「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

敬語のマニュアル化って

2005年02月06日 23時13分14秒 | 哲学的に
 敬語なんてマニュアル化できるのか?というのが正直な感想。敬語の正しさというのを誰が保障してくれるのだろう。敬語の発生は何処にあるのか。自分より立場の上の人に対して使うのが敬語でしょ。原始社会では神に対して使ったのが最初じゃないのかな。で、神のお告げを代弁してくれるシャーマン=卑弥呼みたいな巫女さんや今の皇室のご先祖様たちに使い出したんじゃないのだろうか。そうすると今度は皇族の親戚達である貴族使わなくちゃいけない。この辺りから権力や身分を表現する方法ととして、ピラミッド型の秩序を固めるために細かな敬語法が編み出された。で、権力が武士に移って500年ぐらいそのまんまでしょ。
 だからお侍さんが沢山いるところには敬語も色濃く残っている。いわゆる城下町ってのは街から人まできちんとした秩序があるよね。一番は江戸でしょ。今の標準語って基本は江戸山の手の武士の奥方が話していた言葉らしい。
 でも田舎や商業都市は違う。身分を意識することは日常生活の中じゃ殆どないから、敬語も育たない。男女の格差さえないところがある。「おらあ、そっただことはんずかすい」に男も女もない。
 だから若い人たちの言葉がなってないと怒っている人たちの中でどれだけ敬語を付きこなせる人がいるのか疑問だし、問題の本質は異世代間のコミュニケーション不足からくる意識訓練の不足であって小さいころから近所大人とちゃんとコミュニケーション取れてる子供は、フォーマルとインフォーマルの使い分けをきちんと体験し、ほおっておいても敬語は身に付くもんだと思うのである。

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