心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №1014

2014-01-30 20:20:03 | Weblog
アストラル界の粒子と電子
物質の世界の粒子は常に振動していて周囲にその波動が広がっていますが、
運動をしても光の速度に達することはありません。
そして物質世界の分子は熱さや冷たさといった温度に反応して、膨張したり収縮したりします。
アストラル界の粒子は物質世界の粒子よりも小さくて、物質世界の粒子のすきまを満たしているため、
アストラル界の質料の海の中に物質粒子が浮かんでいます。
物質世界の固体の分子同士は、お互いに密接に引き合って、強く結びついているため
自由勝手に動き回ることができないのに比べて、液体の分子は結びつきがゆるいため、
ある程度自由に動きながら振動しているのと同じような感じで、アストラル質料が存在しているようです。
アストラル界の粒子は、物質の粒子よりも、きわめて移動性に富むと神智学はいいます。
特に感情の動きには、素早く反応します。
そのため「感情(エモーショナル)の物質(マター)」と呼ばれるそうです。
アストラル質料の感情、欲望、激情に対する反応は、音に対する空気の反応よりも大きいといいます。
量子論では一つの電子を観測していない時には、激しく動き回るプラズマとして広がっていましたが、
それは49個のアストラル原子だと神智学はいいます。
この49個のアストラル原子のグループによって、一つの物質電子ができているそうです。
アストラル体はアストラル質料からできていますが、アストラル質料はこのアストラル原子によってできています。
物質を構成している粒子には、プラス(陽)とマイナス(陰)がありますが、
これらには、アストラル界と物質界をつなぐ役割があると、神智学はいいます。
陽子などのような陽性の場合は、アストラル界層から力が流れ入り、原子を通過して物質界層に抜け出ます。
電子などの陰性の場合は、物質界層から力が流れ入り、原子を通過して
アストラル界層に抜けて、物質界層からは姿を消してしまうといいます。
科学者たちが観測するために電子を見た瞬間に、物質粒子としての電子が生まれ、
観測をしていない時にはプラズマとして波状に拡がったのは、このような原因があるようです。
『神智学大要 第2巻アストラル体』(出帆新社発行)によると、アストラル体の機能は大きく分けて、
感覚を可能にする、精神と物質とのあいだの懸け橋となる、意識と行動とを起こす独立の器となる、の三つあるといいます。
人は五官によって物質を見たり触ったりすることで、周囲から何かを反射的に感じることができますから、
感情や情緒の体であるアストラル体は、大きな鏡や反射板にたとえられるようです。
アストラル体は、このように感じることを可能にします。
№1015につづく

ひとりごと
寒いと思ったら暖かくなって、
暖かいと思ったら、寒くなって・・・
しだいに春になるようです。
友達から来たメールに
庭に、千両、南天、つつじ、桜が、並んで咲いている・・・
とあった、う~ん・・・
見てみたい

春が近くて頭が可笑しくなっていて?
ブログの文章も、右往左往して
読みずらいでしょうね。ごめんなさい。
これでも、なんとかしようとしているのですが・・・
(TOT)
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第3章 光とともに №1013

