ナンバー1544 2017.02.28 「一」であると同時に「多」でもある自然
『生命場の科学』(日本教文社発行)という本で
ハロルド・サクストン・バーは次のように書いています。
『原子物理学は、場の物理学によって補完される必要があった。
ここで重要なのは、粒子が場を決定し、場が粒子を決定するということだ。
もっと一般的な表現を使えば、連続性も、不連続性もどちらも基本的な
ものであり、自然は「一」であると同時に「多」でもあるということである。
要約すると、大自然は個々のシステムによって構成されている一方で、
それら個々のシステムのふるまいは逆に全体としての自然および、
そこに内在する物理学的な場によって決定されているのである。
連続性をもつ場――もしくは粒子のふるまいを条件づける
要因としての「一」であり、なおかつ「多」でもあるもの――の
再発見とは古代ギリシャ的観点への回帰ということである。
しかし、粒子のほうもまた場の特性を条件づけている。
これが現代の観点だ。場と粒子の相互の因果関係は、
とどのつまり、ふたつの観点の統合へと向かうことになる。
これは、根本原理をふまえてさえいれば、現代物理学の諸発見が
もたらす混乱にふりまわされることなく、だれもが理解できる事実である。
しかしながら、事実は単に定義すればよいというものでもない。
多くの事実が発見され、かつ、それらの事実が明瞭で一貫性のある
原理という基準から公式化されて、はじめてそれは科学となる。
てんでに勝手な動きをする物質粒子が、やみくもに集合したに過ぎない
とする近代の自然観は自然界のあらゆる秩序を一時的効果にすぎないと
決めつけ、さらには全体性をもった自然を単なる集合体とみなし、基本
原理である連続性や、決定要因である場には、何らの意味も認めない。
一方、プラトンやユークリッドの数学や天文学、アリストテレスの生物学などに
みられる古代ギリシャの考え方は、連続性、統一性、組織化、そして自然
現象における場の性質を正しく認めたが、そのかわり自然を単一の本質を
もったもの、またはひとつのシステムであると解釈することはなかった。』
粒子が場を決定し、場が粒子を決定することでバランスが取れることで
宇宙全体ができているとすれば、連続性も不連続性もどちらも基本的な
ものであり、自然は「一」であると同時に「多」でもあることになります。
またこのことを粒子と場が理解できるためには、個々の粒子と
場の両方に自己と他を意識する力が無ければいけないと思います。
また、自然は「一」であると同時に「多」でもあるという同時性を
もつということは、自然界を構成している個々の粒子それぞれは
絶対的な存在でも、決定された存在でもなく、宇宙の素粒子
自身が不確定性をもつ柔軟な存在と考えられます。
ナンバー1545につづく
『生命場の科学』(日本教文社発行)という本で
ハロルド・サクストン・バーは次のように書いています。
『原子物理学は、場の物理学によって補完される必要があった。
ここで重要なのは、粒子が場を決定し、場が粒子を決定するということだ。
もっと一般的な表現を使えば、連続性も、不連続性もどちらも基本的な
ものであり、自然は「一」であると同時に「多」でもあるということである。
要約すると、大自然は個々のシステムによって構成されている一方で、
それら個々のシステムのふるまいは逆に全体としての自然および、
そこに内在する物理学的な場によって決定されているのである。
連続性をもつ場――もしくは粒子のふるまいを条件づける
要因としての「一」であり、なおかつ「多」でもあるもの――の
再発見とは古代ギリシャ的観点への回帰ということである。
しかし、粒子のほうもまた場の特性を条件づけている。
これが現代の観点だ。場と粒子の相互の因果関係は、
とどのつまり、ふたつの観点の統合へと向かうことになる。
これは、根本原理をふまえてさえいれば、現代物理学の諸発見が
もたらす混乱にふりまわされることなく、だれもが理解できる事実である。
しかしながら、事実は単に定義すればよいというものでもない。
多くの事実が発見され、かつ、それらの事実が明瞭で一貫性のある
原理という基準から公式化されて、はじめてそれは科学となる。
てんでに勝手な動きをする物質粒子が、やみくもに集合したに過ぎない
とする近代の自然観は自然界のあらゆる秩序を一時的効果にすぎないと
決めつけ、さらには全体性をもった自然を単なる集合体とみなし、基本
原理である連続性や、決定要因である場には、何らの意味も認めない。
一方、プラトンやユークリッドの数学や天文学、アリストテレスの生物学などに
みられる古代ギリシャの考え方は、連続性、統一性、組織化、そして自然
現象における場の性質を正しく認めたが、そのかわり自然を単一の本質を
もったもの、またはひとつのシステムであると解釈することはなかった。』
粒子が場を決定し、場が粒子を決定することでバランスが取れることで
宇宙全体ができているとすれば、連続性も不連続性もどちらも基本的な
ものであり、自然は「一」であると同時に「多」でもあることになります。
またこのことを粒子と場が理解できるためには、個々の粒子と
場の両方に自己と他を意識する力が無ければいけないと思います。
また、自然は「一」であると同時に「多」でもあるという同時性を
もつということは、自然界を構成している個々の粒子それぞれは
絶対的な存在でも、決定された存在でもなく、宇宙の素粒子
自身が不確定性をもつ柔軟な存在と考えられます。
ナンバー1545につづく