心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1726

2018-10-30 21:12:21 | Weblog
ナンバー1726 2018.10.30 情報を保存する宇宙のホロフィールド
『創造する真空(コスモス) 最先端物理学が明かす〈第五の場〉』(日本教文社発行)のつづきです。『
この宇宙のホロフィールドが情報を保存し伝える方法は、海に浮かぶ船に喩えて説明できる。
科学者によれば、塊となった水――海、湖、池――の表面にはきわめて豊富な情報が蓄えられている。
波のパターンは、ボートや船の走行、風向き、海岸線の影響など、水の表面を乱したさまざまな要因についての情報を教えてくれる。
この波のパターンは、船が通り過ぎてから何時間、時には何日も経ってから出も保存されていることがある(海が静かなときに、例えば高い崖の上や飛行機といった十分に高い場所から眺めれば、そうしたパターンを肉眼で見ることもできる)。
実際、ポリネシアの先住民は、近海に浮かぶ島々がつくる波のパターンを読み取って航海する術を身につけている。
こうしたパターンは、重力、風、海岸線の複合的な作用によって波が掻き消されるにつれ、やがては消え去る運命にあるが、波があるあいだは、ある一定の海域に起きたすべての出来事に関する情報を伝えてくれる。
この波形パターンはその海域の受動的な情報を伝えるだけでなく、そこで起きるすべての出来事に対して、ごく弱くはあっても、積極的な影響を与えている。
ある船がつくった波が別の船の動きに及ぼす影響はふつうは大きくない。
大型の船に乗っていれば、他の船の動きによって生じた縦揺れや横揺れはほとんど感じられない。
しかし、遠洋定期船(オーシャンライナー)が走りすぎた後に小さなボートを漕いだらすぐに分かるように、その影響がきわめて大きいこともある。
これは、干渉する波面を通じて、わずかではあるが有効な情報が伝えられているということだ。
そしてこの情報は、海の表面であろうが、ホログラムのフィルム面であろうが、ほとんど変わりがない。
仮に直接観察できないとしても、自然界に連続的なホロフィールドがあるという考えは、空間的な結合と時間的な結合をどちらも可能にしてくれるはずだ。
すでに見たように、空間的に結合するためには、空間内の異なった二つの地点で情報が同時に入手できなくてはならない。
ホログラム的な場なら、情報が分散しているという特性によってこれが可能になる。
そして時間的に結合するためには、かなり大量の情報を永続的に保存しなくてはならないが、ホロフィールドならこれも可能である。』
ナンバー1727 につづく
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第3章 光とともに ナンバー1725

2018-10-26 20:59:33 | Weblog
ナンバー1725 2018.10.26 量子真空の無限のエネルギー
『創造する真空(コスモス) 最先端物理学が明かす〈第五の場〉』(日本教文社発行)という本(219ページ)で、アーヴィン・ラズロはホログラムについて次のように考えています。
『ホログラムについて考えてみよう。
これは基本的には、二本の交差する光線によってつくられ、写真の乾板やフィルム上に記録される波形干渉パターンである。
一本の光線は直接フィルムにまで達し、もう一本は再現すべき物体に当たって散乱する。
この二本の光線は相互作用を起こし、その干渉パターンには、片方の光線を反射した物体表面の特性が記録される。
この干渉パターンはフィルム全体に広がっているので、光を反射した物体表面に関する情報は、フィルム全体が受け取ることになる。
つまり、ホログラムでは分散した形で情報が保存されるのだ。
ホログラムのすべての部分が、撮影された物体のすべての部分から情報を受け取っているので、フィルムのどの部分に保存された波形干渉パターンを再構築しても、完全な三次元の像が再現できる――ただし、情報の再構築に使われる面積が小さくなるほど、再現される像はぼやけてしまう。
このフィルムの複数の部分を、異なった場所にいる複数の観測者が同時に見れば、同じ情報を同時に引き出していることになる。
ホログラムの情報は、分散して保存されるだけでなく、きわめて密度が高い。
ホログラム用の板では、小さな面積のなかにきわめて多様な波形干渉パターンを保存することができる。
ある試算によれば、米国議会図書館に所蔵されているすべての情報が、角砂糖の大きさの多重露光ホログラム媒体のなかに保存できるという。
ホログラムの情報のこうした特性を考えると、自然界の時間的な結合がホログラムの形で保存されている可能性は高いように思える。自然はホログラム的な記録を持っているのだろう。
自然界のホログラム的な記憶は何もない空虚な空間には存在しえない――その基盤に、ホログラムの干渉波形パターンを保持する連続的な媒体がなくてはならないからだ。
ここで私たちは、ふたたび場という概念に立ち返ることになる。
自然の記憶の根底には、ホログラムのように情報を保存し伝える場――全体場(ホロフィールド)――がなくてはならないはずだ。』
ナンバー1726につづく
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第3章 光とともに ナンバー1724

