「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

願いが一つだけ叶うなら 第2弾 魂胆見え見えですが

2005年09月19日 21時15分15秒 | 日記
 このブログを見に来てくれた人の願いがコメントとして残されたら、その願いが叶う力が欲しい。




 やりすぎかもね。


 ここは神社カヨ!

 おまえは神様カヨ!

 っていうツッコミがありそう。

 なのでせっかく来て頂いた方には僕なりの祝詞を差し上げましょう。

 祝詞(のりと)とは神様の前で言う、良き言葉のことで、日本人が本来もっている言葉にはそれを現実化する力があるという考え方で、結婚式で「切る」とか「離れる」とかいう言葉は使っちゃいけませんよね。

 それを口にすると、言葉がその持つ意味を現実化しようとすると考えているのです。

 教会で結婚式をあげるのに、神主さんが「死が二人をわかつまでえ」とか言いますが、あれには少しだけ違和感を持つのです。
 結婚の場面で「死」という言葉を出すのはいかがなものかと思ってしまったらあなたは立派な日本人の意識構造をもっている証拠なのです。


 願い事は祈りです。

 「願い」は自分の意志方向を示すことになります。

 人は願う宝庫をもって現実の歩みを続けます。

 その歩みが止まったり後ろ向きにならない限り、願いはかなえられるものです。

 あなたはこの世に生まれてきました。

 約10ヶ月という期間をあなたの母の胎内で過ごしています。

 その間あなたは大事育てられています。

 つまりあなたは確実に愛された経験を持っています。

 その後どのような事情があなた個人の身に起こったかは知りません。

 でもそれがどんなに酷いことでもこの世に母の胎内にやどりそこからこの世の中にでてくる瞬間までは必ずあなたは愛された経験があるのです。

 だからひとりぼっちではありません。

 例え短時間でもあなたを愛した人がこの世に存在して、あなたも誰かを愛することが可能ならばその思いは必ずあなたの願いを成就させてくれるはずです。


 この記事を読んでくれた人に、多くの幸あらんことを願います。


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2 コメント

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それでは (ドッペル)
2005-09-19 23:36:32
 株で大勝ちしますように【念】
お! (aniki)
2005-09-19 23:44:05
 さっそくのお参りには貴殿の信心の深さが知れようと言うもの。





 願いはきっと叶えられるでしょう。

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