心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1762

2019-03-28 20:55:45 | Weblog
ナンバー1762 2019.03.28  一貫性をそなえ相互結合している宇宙
アーヴィン・ラズローの『生ける宇宙』の続きです。
『21世紀の最初の10年間に位置する今、科学の最前線にいる独創的な研究者たちは、リアリティ(実在)が持つ包括的な性質を再発見しつつある。
彼らは、リアリティの包括的性質が確証できるような個人的な経験を、検証不可能な直感の領域から、人間どうしのあいだで検証可能な、万人共通の知識の領域へと引き上げているのだ。
リアリティに関して今出現しつつある考え方は単なる仮説以上のものであり、科学者以外の人たちの関心も集めている。
それは、知覚というベールを引き裂き、世界の本質を理解できる段階へと、わたしたちをかつてないまでに近づけてくれる。
そればかりか、これはわたしたちの生活や幸福にとってもありがたい再発見だと言える。
なぜなら、長きにわたって人類が、ほんとうはそうなのではないかと思ってきたものの、近代以降は表現することができなかった(それどころか、詩人や恋する者でないかぎり、表現しようと試みることすらためらわれてきた)ある事柄が、正しかったことを立証してくれるのだから。
その「ある事柄」とは、自分が何かに属するという帰属感、あるいは、一体感である。
わたしたちは、お互いの、そして自然の、一部である。
わたしたちは、一貫性をそなえた世界の、一貫性をそなえた一部である。
その点に関しては人間も、一個の素粒子、恒星、銀河とまったく同じだ。
それらとわたしたちとの違いはただ一つ、わたしたちは世界のなかの意識を持った一部、これを通して宇宙が自らを知るようになる一部であるという点だ。
この洞察は、生きることのより深い意味を再発見するための、そしてさらに、今という歴史の重大な岐路に必要な、より信頼性の高い新たな指針の確固たる基盤となる。
わたしたちは、意識を持った存在としての自らの可能性を十分に発揮することができる。
これは不可能でないばかりか、特別困難なことでもない。
新しい科学の諸分野で行なわれている複雑な演繹や、使用されている難解な数学の向こう側に存在する、一貫性をそなえ相互結合した包括的な宇宙の基本概念は、単純で意味深いものである。
それどころか、その基本概念は美しくさえある。
それを自分たちのものに出来たなら、以前に父や祖先たちがいた地点に戻ることができる――しかも、彼らよりはるかに強い確信を持って。
最先端の科学は、わたしたちは思い違いなどしていないと教えてくれている。
わたしたちはたしかに、包括的で全一的な宇宙の住人であり、そのような宇宙の一部なのだ。』
ナンバー1763 につづく
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第3章 光とともに ナンバー1761

2019-03-24 20:55:27 | Weblog
ナンバー1761 2019.03.24  宇宙には謎がいっぱい
アーヴィン・ラズローの『生ける宇宙』の続きです。
『物質――素粒子が集合して原子となり、原子が集合して分子となり、分子が集合して細胞になり、細胞が集合して生命体をなす、というような「もの」――は、ばらばらに独立して存在しているのではない。
それどころか、それ自体が実体をそなえた存在ですらないのである。
堅固に見えてはいても、つまるところ物質とは、量子化された波束としてまとまったエネルギーであり、これらの波束がさらに集まって、世界を構成する巨大な調和した構造物をなしているのだ。
「宇宙には物質しか存在しない。
そして、すべての物質はビッグバンで作られビッグクランチで消滅する」という考え方が広く受け入れられているが、これは大間違いだ。
さらに、物質の振舞いを理解すればすべてを知ったことになるという、かつての物理学やマルクス主義理論に共通する信念は、詭弁以外の何ものでもない。
こうした考え方は今や完全に時代遅れとなった。
宇宙は、科学者、技術者、マルクス主義者たちがかつて推測していたよりもはるかに驚異的である。
また、宇宙の相互結合性と一体性はSF作家の想像力をはるかに超えて、深く徹底的なものだ。
今この時期に宇宙の全一性が見出されつつあるのは、観察し、実験によって検証するというプロセスに基づいて長年研究が続けられてきた成果である。
それは、わたしたちが学校で教わった機械論的、物質主義的な分断された世界というものとはまったく異なる世界のイメージを提供してくれる。
互いに結びつき、一貫性をそなえ、そして全一である一つの宇宙は、あらゆる文明の伝統のなかに存在していた、ひじょうに古い、ある認識を呼び覚ます。
それは、「魅力に満ちた宇宙」という認識である。
一貫性をそなえた包括的な全一体として宇宙が魅力を取り戻しつつあるのは、自然科学の諸分野における最新の発見のおかげだが、「魅力に満ちた宇宙」という基本的な概念そのものは、何も新しいものではない。
じつのところそれは、文明と同時に誕生した古いものだ。
過去の時代、呪医、司祭、シャーマン、予言者、賢者たち、そして、豊かな想像力で眼前のものよりもはるかに遠くを見やり、そのとき目に入るものに心を閉ざさない勇気を持ったすべての人々は、世界は連結した全一体であることを知っていた。
しかし、彼らの認識は、神秘的、宗教的、あるいは芸術的な経験から得られる種類の洞察であり、たとえ絶対に疑う余地はないと思われる場合であっても、個人的で検証不可能なものだった。』
ナンバー1762 2019.03.28 に続く予定です
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第3章 光とともに ナンバー1760