2018-10-22 21:05:09 | Weblog
ナンバー1724 2018.10.22 量子ポテンシャルとしての宇宙
この宇宙を生みだし支えている量子ポテンシャル以下の世界では、あらゆるすべての場において秩序ある相互結合性を持っていて、1つの粒子は全体の調和のために働き、全体は1つのために働くというように相互に補い合っているとボームは言います。
するとこの量子によって造られている宇宙全体もまた同じように相互結合性を持っていることになります。
そしてホログラム宇宙と物理学でもいわれているように、全体の中に1つの断片があり、1つの断片の中に全体があることで、空間のあらゆる点が他の点と同じように非局所的になっています。
宇宙のどのような部分であっても、全体が記録されているというホログラムの状態であれば、どこか1つの部分だけが特別ということは、なくなります。
この宇宙のどこにも特定の部分というものがなく、宇宙のあらゆる部分は常に全体を巻き込んでいるという構造を持つことになります。
宇宙全体がそうであれば、この宇宙の一部である地球の人間だけがすべての生態系の頂点に立つ優れた存在だ、といったことが言えなくなるように思われます。
古事記には「八百万(やおよろず)の神」という言葉がありますが、実際に「八百万の神」が存在しているという意味ではありません。
あらゆるものごとはすべて目に見えない神によって生まれているため、森羅万象あらゆるものに神が宿っていて、それが「八百万の神」だと考えます。
数多くの神々の総称として「八百万」と呼ばれていますが、八百万の八は、神聖を表す数であると同時に多くの数であることも表わしています。
八は漢字が末広がりになっていることから、縁起の良い数字として使われているようです。
「八百万の神」は自然そのものや自然現象を神格化したもので、特定の神だけを崇拝するのではありません。
大自然のすべてに神が宿り、あらゆるものの中に神秘を見て畏敬と感謝を持ち、自然の中に法則性を見出し、自然に対立するのではなく調和した生き方を求めてきました。
あらゆるすべての存在は、お互いに支え合い補い合い、相互に連携を取り合うことで宇宙全体の調和が取れるようにできている量子宇宙の相互結合性に近い考えを神道は持っているように感じられます。
ナンバー1725 につづく
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第3章 光とともに ナンバー1723        

