カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

藤原宮跡・蓮 2012 猛暑なんのその

2012年07月26日 | ☆ ふるさと・大和

日本全国全て梅雨明けとの声明が、気象庁から出されました。
こちらがあまり晴天の暑さが続くものですから、まだ梅雨明けしていない所があるのだと認識していませんでした。
毎日熱中症についての対策や報道が流れて、家の中に居ながら「暑い・暑い」と独り言です。
午後には外に出る勇気がなくて、藤原旧跡へ蓮の花を観に行った昨日は、午前8時過ぎでした。

いったん家を出ますと、気持ちがしゃっきりしてくるのが不思議です。
沢山のカメラマンが蓮ゾーンを囲んでいます。

お気に入りの花を見つめる時には、猛暑の中に咲く花も、猛暑の中で花を写すことすら忘れて、気長に被写体を見つめています。
花も人も猛暑には負けていません。
そんな姿を見るのが好きです。

駐車場からここまで歩いてきて、かなり暑かったのですが、一面に広がる蓮の花たちが、まるで首を長くして待っていてくれたようで、先ず木陰で喉を潤した後、ぐるっとひと回りするつもりです。

暑くても、朝の木陰はオアシスです。
オアシスに三脚を据えて、レンズの向こうのどんな花を捉まえているのでしょう。
私はやっぱりコンデジだから、自分で近寄っていくしかないでしょうね。

よく晴れて大和三山もすっきり姿を現しています。
日傘を差して片手にコンデジ、これってなまくらでなくて、暑さ対策の必需品です。
私くらいだったような気がします。
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明日香村埋蔵文化財展示室

2012年07月23日 | ☆ ふるさと・大和
藤原宮跡の蓮の花の開花の様子を見に行った帰りのことです。
蓮はまだ咲いていなくて、少し後に出直そうと思いながら、まだ通ったことのない道を明日香へという標識に従って、これ幸と明日香村を通って帰ることにしました。

途中せんと君の案内があって、「明日香村埋蔵文化財展示室」に立ち寄りました。
建物の配置や佇まいが、なんとなく懐かしい感じがします。
これは後で分かったのですが、旧飛鳥小学校の校舎を利用して、展示室にしてありました。
主な展示内容は明日香村内から出土した遺物、キトラ古墳石室模型の展示などがありました。
古墳や、寺院跡から発掘された古代から、平安時代ごろまでの、埋蔵品の数々を見ながら、村でこのように保存していることに、明日香の貴重な歴史や、その時代の人々の暮らしについて、思いを馳せることができます。

埋蔵文化財についての詳細は、展示資料の解説が記載されていますので、興味のある方はご覧ください。




表に出ますと、飛鳥寺講堂の礎石が展示されていました。
又展示室の裏窓から庭を見ますと、小学校だった当時のプール跡が、そのまま廃れたような感じで目に入りました。
展示物の建物としてたいそうな建築物を造るのでなく、旧校舎をこのような展示場にしていることに心打たれました。

運動場の校舎に一番近いところに、タイサンボクの立派な木があり、甘い香りが頭の上に降り注いできました。
ここで学んだ当時の子供たちも、きっとこの木と花の香りを忘れないのではないかと、温かい気持ちになりました。
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緑の額縁 爽やかなティータイム

2012年07月22日 | ちょっとおでかけ
天川村の集落に入って、コーヒータイムの休憩を取りました。
ラベストリーや電燈のシェイド、窓の外の葡萄のような蔦(小さい実がなっていました)。
さらに窓の上の切り絵の展示、(これは、もっとみんなちゃんと撮っておくべきでした)は落ち着いた雰囲気で、ドキドキしながら通ってきた、道幅の狭い道の緊張が、ここに来てやっとほぐれました。
窓の外に垂れ下がっている蔦がいい感じで、額縁を作っているようです。

寛ぐ目の中に緑が入ってくると、気持ちまで和んできます。

この蔦の実を採るために、夜になったらお猿さんがやってくるそうです。
山を背負っているし、川を隔てた対岸はさらに深い山ですから、お猿さんも珍しくないのでしょうね。
でも、お昼こうしてコーヒーを飲んでぼんやりしている時、窓の上からお猿の手が伸びてきたら、びっくり仰天することでしょう。
お店の人にそういったら、お昼には絶対来ないそうです。

ティールームには四つの窓があったのですが、私はこの窓が一番すきでした。
ゆっくりコーヒーを味わって少し疲れが取れたようです。
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帰路は奈良県道53号高野天川線

2012年07月21日 | ☆ ふるさと・大和
昼食の後、元来た道を高野山方面へ帰るものとばかり思っていましたが、野迫川村の中を通って、大塔だか坂本だかへ出るとのことです。
かなり前高校の同窓会の翌日数人のグループで、この村の要職にあった人の案内で、来たのがそのルートだった記憶があるので、県道から国道に出る場所まではそう心配もしていませんでした。


