あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

「君が代」 斉唱の強制について

2013-09-23 11:08:08 | インポート

一昨日の天声人語に、大阪府教委が「式で君が代を斉唱する時、教職員が本当に歌っているかどうか、『目視』で確認せよ」との通知を出したことが、取り上げられていました。その通知を出した教育長は、昨年校長として勤務する高校で職員に目視をさせて物議を醸した人物だったとのこと。その功績で、教育長に抜擢され、期待にこたえてさっそく実行しようと通達を出したのでしょうか。

目視をさせることが、教委が通達として出すほど大切なことなのでしょうか。教職員がそろって君が代を斉唱し、その指導の徹底を図ることが、教委の重要な仕事なのでしょうか。学校の主役である子どもたちが、よりよい教育環境の中で学びの主体として学習やさまざまな教育活動に取り組んでいけるよう、側面から支援・サポートしていくのが教委の取り組むべき第一の仕事なのではと思うのですが……。こういった通達を出すこと自体に、教職員を管理統制し、教職員の主体性や個性、自由な教育環境を阻害し、学びの主体となる子どもたちまで管理統制していくような方向性を感じてしまいます。

君が代に対しては、一つにくくれない個人としてのさまざまな思いがあるのではないかと思います。歌うことが当然と考える人には、なぜ歌わないのか、歌えないのかと考えるゆとりはないのでしょう。愛国心に欠け、協調性も劣る人物というレッテルを貼り、受け入れられない存在として否定してしまいがちなのではないでしょうか。国を愛する気持ちは変わりなくても、同僚との協調性を大切にしていても、個人の思想や良心から歌わない人もいるのだということを理解できないのでしょうか。

一つの価値観や方向性を全体に強要するような考え方は、民主主義の考えを否定するものだと考えます。多様な価値観や考え、全体ではなく一人ひとりの個人としての思想や人権が大切にされる社会が、民主社会なのではないかと思います。未来をつくる主体となる子どもたちの学びの場である学校には、より一層こういった民主的な環境が求められるのではないかと思います。

教師がお互いに目視し合うような学校で、どんな教育が営まれていくのでしょうか。教師にとっても子どもにとっても、最悪の環境の中での学校生活となっていくのではないでしょうか。信頼関係を土台に、子どもは育ち、教師は成長していくものだと思います。

昨日、特定人種への憎しみをあおりたてる「ヘイトスピーチ」に対して抗議する 反ヘイトスピーチのデモが行われました。領土問題や歴史認識の問題から端を発した韓国や中国との対立が背景にあるようですが、スピーチの内容は「殺せ」や「死ね」など過激な文言が含まれており、それに抗議する形でのデモだったようです。

こういった愛国心をあおり、差別的で過激な言動が生まれてくる流れと 君が代強制の動きとどこか連動しているような時代の空気を感じます。

日本人である前に、一人の人間であるということ。世界のどの国の人とも共通するのは、この人間であるという点なのではないかと思います。国や人種の壁を越えて同じ人間であるということを常に前提として考え、一人ひとりの人間としての人権・思想・信条・自由が大切にされる日本の社会であり、世界でありたい と 心から思います。


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