心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

心と体を通して見えてきたもの №43

2007-07-19 21:47:25 | Weblog
彼は高級士官になるための高級学校に行くのだろうと思っていたのですが、進路変更をして役人になるための高級学校を卒業して、高級行政官になりました。
軍備を増強すべきだと言っていた彼が、なぜ私がやりたかった行政に進路を変えたのだろう?と思いました。思い当たることは一つだけあります。彼が自分の不正行為を私のせいにしたことです。
私は役人になれなかったことは悔しいけれど、不幸だとは思いませんでした。どんな職業も生きていくうえで大切だし、職業に貴賎はないと考えたからです。私は農民の立場で、国の行政のあり方を考え、真の平和とは何か、平等とは何かを考えました。また、神のご神託を受けるために、牛を生贄に使っていたのですが、私はどんな生き物であっても、殺生はよくないと思いましたから、それもやめて、他の方法に変えるべきだと思いました。
私は農作業の合間に、それらを文章にして発表しました。もちろん今のように、言論の自由はなかったのですが、身分制度の中で、許される範囲内のものを書いていましたので、とがめられることはありませんでした。
5~6年に一度、国民全体の意見をまとめ、国の中央で全ての役人によって審議され、行政に反映されるようになっていました。前年に、まず下級役人が地域の住民の意見を聞く、会合があったのですが、私はその席に出席して提案することもありました。下級役人は、地域住民の代表として意見をまとめて、国の中央の島で行われる集会で発表します。そのとき、高級行政官になった彼もそこにいました。彼は私の意見を取り上げて、行政に反映させてくれたことが何度かあります。
私は、役人になることができなかったのは残念でしたが、私の意思を理解してくれる同級生が高級行政官にいて、彼らしいやり方で取り上げてくれた時にはうれしく思いました。
学生の時に、彼が私をいじめたときも「彼の本性は愛である」と思い、彼の高級士官になりたいという夢を達成するために、がんばって欲しい、一緒に夢を実現したい、と思っていました。任用試験の時は、彼に裏切られたと思いましたが、その後彼が自ら高級行政官になったときには、私の「彼の本性は愛である」という彼に対する思いに、彼自身が応えてくれたようでうれしく思いました。
私はずっと「人間の本性は愛である」と信じ続けてきましたが、このように信念となって思い続けていることは、それが現実のこととして影響を与えるか、実現するまで働き続けるという法則があります。ここでは彼が士官として戦争の指揮を執ることよりも、人々のためになることを行おうという愛に基づいた行動を、彼自身が自ら選ぶようになるという形で実現しています。(心のしくみや法則の詳細については第二章で取り上げる予定です。)
№44につづく
コメント
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