2014-01-28 21:45:43 | Weblog
アストラル質料、アストラル界
この物質世界のすべての形態は素粒子からできていて、素粒子は波でもありますから、
陽子や中性子も、原子も分子も、ウイルスや細菌類も、ゾウリムシや人間、
月、地球、太陽もそれぞれが独自の波動を出しています。
私たちはこのような波動を視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という
感覚器官によってとらえることで知覚していますが、人間の持つ感覚器官で捉えることのできる波動の範囲は、
波動の全領域からすれば極めて小さな限られた範囲のものですから、完全なものではありません。
理論的に考えて、重力波も宇宙全体に広がって存在しているはずだと、
科学者たちは考えていますが、まだ検出されていないようですが、
足立育朗さんという宇宙から情報を得ている方によると、電磁波だけで10の3兆乗種類あるそうです。
電磁波というと、電波、赤外線、紫外線、X線、γ線などを思いますが、すべての波動は連続的に分布しています。
私たちはその中の、可視光線の部分だけを見ることができますし、
可聴音域と呼ばれる部分の周波数の音だけを聴いています。
このようなごく限られた一部分の波動を、感覚器官がとらえると、
それは私たちの意識に刺激を与え、音や光として認識されます。
この認識によって生まれた気持ちや感情にはそれぞれ力があります。
この感情や気持ちを表現する時、その内容によって
非常に力強いものもあれば、弱いものもあります。
感情を自分の中で創り出すこともありますし、
他の人が感情を表現する時、その力の影響を受けることもあります。
感情表現は言葉だけで行うことよりも、表情や態度などで行うことも多いものです。
私たちは様々な感情を表現しますが、すべての感情は感覚器官によって知覚されたものに対する反応としておこっているものです。
感情を表現する時、周囲にいる人たちにもその影響が及ぶことが多いですから、感情は一つの力であるといえます。
物理学によると、力が他のものに伝わるときには、媒体(質料)が必要だといいます。
同様に感情も周囲に伝わる時には、周囲に影響が及びますから、そのような質料を持っています。
この質料は感情を表現する時のものですから、アストラル質料といい、
感情や情緒の階層であるアストラル界にあり、アストラル質料によってつくられている
アストラル体によって、私たちは感情表現の活動をしています。
№1014につづく
 
ひとりごと
私の仕事は、忙しい時と忙しくない時があり、
たいてい一月は、そんなに忙しくないはず・・・
なのに、今月末は・・・
なぜか忙しくて、
ブログを書く時間がとりにくくなっています。
なんだか落ち着かなくて、
気分もコロコロ?変わっているようで・
この文を読む方も、
文章があっちへ、こっちへ、と右往左往しているのが、
感じられることでせう・・・(TOT)
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。


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第3章 光とともに №1012

2014-01-26 20:20:23 | Weblog
物理学によると、物質は個体、液体、気体の三つの状態があるといいます。
個体の分子同士はお互いに密接に引き合って、強く結びついていますから、
自由勝手に動き回ることはできませんが、分子はそれぞれの位置で振動しています。
温度が高くなるほど、この分子の振動は激しくなります。
液体は個体の分子よりも結びつきがゆるいため、ある程度自由に動きながら振動しています。
温度が高くなれば、さらに振動が激しくなりますし、動きも激しくなります。
気体の分子は、液体よりもさらに分子同士の間が離れているため、
お互いに引き合う力がさらに弱くなりますから、さらに自由に動き回ることができます。
温度が高いほど、分子の動き回る速度も速くなります。空気中の酸素分子は、
秒速500メートルほどで動き回っているといいます。そして物質には、重さがあります。
この重さが重くて動く速さも速いほど、大きなエネルギーと力を持つことになります。
大きなエネルギーと力を持つものほど、周囲に与える影響も比例して大きくなります。
そしてこれら気体、液体、固体の物質の速度は、光速度に達することはありません。
これが物質世界に存在している物質形態の特徴です。
そしてこれらの物質の状態を理解するための器官として、五官を持っています。
個体には触れることでその振動や波動を感じ取り、目で見ることで色や形を理解することができます。
たとえば、体の体格や肌の色、着ている服の色や素材などを見て触って理解します。
液体は味覚を通して、気体は匂いや音で理解できますから、五官は肉体にとって重要な器官です。
これらの器官から入ってきた情報を基に、様々な判断をして表現を行います。
これらの固体、液体、気体はすべて、光速度になることはできません。
神智学によれば、科学者たちが暗黒物質と呼んでいるものはエーテルであり、
これは物質ですが、気体の分子同士よりもお互いの距離が離れていて希薄な状態にあるといいます。
そして光は、エーテルの中の波動だといいます。
このエーテルよりもさらに希薄な物体があるといいますから、
それは光速度よりもはるかに速い速度のものでもあると考えられます。
それは、私たちのだれもが持っている感情と思考です。
物質には重さがあり、エネルギーと力を持っていましたが、感情や思考にも力があります。
№1013につづく
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第3章 光とともに №1011

