心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №974

2013-10-30 19:59:33 | Weblog
ソクラテスの考える肉体と魂の徳
ソクラテスは「唯物論者たちは死は虚無に帰ることであり、すべての感覚の消失だというのであれば
夢一つ見ない熟睡した夜のようなものだといえる、あるいは冥府があって裁判を受けたり、
ホメロスやヘシオドス(ソクラテスよりも100年から200年前に亡くなった詩人)と交わったりできるなら、
どちらにしても幸福だ」と死後について考えていました。
このように考えることで、死を恐れることも裁判を受けることに屈することもなく、善き生を貫き通すことができるし、
善き生を貫き通した者は死に際しても幸福だと彼は考えます。彼は、魂と肉体は対立することなく両方を一まとめにして、
たった一つしかない人間的自然の異なる二つの側面という形で、あくまでも一体的に捉えます。
ソクラテスは、魂は肉体と対立するものではないし、精神をそなえているのは人間だけではない、
もしも精神が人間の思慮の中に座を占めるように、この自然のどこかにも座を占めているとすれば、
そうした自然は、原理的には少なくとも精神的な力をそなえていないわけにはいかない、と考えます。
すると肉体的自然はおのずと魂化され魂の上にも肉体的本質のいくらかが輝き戻るだろう、
魂は肉体と同じくこの宇宙の一部なのだと彼は考えます。
古代ギリシャの人々は徳(ギリシャ語でアレテー)という言葉から、勇気、節制、正義、敬虔などを思い浮かべました。
このアレテーは健康や力強さや美しさが肉体の徳であるのと同じ意味で、あくまでも魂の卓越性でした。
魂の各部分に立脚した力の数々が、人間の自然に許された最高の訓練様式を介して
頂点まで磨き上げられたもの、これがアレテーです。
肉体の徳も魂の徳も、宇宙(コスモス)としてのその本質に従うなら、肉体と魂がその協同に基づいてはじめて成立します。
彼は「両部分のシンメトリー(調和)以外の何ものでもない」と言います。
ソクラテスは人間としての善すなわち徳(アレテー)は魂をより良くするものであり、徳を実践する者の人生は幸福だと言います。
魂を鍛えて道徳的気質(ギリシャ語でエートス)にまで仕上げる営みは、人間にとってそれ自体がまさに本性にかなった道であり、
これを通って全体世界の自然とも一致するという無上の喜びが実感できる、完全な幸福を手にできると考えます。
ソクラテスは人間の道徳的な在り方と、自然界の秩序がピタリと一致する、と深く感得していました。
彼は魂こそ、人間における最高価値の源泉なのだと体験的に感じ、「ひたすら魂に配慮するように」と訴えました。
これは魂に肉体を支配させることも意味していましたから、肉体が正しく魂に奉仕しようとすれば、
「健やかな肉体に健やかな魂が宿る」ことになります。ソクラテスは肉体を鍛えて健やかに保つようにと、弟子たちに説きました。
№975につづく
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第3章 光とともに №973

2013-10-28 20:34:35 | Weblog
ソクラテス 無知の知(自らの無知の自覚)
ソクラテスは世間で評判の賢者と言われる政治家や詩人、熟練の技術者などに会って
話をしてみると、彼らは自分の専門の知識や技術などについてはよく知っていることがわかりました。
ところが、専門の知識や技術について知っているのと同じように、
他の事柄についてもよく知っていると思い込んでいることもわかりました。
自分の専門以外の事柄について自分の語っている事の内容をよく理解しないまま話ていて、
ソクラテスが彼らに説明するはめになったのです。
こうした経験を経て、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると
思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、
知恵の上では少しばかり優っている」ということと理解しました。
さらに世間で評判の賢者と言われる人々との会話を重ねることで、
「人智の価値はわずかに少し、もしくは空無にすぎない」
「最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚するものである」
ことを指摘することにあったとしました。
彼がこのような考えに至った理由として、デルポイのアポロン神託所の入り口に
「汝自身を知れ(分をわきまえろ、身の程を知れの意味)」「度を超すことなかれ」といった言葉が刻まれていましたし、
古代ギリシャ人にとって節制や節度はとても重要な徳目だったことがあります。
古代ギリシャの伝統的な世界観・人間観は「世界を司り、恒久的な寿命と超人的な能力を持つ」神々に対して、
人間は「すぐに死に行くはかなく無知な存在」「神々には決してかなわない卑小な存在」と考えられていました。
ソクラテスは神々への素朴な畏敬と信仰と、人智の空虚さの暴露、節度、謙虚さを根本的な動機としながら、人間には限界があるが、
限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間としての分をわきまえつつ最大限善く生きようと努めるという姿勢を貫きました。
それは死についての見解からもうかがえます。彼は「死後のことを知っている者など誰もいないのに、
人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。
それは自ら知らないことを知っていると信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。
私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると盲信もしない。」
「死後について知らないけれど、それを自覚しているからこそ、死後に関する諸説を冷静に知ることができるし、
善き人生を送った者にとって幸福であることも知ることができ、死を恐れずに善き人生を全うできる」
といった内容のことを『ソクラテスの弁明』で語っています。
№974につづく
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第3章 光とともに №972

