メル友と記事にブログを通して築く人間関係(面倒くさいので以後「コメ友」と呼ぶ)で決定的に違うのは相手に対して面識があるかないかだと考えている。
メル友も出会い系とかあるけど、ごく一部の利用法として排除し(いいのかな?)考えないことにする。
出会い系もいずれは面識をもつことを前提としているからだ。
思えば、携帯電話の番号がそのままメールアドレスであった時代には唐突に「メル友なりませんか」というお誘いがありました。
男から…。
まあそれは良いとして
僕らはどのようにして出会うのだろうか。
思いつく限り挙げてみる。
1.単語検索をして引っ掛かったので来てみた。
1.新着記事の欄からタイトルが面白そうなので来てみた。
1.アクセスランキングに載っていて来てみた。
1.トラックバック練習版に掲載されてたので来てみた。
1.プロフィールに興味を持って来てみた。
1.画像に興味を持って来てみた。
1.雑誌やテレビ等のメディアを通じてその存在を知って来てみた。
1.他の人のブログのブックマークにあってきてみた。
1.他の人の記事にコメントをしていて、興味を持って来てみた。
1.他の人のブログにトラックバックしてあったので来てみた。
1.自分のブログにコメントをくれたので来てみた。
1.自分のブログにトラックバックを貼ってあったので来てみた。
もっとあるかもしれないけどこんなものかな?
気付いたら教えて下さい。
で、メル友の場合は最初に何らかの面識なり、友人のつてであったりしても知っている人同士の繋がりな訳で、もっと言えばメールアドレスという結構プライベート(ダイレクトに本人にアクセスできるという意味で)なものを教えるんだからそれなりの防御壁を越えるだけの魅力が相手にないといけないわけですね。
で、今時の静岡の田舎の中学校では、どんなに遅くとも卒業時に携帯電話を持つのが常識だそうです。
それは卒業式の後に進学先がバラバラになっても連絡が取れるようにみんなで?メールアドレスを交換するそうで、それに加われないともの凄い寂寥感におそわれるようです。
で、高校にはいるとその個人情報が流れて、訳の分からない人からメールが来たり、暴走族などの資金調達に使われたりします。
いきなり「3万を何時までに何処其処にもってこい」ってメールが来るらしい。
そういう変な繋がりに発展したとしても最初は実に人間として密着した関係にあるのに対して、「コメ友」は言葉、もしくはフレーズ、もしくは文章のリズムから推し量る、ごく限られた人格に興味を抱いて近づいていくに過ぎないのである。
次は出会いからコメントを付けるまでの心理について考えてみます。
メル友も出会い系とかあるけど、ごく一部の利用法として排除し(いいのかな?)考えないことにする。
出会い系もいずれは面識をもつことを前提としているからだ。
思えば、携帯電話の番号がそのままメールアドレスであった時代には唐突に「メル友なりませんか」というお誘いがありました。
男から…。
まあそれは良いとして
僕らはどのようにして出会うのだろうか。
思いつく限り挙げてみる。
1.単語検索をして引っ掛かったので来てみた。
1.新着記事の欄からタイトルが面白そうなので来てみた。
1.アクセスランキングに載っていて来てみた。
1.トラックバック練習版に掲載されてたので来てみた。
1.プロフィールに興味を持って来てみた。
1.画像に興味を持って来てみた。
1.雑誌やテレビ等のメディアを通じてその存在を知って来てみた。
1.他の人のブログのブックマークにあってきてみた。
1.他の人の記事にコメントをしていて、興味を持って来てみた。
1.他の人のブログにトラックバックしてあったので来てみた。
1.自分のブログにコメントをくれたので来てみた。
1.自分のブログにトラックバックを貼ってあったので来てみた。
もっとあるかもしれないけどこんなものかな?
気付いたら教えて下さい。
で、メル友の場合は最初に何らかの面識なり、友人のつてであったりしても知っている人同士の繋がりな訳で、もっと言えばメールアドレスという結構プライベート(ダイレクトに本人にアクセスできるという意味で)なものを教えるんだからそれなりの防御壁を越えるだけの魅力が相手にないといけないわけですね。
で、今時の静岡の田舎の中学校では、どんなに遅くとも卒業時に携帯電話を持つのが常識だそうです。
それは卒業式の後に進学先がバラバラになっても連絡が取れるようにみんなで?メールアドレスを交換するそうで、それに加われないともの凄い寂寥感におそわれるようです。
で、高校にはいるとその個人情報が流れて、訳の分からない人からメールが来たり、暴走族などの資金調達に使われたりします。
いきなり「3万を何時までに何処其処にもってこい」ってメールが来るらしい。
そういう変な繋がりに発展したとしても最初は実に人間として密着した関係にあるのに対して、「コメ友」は言葉、もしくはフレーズ、もしくは文章のリズムから推し量る、ごく限られた人格に興味を抱いて近づいていくに過ぎないのである。
次は出会いからコメントを付けるまでの心理について考えてみます。
全く知らない人のブログに最初にコメントするのってけっこう勇気がいりますよね。自分のところにコメントもらうのはうれしいのですが、僕はなかなかコメントまで踏み切れません。
最初にanikiさんにコメントしたときもけっこうドキドキでしたよ。
怒られそうとか(笑)
そうするとコメントに踏み切ることができた保障をどこに求めたのか知りたくなりますね。
僕のある程度の年齢は知った上でのコメントだったのだと思うのですが相手に対するある程度の情報量がないとコメントに踏み切れないってのも分かりますね。
私も滅多にコメントしないほうなのですが。
anikiさんの文章から、アブナイ人ではないだろうと判断して、コメントさせてもらいました。
きっかけは、やっぱり「8の字」による親近感ですけれど。
その後、コメントを繰り返すかどうかは、コメントにお返事がいただけるかどうかが大きいですね。
私のように物事を深く考えられない人種でも「コメ友」と呼んでいただけるなら光栄です。
お!「おすもうやさんのミラーマンを知ってる!」とかいうだけでもかなりの安全保障に感じてしまいます。
りるさんもジモティーな大事なコメ友のお一人です。