2014-01-24 20:47:00 | Weblog
魂が直観の活動を可能にする多くの方法の中でも、もっとも有効で強力なものとして、
象徴の研究と解釈があると、『グラマー 幻惑と錯覚の克服』(アリス・ベイリー著)にあります。
同書によると『象徴とは、内的な霊的リアリティーが目に見える外的な形態として現れたものである。
どのような形態であれ、その背後にあるリアリティーを発見する能力を獲得したとき、
その事実そのものがまさに直観の目覚めを示している。』といいます。
これと同じことを、ソクラテスが語っていたように思います。
ソクラテスは『魂は自己に集中し、沈潜しつつ、自分以外のものを何も信用しないで、
「自分そのもの」に出会おうとしなければならない。
そしてそれと並行して、外にある諸対象の「ものそのもの」を直観しようと努めなければならない。
「ものそのもの」とは、ものにあって、そのものを成り立たせている叡智のことに他ならない。』(№977)と言っていました。
「ものにあって、そのものを成り立たせている叡智」とは、
どのような形態の背後にもある「内的な霊的リアリティー」と同じものだといえます。
内的な霊的実在そのものであるリアリティーが、目に見える外的な形態として現れたものが象徴です。
内的な霊的リアリティーが私たちの形態の中にもあり、それは
ソクラテスの言う「自分そのもの」であり、「魂」(Ego)といえます。
さらに魂は自己に集中し、沈潜しつつ、自分以外のものを何も信用しないで、
「自分そのもの」、すなわち魂を反映させているモナド(霊)、
さらには神というより高位のものに出会えることになります。
『魂は自己に集中し、沈潜しつつ、自分以外のものを何も信用しないで、
「自分そのもの」に出会おう』とすれば、目を閉じて周囲のものに惑わされないようにするかもしれません。
自己に集中し、沈潜しつつ、自分以外のものを何も信用しないで、
「自分そのもの」に出会おうとして、内的な霊的リアリティーを発見してみれば、
それは目に見える外的な形態として現れているということは、内的な霊的リアリティーの世界は、
外的な形態の世界に常に反映されていて表裏一体のようです。
内面の世界にある実在は、外的な形態が現れる要因として潜んでいることになります。
自分の心の内面へと深く入り込むことによって、霊的リアリティーあるいは、自己の真の実在・実相と出会えることになります。
霊的リアリティーである真の実在・実相は普遍で永遠の真理であり、
普遍の愛でありすべての叡智の源であり、すべての創造のエネルギーの源です。
このような真の実在と出会うことによって、肉体や性格や心の持ち方も
影響を受けて変化が及ぶことになりますから、悩みや問題が解決することにもなります。
№1012につづく

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第3章 光とともに №1010

2014-01-22 19:10:35 | Weblog
エゴによる直観の働き
マイトレーヤはエゴ(Ego)とは、エネルギーを支配する機能(Energy-Governing-Organ)だといいます。
私たちが何かをするときに用いているものがエネルギーです。
このエネルギーによって目標が達成できるということに心がとらわれてしまうと、
目標を達成する過程やそのための活動に使われるエネルギーそのものにとらわれ、
自分がそのエネルギーを支配する機能である魂(Ego)だということを忘れてしまいます。
自分が支配しコントロールすべきエネルギーに支配された状態では、
直観を働かせることができず、心は自由で無邪気に目標を達成することができません。
神智学の『グラマー 幻惑と錯覚の克服』(アリス・ベイリー著)という本によれば、
『直観とは魂の特権である総合的な理解であり、魂が魂自身のレベルにおいて
二つの方向に達する時にだけ可能である。
その二つの方向とは、モナドへの方向、及び、統合された、
おそらく(一時的であれ)調整され、魂と一体になっているパーソナリティーへの方向である。・・・
直観とは普遍性の原理の包括的な把握であり、それが作用しているとき、少なくとも一時的に分離感は完全に消え去る。
その最高点において、それは普遍的な愛として知られる。
それは感傷や情愛深い反応とは関係なく、主としてすべての存在との一体化の性質を帯びている。
そのとき、真の同情を知り、批判することはできなくなり、そのときにだけ、
神の胚種がすべての形態の中に隠れていることがわかる。
直観とは光そのものである。直観が作用しているとき、世界は光として見え、
すべての形態の光体が徐々に明らかになる。
それはすべての形態の中にある光の中心と接触する能力をもたらし、それにより
本質的な関係が確立され、優越性や分離感は背後へと退く。
したがって、直観はその発現とともに次の三つの特質をもたらす。
イルミネーション・・・理解・・・愛・・・これら三つの言葉は直観の三つの特質
つまり様相を要約しており、普遍性つまり普遍的な一体感という言葉で総括することができる。』といいます。
イルミネーションとは、「知性の光」であり道を照らすものだといいます。
私たちのマインドを照らす光であり、永遠に存在する実在を照らし、
自分が世界の一部であること、永遠に存在する普遍的な実在の光と自分自身の完全な一体性を、
知識ではなく体験として自分自身のうちに認識することがイルミネーションです。
この認識によって、永遠に存在する普遍的な実在から生まれたこの世界全体を、
総合的かつ包括的に理解し、批判や分離、優越性といった壁を越えて、
すべての形態の中にも光が存在することを理解し愛することが、直観の活動です。
この魂の直観の活動を可能にする方法は、たくさんあると神智学は言います。
№1011につづく