2013-10-26 20:20:21 | Weblog
ピタゴラスの教義
ピタゴラスの教義は、イデア、魂、和音の3つの原理に基づいています。
イデア(物質が本質的に持つあるものを他のものと区別する絶対的な形相すなわち、本質的存在構造のこと)は、
それ自体の存在を持っており、数学はこれらの形相を研究する学問である。
魂は、動物は不滅の魂を持っており、この魂は死後生まれ変わる(転生)。
転生は魂が完璧になるまで繰り返される。和音は、イデアと魂は、共感、共鳴、
もしくは和音をつくる比(ピタゴラス律)によって結びついている、とします。
このピタゴラスの3つの原理の中に、動物には魂があり、魂が完璧になるまで転生を繰り返すと、ありますから
魂(アートマン)が完璧になることで、究極の原因・唯一の絶対実在(ブラフマン)になるとすれば不二一元論と同じですね。
彼は、あらゆる存在の原理を研究するなかで、世界を一元論的なものとしてとらえ、
究極の存在はモナド(ギリシャ語で単一の、単独、一番目、根源、本質、基礎、言語など多数の意味がある)であり、
万物のアルケー(ギリシャ語で根源の意味)は数字であるとしました。
このような究極の根源が現象世界の背後にあるという考え方は、ボームの言う量子ポテンシャルに通じるものがあるように感じます。
ピタゴラスはエジプトやバビロンなど、様々な場所を訪れて神秘主義から学んだことと、
様々な自然現象を観察することで、このような究極の根源を考えることになったのではないかと思われます。
ピタゴラスは、個々の動物や人間には魂があり、完璧になるまで転生を繰り返すと考えましたが、
魂は肉体と同じように宇宙の一部であると考えて、宇宙魂という概念を強調した最初の人物の一人にソクラテスがいます。
ソクラテス(紀元前479~347頃)は、青年期には自然科学に興味を持っていたようですが、晩年は
倫理や徳を追求することで、哲学を自然から人間の生き方へと方向転換させるうえで大きな働きをしました。
『ソクラテスの弁明』という本によると、ソクラテスの弟子のカイレフォンという人が、
デルポイにあるアポロンの神託所で、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねたところ、
「ソクラテス以上の賢者は一人もいない」と答えられました。
これを聞いたソクラテスは、自分はそれほど賢明ではないということを自覚している、と思っていたので
驚いて、それが何を意味するのかを自問しました。
さんざん思い悩んだあげく、世間で評判の賢者たちと会って話をして、
彼らが自分よりも賢明であることを明らかにすることで、神託の反証を試みようとしました。
№973につづく
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第3章 光とともに №971

