「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

放置されるコメント2 痛み

2006年03月25日 00時25分35秒 | BLOG論
 前回の「放置されるコメント」という記事が各所に波紋を呼んでいるようです。自分も書いていて、痛いなあ、と思った訳ですが、それ以上に僕がコメントをつけさせてもらっているブロガーさんにとって辛い思いをさせてしまったことに、謝意を表したいと思うわけです。
 
 といいますか、この「コメントを放置する」という好意は毎日欠かさずブログをしている人以外は必ず経験があるわけで、ブロガーとして1年以上のキャリアを持つ人なら誰でもが抱いた感情なのではないだろうか。
 そしてそれは「放置する」側だけでなく「放置される」側の経験でもあり、今回のこの稿で皆さんが、少なからずそれは多分コメンターに対しそれがどんな事情であっても、少なからず礼を欠く行為であることを自覚なさっているという証拠なのではないだろうかと思う。
 しかし著名人ブログだけでなく、コメントに対し、その数に関係なく一切返事をしないという方針があってもそれはそれで、「有り」なわけで、ブログが情報発信であったり、恣意的にコメントが選択されて返事を書こうと、それは自由なのである。

 


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4 コメント

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放置されるコメント (かず)
2006-03-26 13:53:48
前回の記事にコメントさせて頂こうと思ったのですが・・・

何と言っていいものかわからず、途中でやめてしまいました。



anikiさんのおっしゃられているお気持ちはよ~~~くわかります。

ちょっと前までは、コメントの返事の前に記事をアップするのはコメントしてくださった方にたいして失礼と思っておりました。

しかし、最近は結構やってしまいます。

コメントってお返事するのに労力を要しませんか?

もちろん、コメントもらって嬉しくないはずはないし、そのコメントにたいしてお返事するのも楽しいのですが、

自分の好き勝手に書く記事とは違ってそれなりに気を使うというか何というか。

短い文章でも、思いの他時間を費やしてしまったりします。

本来記事を書く前にコメントにお返事するべきだとは思っていても、

ついつい後回しにして記事を先にアップしてしまったりしてしまいます。



そのくせ、1日以上コメントを放置するだけでも心が痛みます。
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川柳に (aniki)
2006-03-26 19:48:35
来て嬉し帰って嬉し孫八人

 

〔信濃毎日新聞:石曽根民郎選・平成七年六月十四日〕



というのがあります。



 コメントも全くその通りで僕のようにコメントが散見されるような感じのブログならまだ良いのですが、カズさんのところのように必ず複数のコメントが付くブログでは大変だろうと思います。

 圧迫感に似た責任感か、もしくは見ず知らずの人を傷つけたら大変だという恐怖感に似たものが生じるのも仕方がないかと思います。

 それはカズさんが人に接するときのカズさんなりの最低限のマナーを心得ているからで、その人柄が多くの人のコメントを引き寄せているのだと思います。



 うれしいんですよ、カズさんに会いに行ってお話出来るのがね。絶対に傷つけるようなことは言わない。そういう信頼を僕らが勝手に持ってしまう人なんだと思います。



 僕は、ですから多くのコメントが付く記事には敢えてコメントしないという変な気の使い方をするときもあります。なんにもならないのですけれどね。



 でね、今回、カズさんがこうして、おそらく本音に近いものを話してくれたは、僕にとってはとても嬉しいことなんですね。



 それは僕らはお互いに顔も姿も知らないけど、1年掛けてコメントを交わし、お互いの記事を読んで築いてきた、ネット上だけかもしれないけど、悪くない人間関係があってこそのコメントだと思うのです。

 コメントってそういうものなんだと思ってます。

 1回のコメントで伝わるのはわずかにしかないけども精一杯気を遣って、それを重ねることでじわじわって沁みてくるの人柄がありますでしょ。だからコメントって良いと思うのです。大変だけど。



 そしてコメントをする側も返事をする

側にも、何故かくっついてくる「放置」の痛みは、それがその人自身が一定以上の優しさとか良識を有している同士での話であるから、お互いに理解し合えないはずはなく、一言コメントの最初で謝意を表すれば、絶対分かってくれるはずだと思っているのです。

 少なくとも僕らはそのくらいのプライドをもっても良かろうと思います。



 

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なんだか・・・ (かず)
2006-03-26 23:37:38
ちょっとこそばゆい感じがしますが、あたたかいコメントありがとうございます#^ ^#



そうですね、上で書いたコメントは、私にとっての本音であり、しかしそれを誰彼構わず漏らしていいものかは考えてしまう内容ですね。

きっと、anikiさんにだから明かすことの出来た私の気持ちで、やはりそれを伝えられる人としてのanikiさんに対する信頼感というものが私の中で出来上がっているのだと思います。

なんだか、そういわれて・・・改めてブログという世界、ネットという世界の人間関係を不思議に思います。

不思議に思うことなんてないんですよね、ただ、直接会ったことがない、それだけのこと。

対話形式ではないけれど、毎日お互いが一方的に話し一方的に聞き、たまに意見を言ったり、相づちを打ったり。

そんな人間関係の間でも長い年月をかければ信頼感も安心感も親近感(?)も生まれるものなのですよね。



だからこそ私はブログが好きで、これだけの長い期間続いているだと思います。
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なんか (aniki)
2006-03-27 15:08:01
 ぼくもちょい恥ずかしくなってきました。だってこの会話も不特定多数の人に読まれる可能性があるわけで、それは山手線の朝の車内で会話してるしてる程度の聞かれ方をしてるのではないかと思うのです。



 でもまあそういうリスクもあるからこそ、お互いによい部分だけで付き合っていけるのかもしれませんから、それはそれで自分の再発見に繋がるかと思います。
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