ひとりごと 
直観を働かせるためには、
無執着な状態であること、
そのためには、
何事にも、何ものにも、
とらわれることなく
無邪気なのが良い・・・
そういえば、
ジブリ映画のポニョは、
天真爛漫で無邪気そのものだったなぁ・・・
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第3章 光とともに №1009 

2014-01-20 20:44:24 | Weblog
人間の基本的な構造
宇宙を創造した普遍で無限で強力なエネルギーから分かれたモナドは、
物質世界の人間の肉体の中で働こうとしても、エネルギーとして存在していますから、
そのままではモナド界までしか下りてくることができません。
そのため、モナドの持つエネルギーを伝え浸透させ、その特徴や性質を人間に伝える媒体として、魂があります。
この魂はモナドの三つの様相を反映しているため、神の様相である
1.意志と力、2.愛と知恵、3.活動知性 に対して
1.霊的意志、2.直観、3.高位マインドつまり抽象マインド という三つの働きをします。
この魂もまた、コーザル体と呼ばれる体しか持つことができないので、
物質質料の世界にまで下りてくることができません。
そこで魂は物質世界で活動するために、
メンタル体・アストラル体・エーテル体と肉体
という多重構造の媒体を作り出します。
この物質世界の人間は、エーテル体と肉体によるバランスの取れた活動ができるようなると、
アストラル体を使って感情や情緒を表現し、メンタル体によって思考するようになります。
さらにたくさんの輪廻転生を繰り返すことで、徐々に自分の体験や、他の人の体験を見聞きしたものが増えてきます。
たとえば、ある目標を達成しようと何度も試みますが、そのたびに失敗を繰り返すという体験を、
生まれかわるたびに繰り返していると、失敗の体験が蓄積されていきます。
失敗を繰り返しているなかで、目標を達成した人の意見や体験を無邪気で素直な心で見聞きできれば、
自分の体験だけでなく、様々な人の体験や意見も知識となって蓄積できます。
こうして自分が体験の中から得た知識を、無執着な状態で実際に体験したものが知恵となります。
自分の名誉のためだけに成功しようとして知識を利用すると、名誉や成功という囚われた心のために、
自由な立場で冷静で客観的に判断し無執着に行動することができなくなります。
成功や失敗、名誉といったことにとらわれず、客観的で無執着な状態で知識を体験するとき、
それに合わせて認識力や分析力も高まってきますから、
様々に展開する事象の中に、類似するものを直観的に見出せるようになります。
私たちは常に「私は・・・である」「私は・・・になる」「私は・・・をした」と自分に意識が向いていますから、
現象として現れている肉体、心、生命力を自分だと思いがちです。
そのため健康な体にこそ、健康な精神が宿るのだと信じて、それを実現するためにだけ行動すれば、
その行動のためのエネルギーの中に「私」(Ego)は包み込まれてしまいます。
しかし、肉体そのものが「私」ではありませんし、心だけが「私」でもなく、
生命力だけが「私」でもありません。本来の「私」(Ego)とは、永遠不滅で至高の霊的な存在そのものです。
№1010につづく

ひとりごと
私も無執着で無邪気な人になりたいものです。
あれこれと考えすぎて、頭の中がこんがらがっています。
この文を読む人も、頭の中がこんがらがっていないか?
心配です。
でも、まあ・・・こうして失敗を重ねて、
失敗という知識の蓄積にはなりますかね?
(^^;;)
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第3章 光とともに №1008

