「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

生協の白石さん   人との距離感について

2005年12月19日 23時28分48秒 | BLOG論
生協の白石さん

講談社

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 ブログをやっていて神経を使う部分があります。それはコメントでありTBであったりするわけですが、記事は結構勝手なことを書けるのに、コメントになると急に臆病になったりしますね。
 記事だと(それはそれなりに意識しますが)読みたい人、もしくは共感できる人だけ読んでくれたらいいやって思って責任を読者の側に委託してしまったりするけどコメントやその返事、もしくはTBに対するお礼や返事などは人間関係がマンツーマンになって知らず知らずのうちに緊張を強いられる。
 嫌だって言っているんじゃないんですよ。そういうのってとっても嬉しいんですけど、ブログで繋がっている人達って、僕達が生の人間と付き合うより容易に親近感が増さないように出来てるんじゃないかって思うのです。
 良い意味で言えば初対面の時の緊張なり気の使い方がずっと残っているような感じがするのです。
 もちろん徐々に図々しくなってしまう(僕が)人もいて随分失礼しちゃう部分もあるかと思ってるわけですが、ブログだけだと超えられない、踏み越せない一線があるような気がします。
 だからといってブログは人間のコミュニケーションとして不完全なのかって言うと、それなら完全なコミュニケーションなんてありゃしないわけで、こういうツールだからこそ深まる人間関係もあるわけで、お互いに傷つけあわないように慎重に、例えていうならば「ハリネズミカップルのジレンマ」的な人間関係の作り方じゃなくてもっと時間をかけて優しい人間関係を構築できるような気がします。

 その意味でこの生協の白石さんはその距離感の取り方が絶妙なのだ。

 続きはまた明日。

さかむけは親不孝の印とカサブタ剥がしの癖

2005年12月19日 00時33分52秒 | 日記
 異常な寒さと静岡県だけに訪れる異常な乾燥状態が両方の親指で「逆さむけ」を絶好調にしている。

 僕は小さな頃からカサブタを見ると放っておけないタイプで常に剥がして血だらけになっている人だった。

 それはカサブタだけでなに止まらなかった。中学校の時、理科室の重い鉄の扉に親指を挟まれて爪の下に内出血を起こしたことがあった。

 やったのは同じクラスの女の子で岩崎という友人が「こいつの指はもう一生使えないかもな」と双方に非道いこと言ったりしたものだから、家に帰って母親の前で余程泣いたらしく後で僕の家に℡があった。

 僕は腫れていたけど大丈夫だったのでその旨を伝えると安心したようだった。

 でも爪の下の内出血はどす黒くなってきて嫌だったので血が固まった頃を見計らってカッターで自分の爪を剥がしたことがある。

 今思うと僕は相当変な奴である。

 爪の健康を示す白い半月の部分がぽっかり穴が空いてその部分に新しい爪が見えるという奇妙な状態になっていた。

 今日はあんまりいい話じゃありませんね。

 で、今も逆さむけが出来ると我慢できずにドンドン皮膚を剥がしてしまうのでカサブタがおさまる様子もない。

 これに対抗するために開発されたのが小林製薬の「サカムケア」である。

 最初は少し凍みて尚かつ接着剤くさいけどなれるとこれほど重宝なものはない。

 要するにセメダインを厚めに塗るみたいな感覚で、薄い皮膜で覆ってしまうものだ。
 
 カサブタ愛好者の楽しみを奪う卑劣な薬品かとおもいきや、広めに塗っておけば徐々にそのセメダインの膜を剥がしていけるので逆むけが治ると同時にカサブタ剥がし快感も提供してくれるという極めてバランスの良い商品なのである。