Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 107

2020年08月28日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

 

  
キプチャク ハン国( Khanate of the Golden Horde)、南のうすい紫の地域がチャガタイ ハン国 1294

 

※3 チャガタイ ハン国

ターコモンゴルは、モンゴル帝国崩壊後、多くのイスラム後継国家を設立しました。

例えば、キプチャク汗国(金張汗国、the Golden Horde)、チャガタイ ハン国を継いだチィムールがあります。ターコモンゴルの王子でありチィムールの孫のバブール(1483〜1530年)は、ムガル帝国を設立しました。この帝国は、インド亜大陸のほぼすべてを統治することになります。

 

チャガタイ ハン国( Chagatai Khanate in the late 13th century.)

13世紀のチャガタイ・ハン国の支配領域

チャガタイ ハン国は、13世紀前半に興きたモンゴル帝国の創始者チンギス ハーンが次男チャガタイにアルタイ山脈方面をウルス(所領)として付与したことに始まり、1225年 - 1340まで続きます。後を継いだティムール朝(ペルシャ語: تیموریان‎、Tīmūriyān‎、ウズベク語: Temuriylar、1370 - 1507)は、現在のウズベキスタン中央部に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝です。最盛期の版図は、北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリアまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇しました。創始者のティムール(ペルシャ語: تيمور‎ Tīmūr/Taymūr,1336/4/8 – 1405/2/18、在位中の国家をティムール帝国と呼びます。)はチャガタイ ハン国の出身で、ティムール一代で大版図を実現しますが、その死後に息子たちによって帝国は分割され、15世紀後半にはサマルカンドとヘラートの2政権が残ります。これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーニー朝(テュルク系イスラム王朝)によって中央アジアの領土を奪われるのですが、ティムール朝の王族の一人バーブールはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てました。

 

そして4/24に既に登場していたのが、次にお示しするチンギス ハーンの四男が興したイルハン朝(1256-1353)です。

 

イルハン朝の最大版図 The Ilkhanate at its greatest extent Ilkhanate  ایلخانان 1256–1335/1353

                                  

上で述べたターコモンゴルのエリートたちは、当時中央アジアのイスラム教徒の間で支配的な文化であったターコペルシャの伝統を引き継ぎます。その後の数世紀、ターコペルシャ文化は近隣の地域へのターコモンゴルの征服によってさらに引き継がれ、最終的に南アジア(インド亜大陸)、特に北インド(ムガル帝国)、中央アジアおよびタリム盆地(中国北西部)、西アジアの大部分(中東)の支配階級とエリート階級の支配的な文化になります。このことは、この階級の人達の間で流行ったミニアチュールを見てもハッキリとわかります。前述の“Miniature. “ユスフとズレイカ(Yusuf and Zulaykha)”、ウズベキスタン ブハラ( Bukhara); 1683”、そしてこのたびお示しした” バーズィー チャガニアン(Bāqī Chaghānyānī )の、アムダリヤ岸にて“、そして、少し前に戻りますが 、”ムガル帝国の第4代皇帝“ 時代のミニアチュール。そして次にお見せするムガル帝国の創始者バーブールの肖像画をご覧になれば納得されることでしょう。

                  

※2 バーブール

バーブール(ペルシャ語: ظهیرالدین محمد بابُر‎、Ẓahīr al-Dīn Muḥammad Bābur、1483/2/14 – 1530/12/26、北インド、ムガル帝国の創始者です。ティムール朝サマルカンド政権の君主(在位:1497年 - 1498年)でもあります。16世紀初頭に中央アジアからインドに移り、ムガル帝国を建国。バーブールはティムールの三男ミーラーン・シャーの玄孫であり、母方の祖父モグーリスタン・ハン国の君主ユーヌスはチンギス ハーンの次男チャガタイの後裔にあたります。軍事力に優れた指導者、文人で、自らの半生を著述した回想録 『バーブルナーマ』 は文学性・史料的価値を高く評価されており、多くの言語に翻訳されています。

 

『バーブルナーマ』から薔薇に因む文章を引用しました。

春のカーブル(カブールのこと)は、緑と花のエデンです;

カーブルで比類なきグルイバハールとバランの春。

この旅で、私はオードを終えました、—

私の心は、赤い薔薇、赤いバラのつぼみのように、

嘘は折り目の中に折り込みましょう;

無数の泉の息吹でも

私の心のつぼみに吹きつけますか?

( MAY 24th 1506 to MAY 13th 1507 AD.) 

 

恋の歌と取れなくもないですが、春の日の鷹狩又は鳥の射撃に出かけてカーブルとガズル国(Kabul and Ghazniガズニーは、 カーブルとカンダハールの間に位置する標高約2220メートルの高地にある交通の要所。)を称賛した詩と言われています。

 

 


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