2014-01-18 20:08:23 | Weblog
 神のエネルギーの特徴と界層構造
電磁気学によると、プラスの電気がたまっているところは電気的に高く、
マイナスの電気がたまっているところは電気的に低いといいます。
そして電気はプラスの高いところからマイナスの低いところへ向かって流れるといいます。
電気的な高さの違いは電圧というもので表します。
電池の電圧が大きいほど、高いところから低いところまでの電気の差も
大きくなりますし、電気が周囲に影響を及ぼす範囲も広くなります。
この宇宙を創造できるほどの普遍的で無限の強力な電気のエネルギーは、無限大の電力と電圧を持つ考えられます。
この電池の周囲には電気の場があり、この電気の力は、電気の源から離れるにつれて段階的に弱くなります。
とりあえず私たちの地球についてみてみると、神のエネルギーの場から物質質料の世界まで、
7つの段階の濃度のエネルギーの場(№559)に分かれていて、
最もエネルギーの低いところが物質世界だと、神智学は教えています。
この宇宙を創造した強力で精妙で無限で普遍のエネルギーの本源であるアーディ界(ロゴス界・神)から、
アヌパーダカ界(モナド界)、アートマ界(霊)、ブッディ界へと本源から遠ざかるにつれて
エネルギーが段階的に質料に変換されていきますから、それに合わせて段階的に、
メンタル界、アストラル界、物質界に向かうにつれて質料の性質を帯びる量が増えることになります。
物理学によると、エネルギー保存の法則というものがありますから、
全体のエネルギー量そのものは同じでも、エネルギーが物質世界に向かって流れるにしたがって、
目に見えないエネルギーとしての量よりも、五感で感じられる物質形態になる質料が段階的に増えることになります。
エネルギーの本源から遠く離れたとしても、質料の中にエネルギーが流れれば、流れた量だけの意識が生まれることになります。
小さな分子や原子にも、それに相当するだけのエネルギーあるいは生命があり、
生命の量だけの意識が存在することになりますから、その分量だけの反応や表現ができることになります。
エジソンは「すべての原子には一定量の原始的な知性が宿っているように思えます。」(№155)と言っていました。
原子や分子にも、意識がありますから化学反応というかたちで、
意識を表現し、エネルギーの分量だけの仕事(№580)をしていることになります。
私たち人間にも、本源の神から分かれたエネルギーが流れ込んできていて、これをモナド、あるいは分神霊といいます。
このモナドは本源である神から分かれたものですから、神の様相を反映しています。
神の様相には、1.意志と力、2.愛と知恵、3.活動知性 の三つ(№534、540)ありますから、
神のエネルギーはこれらの仕事を行う能力を持つことになります。
№1009につづく
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第3章 光とともに №1007

2014-01-16 20:01:30 | Weblog
 魂と肉体の二重性
「私」という想念の影さえ存在しないサット-チット-アーナンダ(存在-意識-至福)という一つであったものを
体験しようとすると、それは本質的にエネルギーとすべての意識状態と存在するすべての形態の総和と呼ぶものになります。
ソクラテスはこの世に生きている間に、死後の世界の神々と出会い過ごす方法として「秘儀」と「哲学」があり、どちらも
『魂は自己に集中し、沈潜しつつ、自分以外のものを何も信用しないで、「自分そのもの」に出会おうとしなければならない。
そしてそれと並行して、外にある諸対象の「ものそのもの」を直観しようと努めなければならない。
「ものそのもの」とは、ものにあって、そのものを成り立たせている叡智のことに他ならない。』(№977)と言っていました。
プラトンは、魂と肉体について、次のように言います。
『神的で、不死で、叡智的で、単一の形をもち、分解することなく、常に不変で、自己同一であるもの、
そのような種族(つまり神々のこと)のものこそ、魂はもっともよく似ている。
他方、人間的で、死すべきで、種々の形をとり叡智的でなく、分解しやすく、決して自己同一でないもの。
そのようなものにこそ、肉体はもっともよく似ている。』
肉体と魂は、反対の性質を持つものとして書かれていますから、
対立する二元論と考えることもできますが、神智学の教えでは、
人間は魂と肉体という二重の性質(№983)を持つ、
あるいは動物魂と神聖な魂という二重の性質を持つといいます。
エネルギーあるいは、霊、生命と呼ばれる普遍的な無限の本源から、
あらゆるすべてのものが生まれていますから、創造の第一原因といえます。
この万物の発生原因であり万物を創造するエネルギーは、目に見ることも触れることもできない無限の実在です。
ここから見たり聞いたり触ったりすることのできる、有限に存在する物質の万物のもととなる質料が生まれます。
本来一つであったものが、相反する二つの極に分かれ、
霊あるいは生命はプラス(+)・陽極であり、
質料あるいは物質はマイナス(-)・陰極となります。
これはごく身近な例として、プラス極とマイナス極を持つ電池をイメージするといいかもしれません。
本来は一つの無限の実在でしたから、この二つの両極は常に再結合しようとする傾向を持ちます。
この再結合あるいは合一が起きた時、意識が生まれますから、
意識はいくらか無限の本源である実在そのものの性質を帯びています。
それはちょうど無限の実在のエネルギーという電池のプラス極の導線と、
質料というマイナス極の導線がつながることで、
両極の導線とつながっている電球が光る(意識が生まれる)ようなものかもしれません。
№1008につづく

