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あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

映画「僕と妻の1778の物語」を見て

2011-01-16 20:31:58 | インポート

久しぶりに泣いた映画でした。涙の出る場面が何度もあったのは,「壬生義士伝」の映画以来でした。愛する者同士のお互いに相手を気遣い思いやる場面が多く,その場面を見るたび込み上げる思いがありました。

愛する人のために何ができるか。妻が大腸がんに冒されていることを知ってから,SF作家である夫は1日1編の物語を書き続けます。笑うことで免疫力が上がることもあるという主治医の話を聞き,妻が笑ってくれる話を毎日考えます。余命が1年余りという状況にありながら,1778日も元気で在り続けたのは,この物語に込めた夫の思いが通じたからだと思います。だからこそ,1778話である最終回の話を書くときの夫の慟哭が心に強く伝わってきます。自分自身も妻ある身ですから,夫としての妻への思いが切々と胸に響いてくるのです。

妻が夫に怒る場面があります。夫が高い薬代を賄うために苦手である恋愛小説を書こうしているのを知った時のことです。誰よりも夫の良き理解者であり一番の読み手であった妻にとって,自分のために苦手な分野の小説まで書こうとすることが許せなかったのです。夫は妻のために良かれと思い,妻は夫には夫らしい小説を書き続けてほしいと願うことで起こった対立。お互いがどんなに相手のことを想いやっているのかがわかり,涙が込み上げてきます。

妻が進行する病状を隠し,二人で北海道を旅する場面も感動的です。一本の木と背景の山々,そして頭上に広がるどこまでも青く澄んだ空。その海のような青い空を見上げる二人の姿が印象的です。二人にとっては,そのひとときがいつまでも続いてほしい永遠の時間だったのではないかと思いました。

主役の夫婦を演じた草彅剛と竹内結子がすごくいいですね。高校時代から幼馴染でお互いに心から信頼し愛し合っているカップルを演じるのにピッタリの配役だったと思います。

この映画の原作本である眉村卓氏の書いた「妻に捧げた1778話」をまだ読み終わっていないので,最後まで読み進めてみたいと思いました。きっとこの映画と同様の感動を覚えることと思います。


20年前の出会いを思い出して

2011-01-16 11:20:16 | インポート

一昨日,近所で不幸があり,葬儀に参列していました。一切が終わり寺を出ようとした時,お世話をしていた葬儀社の若者から声をかけられました。

「先生,分かりますか?」と問いかけられ,顔と胸に付けた名札を交互に見ながら,誰だったか思い出そうとしました。確かにかって担任した子どもだったようで,その面影が頭をよぎったものの,名前が出てきません。この私の戸惑いを汲み取り,その若者は笑顔で名前を語ってくれました。こういった茶目気のあるところは,確かにあのS君に間違いない。瞬時に20年前に1年を担任していた頃の自分にもどり,あの頃の彼の姿と今の姿を比較し,その成長振りに熱くなつかしい思いがこみ上げてきました。てきぱきと動き,さわやかに葬儀の進行をサポートする仕事ぶりに,なかなかしっかりした若者だなあという印象を受けていたものですから,なおさらその姿に人間としての大きな成長を感じ取ることが出来たように思います。短い時間の会話でしたが,私にとっては心からうれしく感じた幸せなひとときでした。

S君のことで今でも心に残っている作文があります。ひらがなの指導がひと通り終わり,子どもたちが文章を書けるようになった頃,作文の指導に力を入れていました。一日の中の時間を切り取り,その中での出来事を時間の経過に沿って書くこと(例えば,家の夕食の「いただきます」から「ごちそうさま」までの間にあったことを思い出して書いてみたり,朝「行ってきます」と言って家を出てから学校に着くまでにあったことを思い出して書いてみたりしていました)をしていた時のことです。その日は,学校を出てから家に着くまでの間のことを切り取って作文にすることを宿題にしたように思います。次の日,S君が 次のような作文を書いてきたのです。

  がっこうのかえり,バス(スクールバス)をおりてから はなをつみながら かえりました。

  きいろや  ぴんくや  むらさきの ちいさいはなを つみました。

  てに いっぱいになりました。

  うちについてから,ぎゅうにゅうのびんを あらって,みずをいれました。

  はなをいれて,みせにかざりました。

  おかあさんに,「きれいだね。」 と いわれて,うれしくなりました。

この作文で,ふだんは腕白で元気いっぱいのS君の,意外な一面を知ることができました。道端に咲く小さな花の美しさに気づき,摘んだ花を牛乳びんに入れて飾ったところに,S君の豊かな感性とやさしさを感じたことを思い出します。子どもがもっているみずみずしい感性のすばらしさを実感した作文でした。社会人として大きく成長した現在の姿の向こうに,20年前の姿がピッタリと重なります。

