長寿のラジオ番組「小沢昭一的こころ」が、聴けなくなるのですね。俳優であり芸能研究家でもある小沢昭一さんが亡くなりました。森光子さん、中村勘三郎さんと 著名で多くの方から慕われた才あふれる芸能人が相次いで旅立つ中、小沢さんも後を追うようにこの世を去っていってしまいました。
「小沢昭一的こころ」は、1973年から放送が始まり、放送回数は のべ1万回を超える数だったそうです。夕方の時間帯に流れる 江戸っ子弁の気さくな語りかけを 懐かしく思い出します。体調を崩されて以来、過去に放送したものが再放送されていますが、生の声を聴くことはもう叶わなくなりました。
今日の天声人語でも、小沢昭一さんを取り上げていました。
~ 3年前、「小沢昭一的こころ」で、「ぼちぼち」のしゃれでお墓を取り上げた回に、「千の風」になるのは嫌だと語っている。「ちっちゃい石ころ一つでもいいから、私の骨のある場所の目印、あってほしいな。そこから私ね、この世の行く末をじっと見てるんだ。」 ~
大げさなお墓ではなく、目印となるちっちゃい石ころでいいというところに、小沢さんの人柄がにじみ出ているような気がします。でも、温かい笑顔で、石の間からではなく広く明るい天国から、この世を見守っていることと思います。名もない人々の演じる大道芸に見入っているのかもしれません。
~ ○夕刊をかぶり小走り初時雨 ○竹とんぼ握りたるまま昼寝の子 ○手の中の散歩の土産てんとう虫
竹とんぼは、小沢さんがその子のために作ってあげたものなのかもしれません。手の中のてんとう虫は、誰へのお土産だったのでしょうか。愛する奥さまへの手土産だったのでは…と推察するのですが…渡す時の照れ笑いが目に見えるような気がするのですが…。
~ 研究者としての業績(全国の大道芸や、紙芝居、露天商、見世物小屋を調べ、映像や書籍などにまとめた)に、朝日賞が贈られた。2時間近い記念講演の終わり、都心の駅でハーモニカを吹く芸人を語ると自らも一曲。取り締まりに気づいて逃げ出す演技で舞台袖ヘと消え、喝采を浴びた。~
講演会でも、ユーモアを忘れない小沢さんだったのですね。舞台袖に消えた後で、幕の陰から再び顔を出し、あたりの様子をうかがう演技も見せてくれそうな気がします。「これで おしまいの心なのだ」という一言も聞こえてきそうです。
芸を愛する 天性の芸人でもあった 小沢さんの人柄が 偲ばれます。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。