あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

映画「夢見る小学校」・「生きる」を見て

2023-03-28 11:42:38 | 日記
 先日、記録(ドキュメンタリー)映画を二つ観ました。
一つは、「きのくに子ども村学園」の記録映画「夢見る小学校」。もう一つは、大川小学校児童遺族のその後の思いと闘いを記録した映画「生きる」です。
どちらも、学校や教育の在り方を考えさせるという点で、共通する映画でした。どんな感想を持ったか、次にまとめてみたいと思います。

◇映画「夢見る小学校」について  
 子ども一人一人が主役となって生き生きと体験学習に取り組み、その学びを子どもたちの心によりそう大人(教師)がサポートする映像を通して、理想の学校の一つの姿を見ているように感じました。
学校づくりの理念として、○自己決定の原則(子どもが決める) ○個性化の原則(一人一人のちがいや興味が大事にされる) ○体験学習の原則(直接体験や実際生活を大切にする)という3つの原則が立てられ、その実践化が図られているという印象も受けました。
 同時に、その実践を進めていくためには、教職員がどんな話し合いをし、どう共通理解を深めながら実践化を図っているのか、知りたいとも思いました。一人一人の子どもによりそった教育を進めていく上で、学習内容はもちろんのこと、どんな立ち位置で大人(教師)が関わっていくのかなど、さまざまな課題についても時間をかけて話し合われて来たのではないでしょうか。そういった教職員の取り組む姿も映像化されると、理想の教育をつくっていく道筋も見えてくるような気がしました。
 また、学校生活以外の子どもたちの日常の生活の様子も知りたいと思いました。入学案内を見ると、その生活スタイルは3通りで、地元や近くに住んでいて通学している子、週末に寄宿生活から家に帰る子、ほとんどが寄宿生活で月に一度は家に帰る子と区分されるようです。特に低学年の子どもたちで親元を離れて生活している子を、生活面でどうサポートしているのか、知りたくなりました。
 学校教育と家庭教育は、子どもの生活を支える車の両輪のような関係なのではないかと思います。寄宿舎での生活をしている子に対して、家庭教育の中で果たす役割をどう補い、どうサポートしているのか、学校生活以外の子どもたちの様子についても是非映像で見ることができたらと思いました。
 さらに知りたいと思ったことは、親の負担する教育費についてです。また、子どもの入学の合否は2泊3日の体験入学を通して決定されているようですが、その合否はどんな点から判断されるのか、その点も知りたいと思いました。
 子どもたちが自分でプロジェクトを選択し、生き生きと活動に取り組む姿は感動的ですが、映像化されていない それを下から支えている教職員の姿や思い、学校生活以外の子どもの日常の生活の様子まで描かれていると、さらに説得力をもって「夢みる小学校」の在り方が見えてくるような気がしました。
 映画に登場する伊那小学校には、現職教員だった頃に公開研究会に参加し、子どもたちの生き生きと学ぶ姿に理想の学校の姿を見たような気がしたものです。子どもたちの手でつくりあげた飼育小屋や二階建ての家を見、そういった体験活動の中に基礎的な学び(国語・算数・理科・社会)の場も設けている取り組みに、総合学習の意味や必要性を強く感じたような気がしました。同時に、そこに子どもを主役としたさまざまな取り組みや実践を積み重ねてきた教職員の熱意を感じたものです。そういった熱意のもとで、通知票のない学校づくりも、保護者や地域との深い信頼関係と理解の中で、進められてきたのだと思いました。
 きのくに子どもの村学園の校長である堀さんは、イギリスの教育家:A.Sニールの言葉「まずは子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く」を受けて、理想の学校づくりに取り組まれたようです。
 どの子も主役となり、楽しくしあわせに過ごすことのできる学校。子どもの笑顔があふれる教室や学校をどうつくりだしていくか、その目指す学校の姿の一つとして、この映画に登場する南アルプス子どもの村小・中学校、伊那市立伊那小学校、世田谷区立桜ケ丘中学校の取り組みがあるような気がしました。
 ただ、理想の学校をつくるのに大切なのは、一つ一つの地道な日常での教育活動での取り組みなのだと思います。
 日々の学習活動の中で、子どもたちの疑問や願いに丁寧に応えながら、楽しく学ぶ工夫を積み重ねていく。生活面では、子どもたち同士の人間関係に目を配り、それぞれの個性や良さが発揮でき、お互いに認め合い助け合うことのできるあたたかい学級づくりを進めていく。子どもたちの活躍の様子を学級便りなどを通して親に紹介し、信頼関係を深める。学級内で問題が起きた時には、子どもたちに投げかけ、よりよい解決策を一緒に話し合う。そういった学級での取り組みが土台となって、一人一人の子どもが主役となって活躍できる学校全体での取り組みが可能になっていくのではないでしょうか。
 コロナ禍の中、さまざまな制約の中で学校生活を過ごさなければならなかった子どもたち。先生方も、教育活動以外の新たな仕事が増え、精神的にも肉体的にも多忙 な日々だったのではないでしょうか。
 学校での日常が少しずつ取り戻せるようになっていく中で、改めてゆったりと子どもたち一人一人と向き合い、一人一人の心によりそいながら、どの子も学校生活が楽しいと感じることができるような地道な取り組みを続けていってほしいと願っています。

 理想は、形ではなく、日々の地道な取り組みの中から見えてくるような気がします。


◇映画「生きる」について
「学校が、子どもたちの命の最後の場所となってはならない」という裁判長の言葉は、我が子の命と向き合い、闘い続けてきた遺族にとって、何より心に響く言葉だったのではないでしょうか。
 子どもたちの最期の様子を知りたい、子どもたちの命を救う手立てがあったのではないか、そんな親たちの思いや願いは、犠牲となった子どもたちの命を決して無駄にしてはいけないという親としての痛みの思いから生まれたように感じました。
 それに応えることのできない市の主催する説明会や第三者による委員会に対して、持って行き場のない怒りと悲しみと痛みを親たちは抱え続けていたのだと思います。だからこそ、裁判の場でその真実を明らかにする手段を選ばざるを得なかったのだと、親の語る言葉の一つ一つに、その苦悩がひしひしと心に伝わってきました。
 裁判に臨んで特に印象的だったのは、亡くなった子どもたちの命に値段をつける場面でした。賠償を求めることが目的ではなく、子どもたちの命をどうやったら救うことができたのかを明らかにすることが目的だったはずで、そこでの親の苦悩も強く心に感じました。賠償のお金を求めての裁判だったのではないかという誹謗・中傷に耐えながら闘い抜いた親たちにとって、前述した裁判長の言葉こそ求めていた言葉だったのだと思います。
 二度とこんな悲劇を繰り返してはならない。救える命を喪ってしまう学校であってはならない。学校は、親たちが安心して子どもたちの命を預けることのできる場でなければならない。
 学校という場で かけがえのない子どもたちの命を預かる仕事に関わってきたからこそ、改めてその責任の重さを痛感しています。子どもたちの命を守るという原点に立って学校のあり方が問われた裁判だったのではないかと感じました。

 親たちの悲しみや苦悩、心の痛みに真摯によりそいながら、裁判を闘い抜いた吉岡・齋藤の二人の弁護士に、心から感謝の思いを感じます。お二人の支えと弁護活動があったからこそ、親たちの思いが報われた裁判になったのだと思います。

 子どもたちの命が守られ、どの子も安心して日々の学校生活を楽しく生き生きと過ごすことのできる学校。そんな学校こそが、子どもたちも親たちも心から願う「夢見る学校」なのかもしれません。