ひとりごと
寒いです。
何もやる気にならないくらい寒いです。
こんな気分でブログを書いていますから、
話が、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり?
しているような気がします。
この文を書いている本人の頭の中が、
やる気がない上に・・・いろんなことで
グルグル…目もまわりそうで・・・
みなさんを混乱させていたら、ごめんなさい。

中野ブロードウェイというところに、
大予言 という古本屋があります。
めったに行けないけど、
私のお気に入りの場所です。
すごく気になって、欲しい!
と思っているのに、
書店にも、古本屋にも
どこにもなくて寂しいと思っていた本があったのですが、
ついに、先日 大予言で買うことができました。
『 神智学の真髄』(出帆新社発行)といいます。
善い本だと思いますよ。(^^)
この本のおかげで、少し気分は上向きです。
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第3章 光とともに №1006

2014-01-14 19:14:49 | Weblog
「私」という想念による心象化
ラマナ・マハルシの言う「私」という想念の影さえ存在しない
サット-チット-アーナンダ(存在-意識-至福)という一つであったものを体験しようとすると、
それは本質的にエネルギーとすべての意識状態と存在するすべての形態の
総和と呼ぶものになり、「一」というただ一つの数字になります。
すると物質形態としての時間と空間を意識しなくなり、「一」なる霊あるいは生命だけになります。
一なる生命あるいはエネルギーが、物質形態に入り結合することで、その波動を安定させることができると同時に、
その状態を意識することで、「私」という想念を生むことになります。
この「一」なる生命が、原子から太陽系までのあらゆる多様な意識を持つ形態として顕現しているのが、この宇宙です。
この「一」なる生命が物質形態に入り、「私」と「あなた」という
二つに分かれることで、相対的な世界が生まれることになります。
すると「私」に対する「あなた」という対象が生まれますし、
「あなた」に対して「私」を表現しようとします。
すると、「私」というアイデンティティを表現するために、様々な想念と表現が生まれることになります。
『私たちは望ましい絵をまず心の中に描き、それを自動的にまわりの外の世界に焼きつける力と能力を持っています。』
と『マスターの教え』はいいます。
そして神智学では、『心象化(Visualisation)は、
「エネルギーは思考に従う」という秘教の法則を表す最初の段階である。
・・・心象化の力は創造的な想像力の形態建設の面である。
・・・この心象化の過程と想像力の活用は、想念形態の建設における最初の2つのステップである。』とあります。
心象化とは画家や建築家やデザイナーなどが創造的な作品をつくる時に、
頭の中に思い描いた作品のイメージやアイディアを、おおざっぱにラフスケッチした下書きのようなものと同じだと思います。
私たちが何かを考えたりイメージするとき、エネルギーの場に思考による方向性を与えることで、
頭の中にイメージした形態を組み立てていることになります。
『人間はいつでも想念形態を組み立てている。
魂が諸体を築くときに行い、ロゴスが太陽系を創造するときに従い、
惑星ロゴスがスキーム〔経綸・計画・機構〕を組み立てるときに使うのと同じ方法に、
人間は無意識のうちに従っている。』と神智学はいいます。
この時、神や絶対者といった不滅の存在をイメージすることで、不滅の存在に出会えるということは、
私たち自身の中に不滅の存在と同じ性質のものを持ち、不滅の存在が起因となって「私」が存在していることになります。
№1007につづく

