昨日22日は「歌の会」の今年最後の練習日でした。練習は午後からなので昼食は、ささやかな忘年会の会食でした。
忘年会の会場のホテルリバーサイドの1階でしたが、始まるまでに6階のレストランからの眺望を、カメラに撮っておきたくて6階までのエレベーターで上に上りました。
結婚式場のカーテンが清楚な白で輝いているように見えました。突き当りの窓の外には東側の景色が見えます。
お昼にはまだ早い時刻なので、昼食のお客様が見えないので、レストランの中に入れてもらいました。
「御予約席」のプレートのあるテーブルがいくつかありましたので、迷惑が掛からないように大急ぎで撮った画像です。左中央から斜め上の道路がR24号線です、側道が広くなって道路も走りやすくなりましたが、途中でまだできていないところがあります。
アーチが道路の右から左にありますが、道路拡張工事の前は、24号を跨いでアーチの上の部分が残っていました。拡張を機に上の部分はなくなっています。
これが、「幻の五新鉄道」の遺構です。いつも思うのですが太平洋戦争がなかったら、五条駅から、新宮市まで繋がったはずの鉄道で、このアーチ部分だけは絶対に残してほしい、この町の戦争に対する無念のつまったものだと思っています。平和への願いの象徴として語り継いでいってほしいと思います。
吉野川を渡って鉄道は続くはずでしたが、川の名がに橋脚だけを残して鉄道は敷かれませんでした。その橋脚もいつの間にか取り外されています。吉野川の対岸からは西吉野町へ向けて鉄道の敷地だけは、確保されて一時は、バス路線にもなっていましたが、採算が取れなくて、すでに廃線になり、先日そのお別れ会のイベントが行われたと聞きました。
吉野川は五條市を東西に流れていますが、写真のようにこの二見地区で流れが南北に曲り、その曲がったところが、私の小さいころは「曲淵」と呼ばれ深い淵になって濃い緑が、不気味な淀みになっていました。この美しい川での砂利採りの採取工事が始まったころから、川は以前の美しさを失っていきました。何かが行われれば何かが失われ自然が変わっていくのは、気づいた時には、取り戻すのが難しい川になっていましたが、近年川を自然の昔のような美しさに戻そうという、取り組みが行われるようになってきています。
この眺めを拝見しました、
幻の五新線ほとんど出来ていた鉄道が中止にならなければ、
ずいぶん変わっていたことでしょう、
しかし五條市が発展するのはこれからです、
私どもの麻布十番もすっかり寂れていたのですが、
鉄道2本が入って見違えるように大発展しています。
ありがとうございました。このまま残して 観光資源に出来ないものでしょうか?
地域の方々には無念の象徴になってることでしょう。
戦争はどんな理由があっても絶対に駄目です。
その思いを忘れないためにも保存すべきでしょう。
歌の練習はいかがでしたか。
本番間近なのでしょうね。
何処をとっても懐かしい風景ばかり
残してほしい風景
次第に失っていき寂しいですね
おふたりと同じように、更新がないので心配です。
カフェテラス.心配で毎日見ていますが..
元気な.更新を待っています。
更新の無いのが気がかりです。
再開をまってぃます。