2013-10-24 20:38:17 | Weblog
オルぺウス教とピタゴラス
古代ギリシャの吟遊詩人の一人、オルぺウスは現在のブルガリアとギリシャの国境にある
ロドピ山脈に実在したトラーキアの王であった、という伝説がありトラーキア地方で信仰されていた
ディオニソス信仰(社会が強要する法や理性による束縛から自我を開放することを主張する信仰…ただし
酒の力を借りて行うので酒乱パーティによるみだらな状態や個人主義の台頭や治安の悪化となる…ディオニソスは別名バッカス酒の神)
を改革して、オルぺウス教の開祖となったそうです。
オルぺウス教の特徴は次のようになります。
人間の霊魂は神性および不死性を持つにもかかわらず、輪廻転生(悲しみの輪)により肉体的生を繰り返す運命を負わされている。
「悲しみの輪」からの最終的な解脱、そして神々との交感を目的として、
秘儀的な通過儀礼(入信儀式・イニシエーション)および禁欲的道徳律を定めている。
生前に犯した特定の罪に対し、死後の罰則を警告。
教義が、神と人類の起源に関する神聖な書物に基づいている、といったことです。
このオルぺウス教もまた、人間の霊魂は輪廻転生を繰り返す一方で、
神性および不死性を持つということから、不二一元論を感じます。
古代ギリシャのピタゴラス(紀元前6世紀ごろ)はエジプトとバビロンを訪れ、
エジプト、バビロニア、ペルシャの神秘主義の手ほどきを受け、
ギリシャとイタリア南部のマグナ・グラエキア(大ギリシャ)に戻り、
古代ギリシャで最も重要な宗教となったオルペウスが着手した改革を続行したといいます。
ピタゴラスは、自然現象の背後には数学的な法則が内在していることに気づきました。
たとえば弦楽器の調律を、演奏者は経験から良い音を探しておこなっていましたが、
ピタゴラスは弦の長さの整数比によって、和音か奏でられることを発見し、
ピタゴラス音律という3:2の周波数比の音程をもとにつくられる音律を発案しましたし、
楽器の弦を調律する道具を発明しました。また直角三角形の3辺の関係を明らかにすることで、
ピタゴラスの定理(三平方の定理)を明らかにし、惑星の軌道にも数の秩序が潜んでいることを発見しました。
こうして万物の根源は単一のロゴスであり、イデアと呼ばれる本質的な構造を持つ存在であり、
数字の1や和音といった形で表現できると彼は考えます。
彼はスピリチュアルな哲学と自然哲学を融合し、数や、「一」(モナド、ユニティ)の
形而上学的な側面や神聖な側面、そしてそこから派生した事柄を含め、古典ギリシャ文化の枠組みを構築しました。
「フィロソフィ(哲学)」「コスモス(宇宙)」という言葉を作ったのも彼です。
№972につづく
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第3章 光とともに №970

2013-10-22 20:25:30 | Weblog
古代エジプトとアトランティスの思想と不二一元論
古代エジプトのバー(霊魂)は、「活性化原理、つまり、知覚を持つすべての生物に活気を与える、
生命維持に必須な(もしくは神の)火花」ですから、ヴェーダンタ哲学でいうブラフマンにあたるものと同じと思われます。
そしてカである第二霊は、「個々の生き物を整え」るといいますから、アートマンと同じものと思われます。
さらに、カは「それをバーである生きいきとしたスピリットにする力」だと言いますから、
個々の生き物はカによってバーになるとすれば、「アートマンはブラフマンである」という不二一元論と同じものだと感じます。
このような古代エジプトの思想の元になったものがあるようです。
それはアブラハムの妻サラ、あるいはテュアナのアポロニオスによってギザのピラミッド内部から、
あるいはアレキサンダー大王によって洞窟の中から発見されたとされる、エメラルド・タブレットと呼ばれるものです。
これは2万年ほど前に書かれた地球上最古の聖典と考えられていて
、錬金術の基本思想を古代ギリシャのヘルメス自身が、エメラルド(鮮やかな緑)色の
タブレット(特殊合金板)12枚に刻んで蝶つがいで閉じたものだと言われています。
ヘルメスは、ギザのピラミッドを建設したアトランティス人トートの生まれ変わりで、古代アトランティスの知恵を記録したといいます。
このタブレットに書かれた最も有名な言葉は、錬金術の基本原理である
「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」です。
他にも「汝が汝自身の均衡を保つことを学びし時、汝は地球のバランスを身につけん。
その時汝は地球の存する限り存せん。
地球もまた変化する時は汝は形のみ変えて存せん。死を味わうことなく、
この地球と一体となりてすべてが過ぎ去るまで汝はその形態を保ちつづけん。
…汝のバランスを保ちて生命に生きるべし。…
聞け、おー人よ、しかしてわが声に耳傾けよ。
汝に死につき教うる智恵に耳傾けよ。定められし汝の働きの終わりし時、汝この世を去らんと願うならん。
“朝の太陽たち”の住む界にとゆき、光の子となりて生きるべし。
永遠の光なる界にと苦しみなく悲しみなく行くべし。」
(『エメラルド・タブレット』アトランティス人 トート著 霞が関書房発行)とあります。
人が自分のバランスを保てるようになると、地球のバランスを身につけることができて、
死を味わうことなく地球が存在する限り人も存在することができるといいます。
また、寿命がつきて亡くなるときにも“朝の太陽たち”という最高の悟りを開いた魂のところへ行き、
光の子となって生きれば物質世界に戻る必要がなくなります。
これは個人的な人間のアートマンが永遠の光の界へ行き、光の子というブラフマンになると考えれば、不二一元論です。
№971につづく