2019-03-20 21:09:05 | Weblog
ナンバー1760 2019.03.20  一貫性を持つ宇宙
アーヴィン・ラズローによる『生ける宇宙』(日本教文社発行)では、「私たちのこの銀河宇宙は、偶然に生まれたのではなく、もしかしたら目的のある設計によって生まれたのだろうか?」と問いかけて、次のように書いています。
『キリスト教の神学は目的のある設計という立場をとっているが、今や科学は、それ以外のいくつかの可能性を検討することができるところにまで進んでいる。
この数年間で、わたしたちが住んでいる宇宙は存在する唯一の宇宙ではないとする、いくつかの「宇宙シナリオ」が構築されている。
数学的に精巧に作り上げられた宇宙創生理論が、アンドレイ・リンデ、スティーヴン・ホーキング、イリヤ・プリゴジン、フレッド・ホイル、そしてシュタインハートとチュロックなどによって提案されており、しかもこれらの理論はなかなか筋が通っている。
これらの理論は、ビッグバンで生まれたのではなく、また、最後の銀河規模のブラックホールが崩壊してわたしたちの宇宙が消滅するときにも終焉を遂げない“メタ―宇宙”、すなわち“メタヴァース”が存在すると主張する。
メタヴァースは、わたしたちの宇宙が生まれる前から存在し、わたしたちの宇宙が形を保てる段階を終了したあとも存在し続ける。
メタヴァースの宇宙論は、わたしたちの宇宙のライフサイクルが始まる以前を支配していた条件、あるいは、それ以後を支配する条件について論ずるうえでは、ビッグバン理論(この理論は、わたしたちの宇宙だけに限られている)よりも有利な立場にある。
ビッグバンは、宇宙の原因として、そして宇宙を創生したものとして、唯一のものではなかったのかもしれない。
この途方もない爆発は、すでに存在していた宇宙の子宮のなかで起こり、それが一貫性ある性質を帯びていたのは、そのすでに存在していた宇宙が持っていた条件の結果なのかもしれない』
また彼は同じ『生ける宇宙』の別のところで、次のようにも言っています。
『宇宙は、つながりのない個別の物や出来事からなる世界ではない。
外側にいる観客が、魂に訴えかけもしない見世物をただ眺めているようなものではないのだ。
それは、統合された一つの全体である。古典物理学が構築した魅力のない世界のように、物質と、生命や精神の領域とは互いに分断されてなどいない。』
ナンバー1761 2019.03.24 に続くでしょう
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第3章 光とともに ナンバー1759

