今日は、71年前に長崎に原爆が投下された日です。
ラジオで平和祈念式での長崎市長の言葉が紹介され、その内容に深い共感を覚えました。
国は、一方では核廃絶を唱え、一方では核抑止力による安全保障を受け入れている。
唯一の被爆国として とるべき道は、核に頼らない安全保障の枠組みづくりに世界のリーダーシップをとりながら
率先して取り組むことなのでは…
安倍総理は、核保有国・核を保有していない国双方に核廃絶に向けた国際的な働きかけを継続していくことを語った
ようですが、矛盾した立場に立つ限り、核廃絶に向けた国際的な働きかけは、空論でしかありません。
唯一の被爆国として 世界的な視野に立って何ができるのか、そこにスタンスを置くことによってこそ 日本の立場
や在り方が見えてくるのではないでしょうか。
核兵器が行使されることによって、どれだけの人命が失われ、どれだけの人々が後遺症におびえ辛い日々を生きなけ
ればいけなかったのか、悲惨な事実と痛切な痛みを受け止めながら、核兵器のない平和な世界の到来を心から願いた
いと思います。
原爆投下の意義を アメリカでは 戦争の早期終結のためと主張する考えもあるようですが、果たして広島に続いて
3日後に長崎に投下する必要はあったのでしょうか。
広島に投下された原爆はウラン型で、長崎に投下された原爆はプルトニウム型であったという事実は、異なる核兵器
を使用する実験場として、広島と長崎に投下されたという疑念を抱かさせるものでもあります。
原爆の非人道性という視点から、改めて原爆投下の不当性という問題にもふれる必要があるのかもしれません。
核兵器のもたらす罪悪を広く世界に知ってもらうためにも…。
核兵器のみならず 原発も含め 核に頼らない世界であってほしいものだと心から願います。
福島の原発事故から学んだことは、なんだったのでしょうか。
核の力は、人間のコントロールできる範囲を超えているということ。
汚染された土地を再生するために多くの年月を要するということ。
さまざまな問題や課題が山積し、原発で使用された核燃料の処理方法がいまだ見つからない中で、あえて原発を再稼働
し処理不能な核ゴミをつくり続けていくことの愚かさ。
いまだに初めてのことなので、汚染水の処理も含め廃炉までの手順が見えない状況にあるということ。
これらの問題を踏まえると、核は 人間の制御能力を超えた 手をふれてはいけない 存在なのではないでしょうか。
ともあれ 来年の夏には、是非 核廃絶を願い、広島と長崎への平和を祈念しての旅を実現したいものだと思います。
ラジオで平和祈念式での長崎市長の言葉が紹介され、その内容に深い共感を覚えました。
国は、一方では核廃絶を唱え、一方では核抑止力による安全保障を受け入れている。
唯一の被爆国として とるべき道は、核に頼らない安全保障の枠組みづくりに世界のリーダーシップをとりながら
率先して取り組むことなのでは…
安倍総理は、核保有国・核を保有していない国双方に核廃絶に向けた国際的な働きかけを継続していくことを語った
ようですが、矛盾した立場に立つ限り、核廃絶に向けた国際的な働きかけは、空論でしかありません。
唯一の被爆国として 世界的な視野に立って何ができるのか、そこにスタンスを置くことによってこそ 日本の立場
や在り方が見えてくるのではないでしょうか。
核兵器が行使されることによって、どれだけの人命が失われ、どれだけの人々が後遺症におびえ辛い日々を生きなけ
ればいけなかったのか、悲惨な事実と痛切な痛みを受け止めながら、核兵器のない平和な世界の到来を心から願いた
いと思います。
原爆投下の意義を アメリカでは 戦争の早期終結のためと主張する考えもあるようですが、果たして広島に続いて
3日後に長崎に投下する必要はあったのでしょうか。
広島に投下された原爆はウラン型で、長崎に投下された原爆はプルトニウム型であったという事実は、異なる核兵器
を使用する実験場として、広島と長崎に投下されたという疑念を抱かさせるものでもあります。
原爆の非人道性という視点から、改めて原爆投下の不当性という問題にもふれる必要があるのかもしれません。
核兵器のもたらす罪悪を広く世界に知ってもらうためにも…。
核兵器のみならず 原発も含め 核に頼らない世界であってほしいものだと心から願います。
福島の原発事故から学んだことは、なんだったのでしょうか。
核の力は、人間のコントロールできる範囲を超えているということ。
汚染された土地を再生するために多くの年月を要するということ。
さまざまな問題や課題が山積し、原発で使用された核燃料の処理方法がいまだ見つからない中で、あえて原発を再稼働
し処理不能な核ゴミをつくり続けていくことの愚かさ。
いまだに初めてのことなので、汚染水の処理も含め廃炉までの手順が見えない状況にあるということ。
これらの問題を踏まえると、核は 人間の制御能力を超えた 手をふれてはいけない 存在なのではないでしょうか。
ともあれ 来年の夏には、是非 核廃絶を願い、広島と長崎への平和を祈念しての旅を実現したいものだと思います。