2018-10-18 20:59:34 | Weblog
ナンバー1723 2018.10.18 量子ポテンシャルの宇宙
デイビッド・ボームによれば、電子と陽イオンを高密度で内包しているプラズマおよび超電導などの特殊な状態に入り込んだ電子は、集団の動きとは関係なく1個の個体として動いているように見えながら、集団で動いている粒子全体の一員になったかのように相互結合性を持って振る舞うといいます。
このような粒子の動きが、宇宙のあらゆる場所でおこなわれているとすれば、すべての電子の内側には、宇宙全体との調和を保つために働こうとするような、意志とでも呼べるものが一つひとつの電子に存在していることで、現在のような調和のとれた宇宙になっているのだと思われます。
電子が集団行動をするときに相互結合性を持つ全体として振る舞うということは、1個の粒子は自分の役割をわきまえながらも、全体のことを考えて働いているとすると、この宇宙の誕生から成長し進化・発展して、死までの全過程を踏まえた全体性を見通して、それぞれの粒子が全体とのバランスを考えて活動を展開しているのかもしれません。
そうであれば、たった1つの粒子であっても、その粒子の中には宇宙全体の状況を見越して動いたり、お互いの粒子が相互に情報を交換したりできるような力を持っているのかもしれません。
それらのことが量子ポテンシャルによって可能となり、どんな粒子がどこに存在していても、自らの役目を果たすことで、宇宙全体の調和が保たれているのであれば、どのような粒子であっても、その存在は必然なものと考えられます。
宇宙空間のあらゆる場所が量子ポテンシャルであるのなら、あらゆる時間の中にも量子ポテンシャルが作用していると考えられます。
私たちの住んでいるこの銀河宇宙の外側のどこか別の空間で、今もビッグバンが起こって宇宙が誕生しているでしょうし、別のどこかではビッグクランチによって、宇宙最後の時を迎えていると思われます。
このようにたくさんの宇宙が同時に存在していることを、多世界解釈と呼んでいます。
この宇宙にはたくさんの銀河宇宙が存在していますが、あらゆるすべての銀河宇宙が量子ポテンシャルによって分割不可能な全体として相互結合性を持つことで、連携しながら存在しているのであれば、それぞれの銀河宇宙は無秩序に勝手に生まれているのではないことになります。
それぞれの銀河宇宙はすべて連携していて、相互に補い合い、より全体性を保てるような関係を保ちながら全体の調和のためにお互いに影響を与えあえるように、秩序を保ちながら誕生していることになります。
ナンバー1724につづく
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第3章 光とともに ナンバー1722

2018-10-14 20:46:59 | Weblog
ナンバー1722 2018.10.14 量子ポテンシャルと造化三神の作用
デイビッド・ボームによると、量子ポテンシャルが作用している目に見えない量子の世界では、特定の場所というもの自体が存在していないといいます。
空間のあらゆる点は、他の点と同じであり、あるものが他のものと別に存在すると考えるのは意味のないことになるといいます。
ということは、この宇宙のあらゆるすべての点で働くことのできる、非局在的な一つの力が量子以下の世界に存在していることになります。
またその場は、ホログラムのフィルムのように、どの部分を切り取っても切り取った部分の中に全体があるといいます。
これは古事記のお話に出てくる天之御中主神と同じ考え方だと思われます。
古代の人々は天之御中主神を、無限の力をお持ちで無限の姿があり、一点であって一点ではなく無限の点であり、自由自在であり、無限小であり無限大のお方と感じていました。
そして、目に見えるもの、あらゆる現象をつきぬけ通り越して、その奥の奥を視た時、この世に万物が現われてくる以前の、一番確かに存在する、このうえなく善いことばかりの至善の世界が存在していて、それが高天原であり、そこで万物を生みだし生かしてくださっている方が天之御中主神だといいます。
「目に見えるもの、あらゆる現象をつきぬけ通り越して、その奥の奥を視た時、この世に万物が現われてくる以前の、一番確かに存在する、このうえなく善いことばかりの至善の世界」が量子ポテンシャルであり、分割不可能なシステムとしてあらゆる場に同じように働くことができる非局在性という特性を持つとボームが言ったものと同じではないでしょうか。
このような場は、部分よりも全体性こそが優先する一次的な現実であり、量子ポテンシャルが作用している場であると、ボームは言います。
量子ポテンシャルが作用しているレベルでは、特定の場所というもの自体が存在しないため、空間のあらゆる点は、他の点と同じであり、あるものが他のものと別に存在すると考えるのは意味がないことになるといいます。
このような量子ポテンシャルの場とは、造化三神そのもののことのように私には感じられます。
量子ポテンシャルはあらゆる場に広がっていて、あらゆる場で作用しているのだとすれば、造化三神の力はあらゆる場において働くことができることになります。
ナンバー1723につづく 