2019-03-16 21:04:31 | Weblog
ナンバー1759 2019.03.16  量子真空の超ひもから生まれた宇宙
現代物理学によれば、この宇宙は今から137億年前に誕生したと言われています。
このような長い歴史を持つ宇宙に対して、一人の人間が生きている時間はせいぜい100年ですし、現代物理学と呼ばれるような精密な観測記録をもとに、物理的な理論や法則を構築しはじめたのは、1900年頃からの100年とちょっとではないでしょうか。
137億年という宇宙の長大な歴史に比べれば、人類が宇宙を観測することで、これまでに理解できたことがらは、ごくわずかなものかもしれません。
ですが、現代物理学はかなり真理に近づいているのではないか、と私は思います。
アーヴィン・ラズローは『準定常状態宇宙論(QSSC)では、ホイルとその同僚であるバービッジとナーリカーが、物質生成は、銀河の中心部のように既存物質が高密度に集積して生じた強力な重力場のなかでときどき爆発的に起こることを示している。
QSSCによれば、現在の宇宙全体の膨張の背後には、400億年周期の波動が重なり合っている。
物質生成はこの周期ごとに集中的に起こり、ある周期の開始点まで時間をさかのぼると、宇宙の大きさは振動の最小限まで小さくなるはずだ。
最近の大規模な物質生成が生じたのは約140億年前であり、これは標準シナリオの推定値とちょうど一致している。』と言っていました。
このように宇宙が何か一定の規則に従っているかのように、周期的に創られては、壊されるということを繰り返していると物理学者たちが考えるのは、この宇宙を構成している物質を究極にまで小さく分解したものが、粒子ではなく自由に伸びたり縮んだりして振動する性質を持つひもであるということに起因しているのではないでしょうか。
超ひも理論によれば、この宇宙のあらゆる物質を究極にまで分解してプランク世界にまでいくと、一本の振動するひもになるといいます。
このひもには張力があって、伸びたり縮んだりして自由に動きまわる度合いによって、さまざまな素粒子や力、時間や空間の起源に関係しているといいます。
量子真空の場でリズミカルな生成と解体が一定の間隔で何度も繰り返されることで、宇宙全体の素粒子や時間と空間などが一つの構造体を創りだせていると考えると、まるで宇宙全体が一つの生命体のように私には感じられます。
あるいは、網の目のような情報のネットワークが張り巡らされた一つの場がこの宇宙であるようにも思われます。
網の目状に広がるネットワークのあらゆる点から、物質が生成されているのかもしれませんね。
ナンバー1760につづく予定
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第3章 光とともに ナンバー1758

2019-03-12 21:12:50 | Weblog
ナンバー1758 2019.03.12  宇宙の謎と人間原理
アーヴィン・ラズローの『創造する真空(コスモス)』(日本教文社発行)の続きです。
『しかしそれでも、自然科学的な説明は常に失敗に終わる恐れがある。
そうなったら私たちは、いま目撃している宇宙が全能の建設者によって意図的に設計された産物だという可能性と直面せざるを得ないのだろうか? 
こうした疑問のすべてがこれまでに検討され、それに対してさまざまな仮説が提示されているが、まだ満足のいく答えは得られていない。
仮に多数の宇宙が偶然の可能性を高めるとしても、偶然は合理的な答えとはならない――それは、私たち自身も含めた観測対象のすべてを、宇宙のルーレットの対象にしてしまう。
宇宙の全能の建設者による意図的な設計だと考えればこの問題は解消されるが、あらかじめ定められた目標という考えは、偶然の賜物という考え以上に自然科学には受け容れがたいものだ。
「人間原理」――宇宙が現在の状態にあるのは、それを人間がいま観測しているからだとする原理――についても広く議論されているが、量子物理学者の特定の学派以外にはなかなか納得しがたい議論である。
つまり謎は依然として残っているのだ。
宇宙は時刻○の時点で、どのようにして100億年ほど後の状態を予見しえたのだろうか? 
生命の謎とビッグバンの謎は互いに関連しているのだろうか? 
もし私たちの宇宙が誕生した条件についてもっと理解できれば、その諸定数がこれほどまで生命の進化にふさわしく調整されている理由も明らかになるのだろうか? 
おそらく答えはイエスである。』 
アーヴィン・ラズローの長い文章を引用しましたが、彼は最後に次のようにまとめています。
『宇宙の構造が、なぜ生命が進化できるように正確につくられているかという謎は、まだ合理的に説明されていない。
さらに、現在観測される宇宙を生みだした不安定な状態の起源と時期に関する答えも、有望なものではあるがまだほとんどが仮説の段階であり、驚くような姿もかいま見えるものの、最も興味深い点については依然として曖昧なままである。』
このような人間が宇宙を見ることで、宇宙について人間が考えるから、考えた通りの姿を宇宙が見せているのは、人間原理かもしれませんが、宇宙全体と人間の意識が相互に結合しているためであり、お互いは依存しあう関係にあるためなのかもしれません。
ナンバー1759 2019.03.16 に続くでしょう
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第3章 光とともに ナンバー1757