教師としての仕事には,教えること・育てることの他にその子の人生を見守っていくことも含まれているように思います。その子と一緒に同じ時間を生き,共に過ごした者として願うことは,その子が将来にわたって幸せな人生を送ってほしいということです。社会人として働く姿,結婚式での晴れ姿,親となった喜びをかみしめる姿等,子どもたちの成長する姿やその幸せな笑顔に接することができた時が,教師としての喜びを感じるひとときです。

私の責任(見守るということ)はこれからも続くことになります。改めて頑張りたいと思います。


伊達直人からの贈りものについて

2011-01-13 10:09:55 | インポート

全国各地の児童養護施設等に,タイガーマスクの伊達直人名で,たくさんの贈りものが届いているとのことです。贈りものは,はじめはランドセルでしたが,現金,図書券,商品券,文房具,お菓子,果物,おもちゃ等も贈られているようです。子どもたちに喜んでもらえるよう考えた上での贈りもののようですが,中には子ども向きではないものを贈られて,とまどった施設もあったようです。

今日のインターネットニュースによると,日本全国で同様なことが299件も起きているとのことです。贈り主は伊達直人の名前が大半ですが,その他に伊達直子,鉄人28号,星飛勇馬等さまざまなキャラクター名が使われているとのことです。中には,伊達直人と同じ直人という実名の青年が初めてもらったボーナスでランドセルを購入し児童福祉施設に届けたという出来事もあったようです。また,動物収容施設に伊達ニャオトという名前で,キャットフードを届けたというほほえましい例もあったようです。

『子どもが幸せな時は,みんなが幸せな時』 そう考える人は誰だってサンタクロースになれるわけですから,今回の贈り主たちは,伊達直人の名を借りたサンタクロースだったのではないかと思います。たくさんのサンタクロースが一気に出現したような感じがして,とても心が温かくなりました。施設の出身である伊達直人の心情に共感し,同じ境遇の子どもたちに贈りものを届ける心の内に,素直な善意を感じます。いろんな事情から親と一緒に暮らすことのできない,子どもたちの境遇に心を寄せ,少しでも子どもたちの喜ぶことをしてあげたい。そんな思いが,行動につながったのではないかと考えます。この思いが社会全体で共有されていくことで,親の虐待や育児放棄等子どもが被害者になる出来事や事件も少なくなってくれればと願います。

今回の現象は,たとえ一過性のものであっても,人間社会の中にある善意や温かさを,改めて多くの人が理解し信じることのできる機会になったのではないかと思います。

一方で,贈りものを受ける側の施設職員の方が,次のようなことを語っていました。

子どもたちには,多くの人に助けられ支えてもらっていることを感じてほしいと思っている。そして,そういう人たちにお礼をきちんと言えるように育てたい。しかし,匿名ではお礼を言えない。是非実名を明らかにし,子どもたちがお礼を言えるようにしてほしい。

全く同感です。感謝の思いをその人に直接伝えることはとても大切なことだと思います。ただ,匿名の中に込めた善意を汲み取り理解することも大切なのではないかと思います。

なぜ実名ではなく匿名で贈るのでしょうか。私は,贈りものに込めた思いをより率直に表すために,伊達直人の名前を借りたのではないかと思いました。だれが贈りものをしたのかではなく,どんな気持ちを込めて贈りものをしたのかを理解してもらおうと考えたからなのではないかなと思います。伊達直人の名前でランドセルが贈られたという出来事を知り,その意を汲み取った人たちが,連鎖反応で善意を形に表して行動するようになったのではないでしょうか。

子どもたちには,贈りものに込めた気持ちを受け止め,伊達直人というサンタの顔を想像することで 理解してもらうことになるのでしょうか。贈り主が目の前にいなくても,目の前にいる人同様に,感謝の気持ちを抱く子どもであってほしいと思います。

今回の出来事をとおして 願わくは,贈りものに込めた善意が,変わることなく社会に生き続け,具体的な行動や行為として表現される社会でありますように……弱い立場にいる人たちが,多くの人に支えられて生きているのだということが実感できる社会でありますように……すべての子どもたちが 幸せであることを実感できる社会でありますように …… 


11年目 愛犬クウタは 元気です!

