み核燃料を取り出す作業に従事しているとのことです。宙づり状態の格納プールから取り出す作業ですから、細心の注意を要する危険な作業なのだと思います。そういった最前線で働く人たちがいて、収束作業が進められているのだという事実の重さを深く受け止めたいと思います。

廃炉までの一連の工程が安全に計画通りに進められ、家族関係が元のような温かい関係に回復できることを心から願わずにはいられません。