いつの間にか、すっかり秋ですね。
仕事に向かう途中、幼稚園で運動会をしているのを見かけました。
もうそんな時期なんですね。
秋は果物もおいしいから、好きです。^^
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第3章 光とともに ナンバー1721

2018-10-10 20:59:27 | Weblog
ナンバー1721 2018.10.10 量子ポテンシャルと造化三神
真空にはエネルギーが満ち溢れていて、常に仮想粒子が生まれては消えていますし、ゲージ場と呼ばれる力の場が広がっていることで、力を伝えるゲージ粒子が生まれては力を伝えるために、ゲージ粒子は回転運動も行なっています。
この宇宙のどのような空間のどこであろうと、いつでも量子が粒子として現れるための場も広がっている、それが量子ポテンシャルだと考えるのがボームです。
デイビッド・ボームの言う量子ポテンシャルは、重力と同じようにあらゆる空間に浸透していると考えられます。
重力や磁力は距離とともにその力は弱まっていきますが、量子ポテンシャルの作用は距離とともに弱まることがなく、その効果は微妙なものではあるが、どこであろうと同じ力を持っていると考えます。
通常の科学的な考え方では、あるシステム全体の状態を、ただ単にその各部分の相互作用の結果として考えるものです。
しかし量子ポテンシャルは、集団で動いている粒子の各部分の動きは全体が決めているといいます。
素粒子一つひとつがバラバラに別のものとして存在しているのではなく、分割することのできない大きなシステムの一部であるため、全体性こそが部分よりも優先する一次的な現実であるといいます。
このような全体性こそが最優先される分割不可能なシステムが、量子以前の場に広がっていることで、量子は物質を形づくる構造物としての役割をうまく果たすことができるのではないでしょうか? 
ボームはプラズマおよび超電導などの特殊な状態にある電子が、どうして相互結合性を持つ全体として振る舞うのかを次のように説明します。「そのような電子がバラバラに散乱していないのは、量子ポテンシャルの作用を通じてシステム全体がまとまった動きをしているからであり、その動きは、秩序のない群衆というよりは、バレエにたとえることができる。……
このような、量子的全体性ともいうべき特性を持つ活動は、機械の部品を組み立てた時に得られるものというよりも、生き物の中で機能している各部分がまとまってつくり出す一体性に近い」と言います。
このようなシステムを宇宙全体にまで広げて、宇宙に存在する万物を創造し維持していると考えると、神になるのかもしれません。
そしてこのように全体性がまとまった一つのシステムとして働くために存在して、物質を生みだすための道理にかなった決まりによって無限の姿となって現れるのが造化三神なのかもしれません。
ナンバー1722 につづく
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第3章 光とともに ナンバー1720

