「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOG表現の困難さ2 鏡の中のアリス

2005年04月05日 22時34分36秒 | BLOG論
 鏡を見て自分の髪型を整え、化粧ののりを確認し、自分に気合いを入れて鏡の前を去る。
 鏡に映っているのは間違い無く自分でありながらその自分をもう一人の自分が見つめ矯正しようとする。
 
 では、もっと大きな大きな鏡、自分だけでなく複数の友達と一緒に映ることの出来る鏡の前に立ったときあなたは一体誰を意識し、そして見ますか。

 自分だけを見つめ続けますか?

 まず自分を見て、ポーズを決めてから友達を見ますか?

 それともまず友達を見て、それから自分を見て比較して優劣を決めますか?

 友達だけを見ますか?

 鏡の中の友達と目を合わせることが出来ますか?

 なんだか質の悪い質問になっているような気がします。

 

 今度はその鏡のある場所を考えましょう。

 あなたの前にはやはり大きな大きな鏡があります。

 そしてその場所は新宿駅の地下通路だったとしたらどうでしょう。

 鏡を見ているのは今の所あなた一人、だけど鏡に映るあなたの後ろを大勢の人が川の流れのように過ぎていきます。

 そして、時々何をしているんだろうと興味を持って立ち止まってあなたと一緒に鏡をのぞき込んでいく人がいます。

 そしてさらに何事か(鏡のあなたに)声を掛けたりする人もいます。

 あなたはそんな場所で鏡を見ています。

 そして声を掛けられるのを少なからず望んでいます。

 あなたは鏡の前でどんなパフォーマンスをしていますか?

 ブログは鏡の中で日々繰り返されるアリス(あなた)を主人公とする物語です。

 でもあなたが表情を作るとき、鏡の中を覗いているのはあなただけと思っています。

 生(ライブ)のあなたのココロと鏡の中のあなたの表情にはタイムラグがあると思っています。

 さきほど覗き込む人の反応は鏡の中のあなたに向けられると言いました。

 でもなぜか影響は鏡に映ったあなたではなくココロをもったあなたにダイレクトに届きます。

 不思議ですが仕方ありません。

 あなたの言葉は鏡のあなたに一度当たって跳ね返ってきます。

 でも他人の言葉はあなたの背後から直接あなたを喜ばせたり傷付けたりします。

 振り向いても良いですよ。

 足跡を残してくれる人もいます。

 でも大勢の人が横目でちらっと見るだけで通り過ぎていくだけです。

 鏡の中の自分を見ながら、後ろを通り過ぎる人を意識しすぎると目線が落ち着かなくて良い表情が出来ませんからご注意を、アリスさん