ソクラテスの考える肉体と魂の徳
ソクラテスは「唯物論者たちは死は虚無に帰ることであり、すべての感覚の消失だというのであれば
夢一つ見ない熟睡した夜のようなものだといえる、あるいは冥府があって裁判を受けたり、
ホメロスやヘシオドス(ソクラテスよりも100年から200年前に亡くなった詩人)と交わったりできるなら、
どちらにしても幸福だ」と死後について考えていました。
このように考えることで、死を恐れることも裁判を受けることに屈することもなく、善き生を貫き通すことができるし、
善き生を貫き通した者は死に際しても幸福だと彼は考えます。彼は、魂と肉体は対立することなく両方を一まとめにして、
たった一つしかない人間的自然の異なる二つの側面という形で、あくまでも一体的に捉えます。
ソクラテスは、魂は肉体と対立するものではないし、精神をそなえているのは人間だけではない、
もしも精神が人間の思慮の中に座を占めるように、この自然のどこかにも座を占めているとすれば、
そうした自然は、原理的には少なくとも精神的な力をそなえていないわけにはいかない、と考えます。
すると肉体的自然はおのずと魂化され魂の上にも肉体的本質のいくらかが輝き戻るだろう、
魂は肉体と同じくこの宇宙の一部なのだと彼は考えます。
古代ギリシャの人々は徳(ギリシャ語でアレテー)という言葉から、勇気、節制、正義、敬虔などを思い浮かべました。
このアレテーは健康や力強さや美しさが肉体の徳であるのと同じ意味で、あくまでも魂の卓越性でした。
魂の各部分に立脚した力の数々が、人間の自然に許された最高の訓練様式を介して
頂点まで磨き上げられたもの、これがアレテーです。
肉体の徳も魂の徳も、宇宙(コスモス)としてのその本質に従うなら、肉体と魂がその協同に基づいてはじめて成立します。
彼は「両部分のシンメトリー(調和)以外の何ものでもない」と言います。
ソクラテスは人間としての善すなわち徳(アレテー)は魂をより良くするものであり、徳を実践する者の人生は幸福だと言います。
魂を鍛えて道徳的気質(ギリシャ語でエートス)にまで仕上げる営みは、人間にとってそれ自体がまさに本性にかなった道であり、
これを通って全体世界の自然とも一致するという無上の喜びが実感できる、完全な幸福を手にできると考えます。
ソクラテスは人間の道徳的な在り方と、自然界の秩序がピタリと一致する、と深く感得していました。
彼は魂こそ、人間における最高価値の源泉なのだと体験的に感じ、「ひたすら魂に配慮するように」と訴えました。
これは魂に肉体を支配させることも意味していましたから、肉体が正しく魂に奉仕しようとすれば、
「健やかな肉体に健やかな魂が宿る」ことになります。ソクラテスは肉体を鍛えて健やかに保つようにと、弟子たちに説きました。
№975につづく
ソクラテスは「唯物論者たちは死は虚無に帰ることであり、すべての感覚の消失だというのであれば
夢一つ見ない熟睡した夜のようなものだといえる、あるいは冥府があって裁判を受けたり、
ホメロスやヘシオドス(ソクラテスよりも100年から200年前に亡くなった詩人)と交わったりできるなら、
どちらにしても幸福だ」と死後について考えていました。
このように考えることで、死を恐れることも裁判を受けることに屈することもなく、善き生を貫き通すことができるし、
善き生を貫き通した者は死に際しても幸福だと彼は考えます。彼は、魂と肉体は対立することなく両方を一まとめにして、
たった一つしかない人間的自然の異なる二つの側面という形で、あくまでも一体的に捉えます。
ソクラテスは、魂は肉体と対立するものではないし、精神をそなえているのは人間だけではない、
もしも精神が人間の思慮の中に座を占めるように、この自然のどこかにも座を占めているとすれば、
そうした自然は、原理的には少なくとも精神的な力をそなえていないわけにはいかない、と考えます。
すると肉体的自然はおのずと魂化され魂の上にも肉体的本質のいくらかが輝き戻るだろう、
魂は肉体と同じくこの宇宙の一部なのだと彼は考えます。
古代ギリシャの人々は徳(ギリシャ語でアレテー)という言葉から、勇気、節制、正義、敬虔などを思い浮かべました。
このアレテーは健康や力強さや美しさが肉体の徳であるのと同じ意味で、あくまでも魂の卓越性でした。
魂の各部分に立脚した力の数々が、人間の自然に許された最高の訓練様式を介して
頂点まで磨き上げられたもの、これがアレテーです。
肉体の徳も魂の徳も、宇宙(コスモス)としてのその本質に従うなら、肉体と魂がその協同に基づいてはじめて成立します。
彼は「両部分のシンメトリー(調和)以外の何ものでもない」と言います。
ソクラテスは人間としての善すなわち徳(アレテー)は魂をより良くするものであり、徳を実践する者の人生は幸福だと言います。
魂を鍛えて道徳的気質(ギリシャ語でエートス)にまで仕上げる営みは、人間にとってそれ自体がまさに本性にかなった道であり、
これを通って全体世界の自然とも一致するという無上の喜びが実感できる、完全な幸福を手にできると考えます。
ソクラテスは人間の道徳的な在り方と、自然界の秩序がピタリと一致する、と深く感得していました。
彼は魂こそ、人間における最高価値の源泉なのだと体験的に感じ、「ひたすら魂に配慮するように」と訴えました。
これは魂に肉体を支配させることも意味していましたから、肉体が正しく魂に奉仕しようとすれば、
「健やかな肉体に健やかな魂が宿る」ことになります。ソクラテスは肉体を鍛えて健やかに保つようにと、弟子たちに説きました。
№975につづく