2018-10-06 20:51:04 | Weblog
ナンバー1720 2018.10.06 量子真空とゲージ場
量子力学では、観測をしていない時でも粒子が存在しているという前提で、「重ね合わせの原理」と「不確定性原理」から「観測される量子の振る舞いを確率的に予測する」ことに目的がおかれています。
粒子を観測しない時には、波状に広がっているため観測ができません。
逆に観測をしているときには、粒子として姿を現していますから、波ではありません。
だからといって観測していない時には粒子が存在しないわけではありません。
波と粒子の両方の状態が同時に「重ね合わせ」になった状態で存在していることで、観測した途端に粒子が現れることができますし、観測していない時には波状に広がっていることができると考えます。
すると、具体的に粒子がいつどこにどれだけの速度で存在しているのか観測しようとすると、時間と位置を時空座標で表すことになりますが、今ここに粒子があると明快に答えられないため確率で表すことになります。
量子はいつどこに存在しているのかも、速度もわからないのですから、あらゆるすべての場に存在している可能性があることになります。
現在の物理学では、真空こそが宇宙創生の源であり、万物の相互作用・相互結合の母体であると考えます。
真空であっても重力や電磁気力が働いていますから、電磁場や重力場が存在していることになります。
また真空では仮想粒子が次々に生まれては消滅しているといいます。
すると、万物が生まれために必要な粒子が常に生まれては消えているわけですから、そのためのエネルギーが真空には内蔵されていることになります。
真空はエネルギーが満ち溢れている空間と考えて、粒子が誕生と消滅を繰り返しているとする「場の量子論」は重力場を除くと、うまく自然現象を説明できているといいます。
このように量子化された真空は「量子真空」と呼ばれています。
「量子真空」は自然界の4つの力が働く「ゲージ場」として記述できて、内部空間の対称性の種類によって異なった力の場を生みだします。
ゲージ場では常に4つの力が働いていますから、ゲージ粒子がやり取りされています。
たとえば、電磁気力を伝えるためには、電子や陽子などの荷電粒子は、絶えず光子というゲージ粒子を発生させたり吸収したりすることで力を伝えています。
すると真空では常に、ゲージ粒子がやり取りされ、粒子が回転していることになります。
ナンバー1721につづく
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第3章 光とともに ナンバー1719

2018-10-02 21:09:11 | Weblog
ナンバー1719 2018.10.02 造化三神と量子
この宇宙の始まりのときから現在にいたるまで、私たちが知る限りのありとあらゆるものを、ずっと生み育てる働きをしているのが造化三神だと、古事記は言います。
この宇宙のありとあらゆるすべてのものを生み育てているということは、造化三神の活躍する場所は一ヶ所だけではなく、宇宙のあらゆるすべての場所であることになります。
造化三神によって目に見えない霊が産まれ、次に大宇宙を創造する神々が生まれ、そこから万物が生まれ、この物質世界ができるということは、造化三神の高次元の霊的なエネルギーが、物質世界を構成する万物を生むために必要な様々な具体的なエネルギーに別れていると考えられます。
このことが、古事記のお話では、造化三神が登場したあとに次々と様々な神々が現れることで表現しているのでしょう。
この物質世界のあらゆるすべての物質を構成しているものは、物理学的にはクオークです。
すると、このクオークなど物質の基本構造の中にも、造化三神が造った宇宙の霊的なエネルギーと同じエネルギーが存在していて、物質をつくりだし、その形を維持する働きをしていると思われます。
『誰も教えてくれなかった日本神話』には、天之御中主神とは『ひとつの固定したお姿ではないのです。しかし、無限力をお持ちで無限のお姿があるのです。
一点であって一点ではなく無限の点であり、自由自在であり、無限小であり無限大のお方でもあります。』とあります。
物理学によれば電子などの素粒子は波であると同時に粒子でもあるから、波動性と粒子性の両方の性質を持つ量子だといいます。
この量子は、私たちが観測していない時には波として広がっていて、私たちが観測した途端に粒子になります。
ニールス・ボーアは、私たちが見ていない時には波状に広がっているため見ることができないが、観測した途端に粒子として現れるのであれば、観測される以前の素粒子は存在したものとして特性や性質などについて述べても意味がないといいます。
そもそも科学とは様々な現象を観測すると、その現象の特性や性質を発見することに基礎をおいています。
ところが、量子は観測されるまで粒子として現れることがないため、粒子として現れる以前の量子の特性は存在しないと考えます。
これに対してデイビッド・ボームは、量子は誰からも観測されていなくても存在している、そして量子よりも小さな世界にも「場」が現実に存在している、と考えてこれを量子ポテンシャルと呼んでいました。
ナンバー1719 につづく
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