2011-01-10 20:08:39 | インポート

我が家の愛犬クウタも,11年目の新春を迎えました。じゃれあって遊ぶ時も,何回か走り回ったりすると,息切れしたようにハアハアと苦しそうに呼吸するようになりました。老いは,確実にクウタにも少しずつしのびよっている印象があります。

寒い日が続くので,娘がそんなクウタの体に合わせて古いセーターを犬用スーツに仕立て用意してくれました。この温かいスーツを身につけた,少し気どった感じがするクウタをご覧ください。

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この写真を見て,改めて思ってしまいます。クウタは,写真を意識してポーズをとっているのではないか…と。あまりにも近づきすぎると,構えたカメラをなめてしまうのですが,一定の距離を保って写真を撮ろうとすると,カメラの枠内にきちんと入るようにポーズを決めてくれるような感じがしてしまいます。特に横向きのポーズなど,カメラの方を見ていないのですが,でもしっかりと意識しているような感じがします。考えすぎかもしれませんが,もしかするとカメラに撮られることが好きな犬なのかも……などと思ってしまいます。

写真のクウタは,いかにも紳士風です。何となく私と比べて品格まで感じてしまうのは,飼い主のヤキモチでしょうか。

普段は,クウタは白い犬という印象があるのですが,雪が降ると決して白い犬ではないことを気付かされます。クウタに怒られそうですが,雪の白さに比べると暗く汚い白なのです。ところが,不思議です。この黒いスーツを纏うと,ジェントルマンとしての気品と毛並みまできれいに感じられてくるのですから……。

食べ物をもらう時の本能丸出しのクウタではない,紳士然としたクウタを紹介しました。

今でも,日中は陽だまりの中にお座りして,西側の畑の向こうにいる大好きな彼女を見ています。私には,その姿は見えないのですが,クウタにはしっかりと憧れの彼女の姿は見えているのではないかと思います。

寒い日がこれからも続きそうですが,クウタにはこれからもクウタらしく元気でいてほしいと願っています。


「いのち」を支える 温かい手

2011-01-10 12:14:01 | インポート

大阪で,また悲しい事件がありました。60代の姉妹が餓死するというニュースでした。先月の22日頃に亡くなり,年が明けてから発見されたとのことですが,何とか救いの手が差し伸べられなかったのでしょうか。ガス・電気が止められ,暖房も調理も出来ない状況の中で,どんな生活を送っていたのでしょうか。周りの人が気付いてできることはなかったのでしょうか。一人は,車いすでの生活だったとのこと。二人とも,厚着をし,細くやせた状態で亡くなっていたとのことです。何ともやりきれない思いでいっぱいになります。

9日付の新聞には,それと対照的な記事が載っていました。大みそかから元日にかけ大雪に見舞われた島根県内の国道で,車1000台が動けなくなるという出来事がありました。この道路沿いに住む人々が,立ち往生し困っている人たちのために,トイレ・毛布・コーヒー・まんじゅう・バナナ等の提供,炊き出しとおにぎりの配布等,支援・協力できることを自主的に考え,実践したという記事でした。動けない車の中には,小さい子連れの家族や体調を崩した方もいたようです。長時間車の中に閉じ込められるという状況の中で,トイレや毛布の提供,温かい飲み物や食べ物の提供は,何より温かい救いの手だったことでしょう。

温かい手の持ち主の一人である,まんじゅうを1200個を配った方は,夢中になって配っていたので,その日の夜になって初めてお正月だったことを思い出したそうです。またある一人は,日頃から住民同士が横の連絡を取り合っていればもっとうまく助け合って支援ができたのではないかと思ったそうです。

困った人を助けるのを当たり前のことのように考え,行動し,反省する,その人間としての温かい思いと行動力には頭が下がります。 

      いのち

                小海 永二

   花です / 虫です / からだです

   鳥です / 草です / こころです

   それらはみんないのちです

   いのちは / どれも / ひとつです

   いのちのふるさと / 地球もひとつ

   風が吹き / 雲の流れる地球のうえに / 要らないものなどありません

   互いに支えているんです / 見えない手を出し 声をだし / 互いに支えているんです

   どれもひとつで / どれにもひとつ / 全部が大事ないのちです

地球の上で 命ある すべてのものが 支え 支えられ 支え合っている ことの 重さ。どの命も どれもひとつで どれにもひとつ 全部が大事だという 貴さ。 この二つを しっかりと 心に刻んで 生きていきたいものです。