心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

こんばんは 年末年始のお休みください

2013-12-29 00:32:39 | Weblog
今日、21時に仕事から帰宅して、ブログを書かなければ・・・
と思いつつ、いつの間にか時間が過ぎて、こんな時間になってしまいました。(+_+;;)
仕事がたて続けにあって、久しぶりの休みの日には、疲れて昼まで寝てしまい・・・
ブログの続きを書けないほどになってしまいました。
すみませんが、1月7日まで、お休みをいただき、
休みの間に、体調も、ブログの内容も見直して、立て直したいと思います。
いつもお読みいただいている皆様、一年間、お疲れ様でした。
よいお年をお迎えくださいませ。
・・・あ、年賀状もこれから書かなければ・・・(^^;;)
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第3章 光とともに №1002

2013-12-26 20:54:31 | Weblog
「私」は不滅の存在について瞑想を続けたことで、極度に集中した状態になり
絶対の叡智(ヌース)であるポイマンドレースと出会えて、会話をできたといいます。
ということは、不滅の存在について考えれば、そのような存在に出会えるということで、
思考したことは現実化するという力があることになります。
非常にスピリチュアルな『マスターの教え』(ジョン・マクドナルド著 飛鳥新社発行)という本には次のような文があります。
『心の中に、あるものごとや、状態、状況などをはっきりとした形でイメージし、
意識することは、それ自体がすでに現実なのです。
五感を通してあなたが経験するものは、現実化し、目に見える形になった心の中のイメージです。』
ウォルト・ディズニーは、『もしあなたが夢見る(イメージ出来る)ことが出来るなら、
必ずそれは実現できる』と言ったそうです。
イメージという言葉は『新明解国語辞典』によると、
『その言葉から実際の経験(人から聞いた話や書物から得た知識など)を基にして、
何らかの姿・形を思い浮かべること。また、その姿・形。』ということですから、
まだ頭の中で漠然と想像して思い描いている夢のような段階です。
このイメージがより具体性のあるものになるとビジュアル化?という言葉になり、
日本語で言えば心象化といえます。
『トランス・ヒマラヤ密教入門第4巻心理の実践』という本には
『心象化(Visualisation)は、「エネルギーは思考に従う」という秘教の法則を表す最初の段階である。
・・・心象化の力は創造的な想像力の形態建設の面である。・・・
この心象化の過程と想像力の活用は、想念形態の建設における最初の2つのステップである。』とあります。
そして同じ本の中の想念形態のところには、『人間はいつでも想念形態を組み立てている。
魂が諸体を築くときに行い、ロゴスが太陽系を創造するときに従い、惑星ロゴスがスキーム〔経綸・計画・機構〕を
組み立てるときに使うのと同じ方法に、人間は無意識のうちに従っている。』とあります。
意識の世界で思い描いたイメージが、想念形態という具体的なものになり、
想念形態が現実の物質世界で物理的な形態として現れることになります。
ということは、私たちが普段目にしているものはすべて、最初に心の内面世界で
意識の想像力によってイメージ化され、それに思考によるエネルギーが加わることで、
想念形態になり、物質世界で形態を持つ具体的なものになっているといえます。
私たちが現実に見たり感じたりして、体験しているこの物理的な物質形態の世界は
、意識内部の世界から生まれていることになります。
そして絶対の叡智や不滅の存在、あるいは魂や霊といったものも、
私たちが普段目にしている物理的で物質的な外側の世界ではなく、
身体感覚に拘束されない私たちの内面の意識の世界にこそ存在していると考えられます。
№1003につづく

おまけ?
『マスターの教え 富と知恵と成功をもたらす秘訣』 ジョン・マクドナルド著 飛鳥新社 発行
この本は薄い本です。126ページ しかありません。
内容はシンプルな物語なのに、
非常に奥の深い真理がシンプルに語られているように思います。
もし素直に、この本の通りに実行することができれば、
誰でも成功者になれるように感じます。
そして、この本の通りに実行することで成功できたとすれば、
たぶん、心の性質を完全に理解できたことになるように思います。
私には、無理。。。
何でもかんでも、理屈っぽく考える、この性格では素直に実行する前に、
あ~だ、こ~だ、と考えてしまい、、、
いつまでたっても実行できない。。。
成功者にはなれそうにない。。。(^^;;)
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第3章 光とともに №1001