2019-03-08 21:12:29 | Weblog
ナンバー1757 2019.03.08  宇宙には謎がいっぱい
アーヴィン・ラズローの『創造する真空(コスモス)』(日本教文社発行)の続きです。
『しかし現実に、宇宙空間の物質の量と分布も、宇宙の四種類の力も、まさに生命が宇宙で進化できるような値になっている。
宇宙の膨張速度も宇宙の力の値も、この宇宙(あるいは宇宙の今回の周期)が始まったときにすでに決まっていたはずである。
しかし、そうした値が、宇宙みずからが開始させたプロセスに合った値にまったくの偶然によって調整されたとはまず考えられない。
ロジャー・ペンロウズの計算によれば、私たちの知っているような宇宙を実現するには、10の123乗を10の冪(べき)通りも可能性がある宇宙のなかの一つを正しく選択しなくてはならない。
これだけ小さな確率になると、今の宇宙が偶然による賜物だという説明には無理がある(ペンロウズ自身は、物理法則を超越した「特異点」という言葉を使っている)。
もちろん――時間が十分に与えられるのなら――純粋な偶然が秩序を生む可能性も完全には否定できない。
ポール・ディヴィスの推定では、私たちが現在の宇宙で観測できる程度の秩序を完全に偶然のプロセスだけで達成するのに必要な時間は、10の80乗を10の冪(べき)年になる。
これらの数値は、いずれも途方もなく大きな数である。
こうした数は、私たちの宇宙よりも以前に存在したかもしれない――あるいは現在も併存しているかもしれない――別の宇宙にも適用されると考えてもよいのかもしれない。
もしそうであれば、偶然による確率は宇宙の数が多くなる分だけ少し高くなるだろう。
十分に大きな数があれば、私たちの宇宙のようにとてもありそうにない宇宙も、存在する可能性がある程度出てくる。
しかし、もし宇宙がいくつもあるという仮説を捨てるとしたら、宇宙の諸定数が現在のように調整されているのは、その値によってのみ生命は進化――さらには、現在この宇宙を観察する人間の進化――が可能だったからだと仮定しなくてはならないだろう。
物理世界をこのように観測者を中心にして解釈する方法は、量子論のコペンハーゲン派の考え方(自然は量子の世界では確率的な重ね合わせの存在であり、観測者の測定行為から独立した実在は存在しないとする考え方)と相性がよく、その考えを進んで信奉する物理学者もいる。』
ナンバー1758 2019.03.12につづくでしょう
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第3章 光とともに ナンバー1756

2019-03-04 21:09:17 | Weblog
ナンバー1756 2019.03.04  宇宙には謎がいっぱい
アーヴィン・ラズローの『創造する真空(コスモス)』(日本教文社発行)の続きです。
『生命にふさわしいように宇宙を微調整しているのは、宇宙のなかの物質の量と分布、そしてその物質の相互作用を支配している宇宙の力や定数だ。
物質は宇宙空間のなかのごく少量の沈殿物にしかすぎないが、どうやら生命を進化させるのにぴったりの濃さになっている。もし宇宙の物質量が現在よりもほんの少しだけ多かったとしても、恒星の密集度が高くなる結果、恒星どうしが接近する確率が確実に高くなって、生命を擁する惑星を安全な軌道からはじき飛ばしてしまっただろう。
そうなれば、その惑星の表面にどんな生命が進化していたとしても、凍りつくか蒸発してしまうはずだ。
また、原子核の粒子を結合させている強い核力が、現在の値よりもほんのわずか弱かったとしたら、重陽子(重水素の原子核)は存在することができず、太陽のような恒星が輝くこともなかっただろう。
逆に、その力が現在の値よりわずかに強かったとしたら、太陽をはじめとする活発な恒星は膨張し、おそらく爆発してしまうはずだ。
物理的な宇宙の定数が生命に適した値を持つように微調整されていることは――これが本当だとすれば――一連の偶然の積み重ねである。
これは驚くべき偶然の連鎖であり、現在の値からほんの少しずれただけでも、生命は終わりを迎えてしまうだろう。
いや、もっと正確に言えば、そうした条件下ではそもそも生命が進化することさえなかっただろう。
もし原子核内の中性子が陽子よりも重くなかったら、太陽をはじめとする恒星の活動期はほんの数百年に短縮されるだろうし、電子と陽子の電荷の大きさが正確なバランスを保っていなかったとしたら、あらゆる物質の構成は不安定になり、この宇宙には放射と比較的均一な気体の混合物だけしか存在しなかったはずだ。
さらには、ビッグバンの直後に起きたインフレーションの際に、大規模な均一性のなかに生じた正確な小規模の偏りが存在しなければ、今日のような銀河や恒星は存在していなかった――ということは、こうした疑問の数々に答えを求めようとする人間が存在する惑星も存在していなかった――に違いない。』
ナンバー1757 2019.03.08につづく
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