パソコンの使い方がいまだにわからないでトホホです。(;_;)
なんだかよくわからないけれど、また使えるようになりました。
わからないけど、ブログが続行できるようなので、まぁいいかな?(^^;)
(こんないい加減なことで良いのかな~?)
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第3章 光とともに ごめんなさい(((^_^;)

2013-10-19 10:36:07 | Weblog
たいへん申し訳ありません(;_;)
パソコンの電源を入れて、カーソルを動かしてクリックしても画面が変わらない…
何だかわからないですが、パソコンが使えないので、
あわてて携帯電話から書いています。
再開できるように、月曜日にパソコンメーカーに問い合わせます。
すみませんが、しばしお待ちくださいませ。(T_T)
新しく買ったパソコンの使い方が、わからないままに使っていたためかなぁ?
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第3章 光とともに ごめんなさい(((^_^;)

2013-10-18 22:06:24 | Weblog
たいへん申し訳ありません(;_;)
パソコンの電源を入れて、カーソルを動かしてクリックしても画面が変わらない…
何だかわからないですが、パソコンが使えないので、
あわてて携帯電話から書いています。
再開できるように、月曜日にパソコンメーカーに問い合わせます。
すみませんが、しばしお待ちくださいませ。(T_T)
新しく買ったパソコンの使い方が、わからないままに使っていたためかなぁ?
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第3章 光とともに №969

2013-10-16 20:47:20 | Weblog

人間は何万年も昔から、季節の移り変わりや、潮の満ち引き、月の満ち欠けや天体の動き、
動植物の成長と死などを観察することで、自然現象に周期性があることに気づきました。
ある植物は春になると芽が出て、成長すると花が咲き、次に果実がみのり、
しだいに葉が落ちていきますが、春になるとまた新しい芽が出ます。
このような繰り返しを見るうちに、死んだように見えたものが復活することのなかに、生命の不滅性を感じるようになります。
太陽や月、星々の運行が規則正しいことや、季節の移り変わりに合わせて
植物が成長したり昆虫や動物が活動したりすることで、自然界全体に普遍的な法則や秩序があることを見出しました。
このような観察の中から不滅の生命を生み出し、普遍的な秩序や法則を働かせている、
偉大なる力が目に見えない背後の世界にあり、それは精神的な存在であると感じます。
するとこのような偉大な力を神としてあがめたり畏怖の念を持ったり、真実や真理を知りたいという探究心が生まれたりします。
こうしてはるか古代から、人間の生命は死後も不滅で霊媒を通じて現世の人間とも対話することができて、
永遠に成長するというスピリチュアルな思想や、神話や宗教なども生まれてきました。
古代の神話の中には、神々が結婚することで人間が生まれたというものもありますし、
出来事の吉凶の判断や予言を行うシャーマニズムも生まれました。
個人の魂という考え方が最初に歴史に登場したのは、古代エジプトだと言われているそうです。
古代エジプトのクフ王の時代には、バー(霊魂)、カ(第二霊)など、数種類のスピリチュアルなもがあったといいます。
バー(霊魂)は、「活性化原理、つまり、知覚を持つすべての生物に活気を与える、生命維持に必須な(もしくは神の)火花」です。
カ、すなわち第二霊は、「個々の生き物を整え、それをバーである生きいきとしたスピリットにする力である…。
この世で生きているあいだにカが徹底的に堕落し、すべての徳、つまり、
真に人間的なすべての属性を失うに至った場合は、それは転生せず、カは様々な下等動物や植物の領域へと消失する…。
死者が動物や、場合によっては茂みや木として生まれ変わる」といいます。
クフ王のピラミッドに関する文献の研究から、当時の人々はファラオが亡くなったあと、
その魂は星になり、天空にあるオリオンのそばに昇ると言われていることがわかったそうです。
ピラミッドのクフ王の玄室から地上まで続く坑道は、紀元前2600年当時には北極星とオリオンに
向かっていたことが特定されていますから、魂が無事に天まで旅することができるように導くためではないかと推測されます。
№970につづく
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第3章 光とともに №968