2013-12-24 20:51:05 | Weblog
インターネットで「ポイマンドレース」について調べてみたところ、
マルシリオ・フィチーノのラテン語訳からジョン・エヴェラルドが英訳した
『神聖なるポイマンドレース17の書』(1650年、ロンドン)より、
西洋錬金術の伝統の中で重視され続けた第二の書「ポイマンドレース」の翻訳が見つかりました。
この翻訳には「かつてないほどに私の想いが《もの》へと強くかりたてられたとき、私の洞察は昂まっていった。
それはまるで…ひどく眠気を催したときや、食事のあと食欲が満たされたときや、重労働で疲れたときのように、
私のからだ全体の感覚はすっかり停止したのだった。」とあります。
たとえば思考力が特別に集中の度合いを高めることで、大変な重労働によって、
肉体の限界を超えそうになるほどに疲れ果てた状態と同じようになったとします。
このような肉体の状態を、肉体を構成している物質粒子のレベルで観察すると、
思考力が特別に集中の度合いを高めることで、肉体を構成しているすべての粒子に、
思考力という力が重労働をしたのと同じくらい加えられることになり、粒子の運動が極端に加速されて、
光速度に達しようとすると同時に、質量も無限大の重さになることと同じと考えられます。
もしこれが真実なら、思考力には物体を動かすだけの力があることになります。
『トランス・ヒマラヤ密教入門』という本を見ていると、「存在するものはすべてエネルギーである。」
「エネルギーによって、世界は作られる。そのエネルギーによって世界は進歩する。」
「エネルギーは思考に従い、順応する。」
「創造された世界には、活動するエネルギー以外のものは存在せず、すべての思考が
そのエネルギーのある面を方向付けるが、それらの面は常に、偉大な思考し方向づけるエネルギーの
影響領域内にあることを、心に留めておかなければならない。」
「思考の力によって霊が物質的な緒体を統御したとき初めて、主観的な生命がその正当な場所を占め、
内なる神は輝き、燃え立ち、そして形態は度外視される。」とあります。
これらの文章から考えて、極度に集中した思考力のエネルギーによって、物質粒子が加速され
光速度に達しようとして、からだ全体の重さも無限大になってしまうと、
感覚も身体機能もすっかり疲れ果てて停止したのかもしれません。
すると、外界を観察するための機能や感覚は停止するため、
外の世界から隔絶されると同時に、意識は物質形態から自由になり、自分の内面に向かうことになります。
№1002につづく
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第3章 光とともに №1000

2013-12-22 20:11:41 | Weblog
「ポイマンドレース」の中で主人公の「私」が体験したことを、一つひとつみていきます。
まず主人公の「私」が不滅の存在についての瞑想を続けていたある時、
「私」の思考力が特別に高まり、魂が身体感覚の拘束を脱することができたといいます。
この時の「私」の魂は、身体感覚の拘束を脱していますから、
身体の機能を使わないため肉眼で物を見ていない状態にあったと思います。
このような状況で「私」は絶対の叡智(ヌース)であるポイマンドレースに出会いました。
主人公の「私」は絶対の叡智であるポイマンドレースと会話をし、感覚的な光に充たされて
現実から離れた超越的な体験を、自分の内面に展開するヴィジョンとして自覚していました。
肉眼で物を見ない状態で感覚的な光に充たされ、超感覚的な世界が現出したということは、
物質世界の現実を離れた異次元世界の光の世界?へ行ったと考えられます。
光の世界があるとすれば、どんな世界なのでしょうか? 
この物質世界では、光の速さは光源や観測者の運動状態、光に加えられる力に関係なく常に速度は一定であることは、
アインシュタインの相対性理論(№367)によって証明されています。
どんなに加速させたり止めたりしようとしても常に一定の速度であり続け、エネルギーが高くなると
それに相当する質量を持ちますが、エネルギーの一番低い状態はゼロで、
そのため固有の質量を持たない粒子として、光子やニュートリノがあります。
このような粒子に対して、力を加えれば加速しますが、光速になることはなく、
加速されることでそのエネルギーは増大するものとして、電子や陽子、原子核、
そしてこれら基本粒子から構成されているすべての物体があります。
こうした粒子や物体は、静止しているときが一番エネルギーの低い状態で、
その時のエネルギーがその粒子あるいは物体の固有の質量になります。
その固有の質量は測定可能な量であり、プラスの実数となります。
現代物理学では、自然界に存在するすべての粒子は、この二つの粒子に分類されるといいます。
すべての物体を構成している基本粒子をどんなに加速させても、光速度になることはあり得ません。
物質を構成している基本粒子はどんなに加速させても光速度にならないということは、
エネルギー無限大の壁に囲まれていると考えられますから、
物質を構成している粒子が光子やニュートリノに変身?することはありえないことです。
ところが「私」は、瞑想中に思考力が特別に集中の度合いを高めたことで、魂が身体感覚の拘束を脱したと言います。
№1001につづく

ひとりごと
ブログを書き始めてから、2400日以上経ちました。
そして、とうとう№1000です。
でも、まだ、終わりが見えない・・・
そろそろ終わりにしたいなぁ~
と思っているのに、
延々続きそうな気配ばかりがしている