ひとりごと
神智学によれば、
自分が考えていることが何なのか?
イメージしていることが
頭の中に具体的な形態を持っているのが、
心象化?
そして想念形態と呼ばれるものもある、
というから、
非常に物事を細分化して考えるんだなあ・・・
と感じます。
この細分化によって話はややこしくなるけど、
私たちが知らない間に陥っている誤解や錯覚や間違った認識について、
理解する助けになるので、実は大切です。
世の中に、いろんな情報が溢れすぎて、正しい情報が何なのか?
わからないと感じたりします。
自分で心象化(イメージ)した想念形態を自分で作りあげ
勝手に、これが真実だ、と誤解していたり・・・
するかもしれない。。。するとますます、怪しげな情報が溢れることになる・・・(^^;;)

私はインドの神様 クリシュナ が好きです。
特に幼いころのクリシュナの悪戯は可愛いです。
またクリシュナがバガガッドギータで語る真理にはとても深いものがあります。
久しぶりに昨日クリシュナのイベントに参加しました。
歌をうたって踊って楽しかったし、
プラサーダムという神様に捧げた食事は美味しかったです。
ギータの勉強会は定期的に行われているようです。
また行きたいなあ
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第3章 光とともに №1005

2014-01-12 19:52:02 | Weblog
 私という存在
『マスターの教え』(ジョン・マクドナルド著 飛鳥新社発行)には、
「私」について次のように書いてあります。
『「私は・・・である」「私は・・・になる」「私は・・・をした」
と宣言する時、あなたは非常に重要で強力な主張をしています。
「私は」と表現する時に放射される力を十分に理解している人は、ほとんどいません。
「私は私である」(I am that I am.)という偉大な言葉を思い出してください。
この言葉は時代を超えて生き、語られています。
この言葉の意味が本当に理解された時、私たちは個人を越えて、宇宙の力に結びつけられるのです。
あなたの体はあなた個人のものですが、あなたが発する「私は」という言葉は宇宙的なものです。
宇宙全体には「一」というただ一つの数しかないのと同じように、
この宇宙に、ただ一つの「私」しか存在しません。
一以外の数字は、その一をいくつか合わせたものか、分割したものにすぎません。
たとえば、七という数字は一を七つ集めた数なのです。
大切なことは、「私」とは、この一という数字が現れてきた源だということを理解することです。』
「私」というただ「一」つの意識が形態の中に存在することで、
自らを存在として知り、物を見たり聞いたりして認識することができます。
するとそこには、見られたり聞かれたりする認識の対象となる物質形態が存在することになります。
この物質形態は「私」という意識によって
認識できたものですから、「私」の認識力によって生まれたことになります。
そして「私は・・・である」と自己認識し、「私は・・・になる」と想像力を働かせ、
「私は・・・をした」という言葉を無意識のうちに使うことで、
様々な表現や行為をしているいくつもの「私」が生まれます。
このことからもすべての行為の起因となるものは、
ただ「一」つの「私」だということがわかります。
ただ「一」つの「私」が様々な表現や行為をすることは、
『生命が形態をまとう目的と顕現した存在の目的は意識の開花つまり魂の啓示である』といえます。
そしてこれは『光の進化の理論と呼んでもよいであろう。
現代の科学者でさえ、光と物質は同義語であると言い、
東洋の教えを繰り返しているという事実を理解すると、
二つの極の相反する対をなすもの摩擦を通して光が閃き出ることが明らかになる。
そして、進化の最終目標は、光を漸進的に顕示していくことであることが分かる。
すべての形態が光を覆い隠している。
進化するにつれて、物質はしだいに光をよりよく伝導するものになり、
その結果、キリストの「私は世の光である」という言葉の正しさが証明される。』
と『ホワイトマジック』はいいます。
№1006につづく
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