2013-10-14 20:15:05 | Weblog
魂・アートマンからブラフマンへ進化する生命
常に振動し続ける光によって、時間と空間、物質世界とそこに生きるすべての生命が生まれています。
そのためすべての形態の中と、そこで起こる現象のすべてに光の性質が反映しているようです。
宇宙を創造した光をブラフマンとして『ブラフマンはアートマンである』という不二一元論に基づいて考えれば、
根本原因であるブラフマンという小さな光が爆発することで、物質界が創造されました。
ブラフマンと同じ構成要素よりなるアートマンは、生と死の流転を繰り返す人間を生み出し、
人間が認識活動を行うための基礎として働いているようです。
魂・アートマンというレベルからパーソナリティとしての私たちを見れば、輪廻転生する生命の中の
一つにすぎないので、私たちはこの人生のことしか理解できません。
私自身は、何のために生まれたのか知りませんが、魂であるアートマンのレベルからは、
小さな生命エネルギーの一つであり、様々な人生のシーンを体験することによって、
さらに生命エネルギーが経験豊富になり、人間生命の根本原理であり個人の本質であるアートマンそのものと一体化し、
アートマンがブラフマンと同質であることを知るに至るまで、流転する生命原理であるといえます。
光に例えるなら、ビッグバンによって分かれた一つの光の波動が一つの人生であり、いくつもの光線の波動が生まれ、
いくつもの人生を生きることで、これらの波動が重なり合い、干渉し合い共振共鳴し合うことで一つのホログラムが生まれ、
このホログラムは宇宙全体の情報を蓄えたホログラムとも共鳴し、いつかは宇宙を創造した元の一つの光に戻ります。
私たちが見ている世界は、現象界であり移り変わりゆく世界ですが、その背後には
移り変わることのない相対的な時間と空間を超えた不動の世界があり、それが実在であり、根本原因ですから、
不変不滅の実在であり、目に見ることのできない精神的霊的なエネルギーといえます。
このエネルギーから宇宙に存在するあらゆるものが生まれると同時に、
活動をおこなうためのエネルギーも与えられていますから、私たちはこの目に見えない
精神的なエネルギーの影響を、知らず知らずのうちに受けていて、私たちも光の性質を持っていることになります。
また光によってこの物質世界ができていて、その運動には法則があるように、この肉体や意識も
光からできていれば、同じ運動法則を私たちの思考や行動にも当てはめることが可能になります。
実際に思考の性質は光の性質に非常に似て(№182~203)ましたし、
ニュートンの運動法則を思考や行動に当てはめる(№295~302,770)ことも可能でした。
№969につづく
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第3章 光とともに №967

2013-10-12 20:57:48 | Weblog
宇宙のすべてのものは周期的波動運動をしている
ビッグバン理論によれば、この宇宙は光の爆発から始まりました。
爆発した時に音や振動があったはずです。
ヴェーダには「パラム(=至上)ブラフマは、潜在するその性質から万物を顕現させる。
全能の創造力の現れはオームで、これから時間と、空間と、宇宙原子が生ずる」とあります。
また聖書には「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神とともにあった。
……すべてのものはこれによって出来た。出来たもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
……言葉は肉となり、わたしたちの内に宿った」とあります。
そして物理学では、宇宙のすべての物質は生物も無生物も、すべて素粒子からできていて、すべての素粒子は
粒子でもあり波動でもあるため、すべての物質は波動からできているといってもよいといいます。
そしてこの世界を観察すると、空には太陽や星が輝き、雲は動き、風が吹き、海や川には波があり、様々な振動や音や
光などの動きを観察することができます。
音や言葉という振動や波動から、すべてのものができていることになります。
ということはこの世界に存在するすべてのものは、光や音、波動などの性質と物理的な法則性を持つと思います。
波動というと、波のような動きをイメージしますが、新明解国語辞典によると、
波とは『風などによって揺れ動いた水面に高低が生じ、押しやるように次つぎに伝わって行く現象』とあります。
波動は『〔物理で〕媒質の各部分の振動が少しずつずれて、波が進む(ように見える)現象。周期的な変化。』とあります。
波とは高低による差が生まれて、それが次々と伝わって行く運動のことですから、高低が周期的に生まれながら
連続的に水や空気などの媒質に伝わる運動全体を、俯瞰的に観察することで波動として理解できます。
この波動を生み出した力、あるいはエネルギーが存在し、このエネルギーはブラフマン、あるいは光から
万物が生まれていますから、人間にもこのエネルギーは作用していて、周期的な波動をおこしていると考えられます。
私たちの意識は生きている間のことしか理解できませんが、生きている時を高い波の状態と考えれば、
波が低くなっている状態は死の状態と考えることもできます。
高い波と低い波が交互に起こることで、波動となるように、人間もまた生と死を繰り返すことで
波動として存在していると考えることもできます。
物理学はすべての物質は波動からできていると考えるのであれば、宇宙のすべての物質、無生物も生物も、
そして宇宙そのものも、周期的な変化を繰り返して運動していて、そこには普遍的な法則もあると考えられます。
№968につづく 
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