快適に走れるこんな道路が続けば、私も運転できるのですが、まぁこんな所はここだけでお終いです。

何処をどのように走っているのか分かりませんが、路肩に「高野天川線」といった小さな標識が時々見えます。
天川までの道路だと、先日の台風12号の長雨のための、深層崩壊の山の麓も走るのではないかと心配になりました。



とにかく景色の美しい所だけはカメラの残して、不安の解消をしながらのドライブでした。
木立が過ぎるとこんなダムが見えてきました。
まさかせき止湖ではなかろうと、要らない心配ばかりしている私です。
どうやら猿谷ダムの所まで来ているようでした。

     
いつの間にか天川村に入っていました。
天の川に沿って、バンガローが並んで、平和な感じの村の状態にほっとしました。
夏休みには、多くの人で賑わうことでしょう。
川を見下ろしますと鮎釣の人が沢山川の中に入って、竿を操っています。
道路端には他府県の車が停車していますので、釣り人の車なのだろうと思いながら、この辺りはのんびりしているものだと思いました。



    
そんな平和な感じの川を見ながら、進んでいきますと、台風の長雨の時の、深層崩壊の工事現場のしたの道路に差し掛かって、胸が痛みました。
この山の上から崩れてきた土砂や、木が川を堰きとめて、大変な被害を出した現場に近い場所でした。
私の従兄の長男の家も流されて何一つ出すこともできず着の身着のまま、命だけ助かったことを後で聞きました。
まだ行方の分からない人もいるとのことです。

復興の工事は進んでいますが、雨のたびに当時の恐ろしさに慄きながら、仮設住宅で暮している人もいます。
平常な暮らしが1日も早く戻りますようにと願いながら、標識に従って徐行しながら五條方面へ走りました。
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立里荒神にお参り

2012年07月20日 | ☆ ふるさと・大和
猛暑が続いた昨日のことです。
「立て里の荒神さんへ参ろうか。」前々からお参りしたいと思っていた矢先のこと、二つ返事で便乗させてもらうことにしました。

カーブ、カーブの山道も登るにつれて、クーラーよりも自然の風のほうが気持ちよくて、窓は全開して緑の風と森の息吹を深呼吸するような気持ちでのドライブでした。
お参りの順序があるようで、高野山は大門を横目で見ながら町を通り過ぎました。

竜神スカイラインの方へ行かずに、野迫川方面へと道をとりました。
ますます山が深くなり尾根筋から見下ろした、遥か・遥か下のほうに箱庭のような野迫川の集落が見えていました。

 
立里荒神は、高さ1000メーター級の山中に位置する神社です。
元は、荒神岳山頂(海抜1260m)に鎮座していたと伝わり、古荒神と称したようです。
現社地は尾根沿いに北へ2kmほど下ったところです。

 

荒神社の境内の狛犬さんのいるところからの眺望は素晴らしく、大峯山系の大和連山が、快晴のこの日は全て姿を現していました。
目にできる山々の絵と名前標高など、分かる人にはよく分かるだろうと思うように表示してくれてありました。
きっと何度もお参りしているうちに、山を見れば分かるのでしょうね。
この日のように遮るものもなく、山容を見える日もそうないのでは・・・と思ったりしました。

手水舎で身を清めて、いよいよお参りです。
ストックを持ってきていたのですが、石段が急ではないから大丈夫と言われたので、手すりもあることだし、カメラも使いたいし、結局車においたままにしました。

 

 

 
数えてはいませんが、百を超える数の鳥居の列をくぐって参拝します。
時々降りてくる人と出会いますと、「おはようございます」「ようおまいり」「もう少し頑張って」などと声をかけてくれますので、私もハァハァ息をするのを整えながら、大きい声で挨拶を返しました。
それにしても大変な石段と、大変な鳥居の数です。しかもみんな塗りではなく白木の鳥居で、長年山の空気に馴染んで森の色の一部になっているように見えます。
火を扱う関係の仕事の人の信者さんが多いそうです。火の神様としても知られます。


登って、登って、登って、さらに登って、やっとお社に着きました。
お参りして見上げて驚きました。
杉の巨木が神殿の屋根を貫いて上に伸びている のです。
この現社殿は昭和7年に建立されたものだそうです。

お参りさせていただく気力と、元気な足をまだ持たせていただくことに、荒神さんに先ずお礼を言ってから、家族の健康と平常な暮しをお祈りしました。
ゆっくりゆっくり神様と、向き合える時間を持たせていただきました。
心残す所なく、お参りできた喜びを噛み締めながら、一段一段、石段を降りていきました。

祈祷殿で、お払いをして貰って、ご祈祷を頂き、家の神棚にお祀りするお札を頂いてきました

 
「はい ようおまいりさせていただきました。ありがとうございました。」の気持ちで1枚パチリ。
五條市西吉野町と、野迫川村の境界線で「気をつけてお帰るください」に見送られて、涼しい野迫川村池津川の立里荒神さんにサヨナラしました。
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