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第3章 光とともに №999

2013-12-20 20:34:31 | Weblog
「ポイマンドレース」のあらすじ
『神秘学入門』(高橋 巌 著 筑摩書房)には、「ポイマンドレース」の大筋の内容を、
7つに分けて整理しているのでそれも載せてみます。
『1.集中した瞑想の中で、神ポイマンドレースが現れ、光と闇の対比をヴィジョンとして見せる。
そしてこの光こそが、お前の認識しようと願っている神であり、私自身でもある絶対のヌースの姿だ、と知らせる。
2.次にコスモス(宇宙)が外の空間ではなく、内の空間に(なぜなら、これは「私」の見た内なるヴィジョンなのですから)、
出現する。真の宇宙は、内なる宇宙なのだ、と悟らされる。
3.次に、四大、つまり物質の世界が何処から生じたのか、という「私」の質問に対して、
それは神の「意志」の流出によるものだ、という答えが返ってくる。
そして流出の過程が、以下のように展開していく。
4.光であり、生命である神的ヌースが、子であるロゴス(言葉)の力をかりて、
デミウルゴス(造物主)という、質料の世界(物質界)を創造する役割を担う神的存在を生じさせると、
デミウルゴスは、ここで初めて外なる宇宙空間を、自分の内面世界に出現させ、それを7つの圏(天球)に分け、
その各々の圏の指導霊(グノーシスで言う「アイオン」)を生み出す。
5.この7つの指導霊は、それぞれ自分の圏を、地球という重い質料世界を取り巻く円周にし、その円周を回転させる。
6.中心には地と水から成る地球が形成され、そこに生物たちが生み出される。
人間だけが、質料(肉体)だけでなく、ヌースと同じ性質を持つ魂をも与えられて、
もっとも暗い物質世界の中に光明をもたらす使命を授けられている。
7.死後、肉体から解放されると、魂は7つの円周を一つひとつ突き抜けて、
第八の天界(もはや外界ではなく、内なる神界)の父にして母なる神のもとに帰り、
そこからふたたび地上の物質世界へ、神的な使命を担って降りてくる。
「私」は今、秘儀参入者としての使命を自覚する』
この「ポイマンドレース」の中で秘儀参入した人の体験には、
ギリシャやアンデス、日本などの世界中にある古代の神話や、キリスト教やヒンズー教などの宗教の教え、
現代物理学、そして神智学の教えなどと重なる部分が多くあるように私には感じられます。
現代物理学と宗教や古代神話は全く違う分野と思われますが、
たとえば波動という一つの言葉を別の側面から見ることで、光、音、振動、色など
別の言葉で表現できるのと同じように、究極の真理を様々な表現方法で表しているだけのように感じます。
№1000につづく

ひとりごと
ついに次回で1000回?
でも・・・
ここの所仕事が忙しくて、
なんだか、怪しい文章になっていたら、
お許しください
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第3章 光とともに №998

2013-12-18 20:28:23 | Weblog
古代の秘儀参入 続き
「地水火風」の四大は、何処から生じたのでしょうか。」そう「私」が聞きますと、
「神の意志からだ」、という答えが返ってきました。
そしてここから、ポイマンドレースの宇宙生成についての長い話が始まります。
―「神なるヌースは、父、というよりは、男女両性を具有している。
父なる神であり、母なる神である。光でもあり、生命でもあるこのヌースが、ロゴスの力で、
デミウルゴス(造物主)を生じさせると、デミウルゴスは、
さらに7つのアイオン(持続を意味する神の働き)もしくは支配者を造り出す。
この支配者たちは、外なる宇宙をそれぞれ7つの円周で包み、その円を回転させ、
ロゴスの力によって、外なる宇宙の運命を司る役割を果たすのだ。
下には地と水から成る質料の世界が沈み、ロゴスによって動物たちがそこに生み出された。
動物たちはロゴスによって生み出されたのに、そのロゴスを自分のものにすることができずにいる。
けれども、人間だけは、この質料の世界にあって、質料だけでなく、ロゴスをもさずけられており、
身体の故に死ぬべき存在でありながら、魂の故に不死なる存在でもあるのだ。
身体に捉われているときの人間の眼の前には、嫌悪をもよおす闇があり、
そこには湿潤なフュシスがうごめいている。
身体はそこから生じたのだ。そして身体からは、死が生じる。
お前が自分の身体を使い果たしたとき、お前の身体は質料の世界に帰る。
そのときお前の姿は、もはやどこにも見出すことができなくなる。
そしてその身体に発するさまざまな欲求も、ダイモーンに委ねられて、充足させる力を失う。
また身体の諸感覚は、ばらばらに分かれて、それぞれ自分の源へ戻っていく。
情熱や情欲は、ロゴスのないフュシスの中へ沈む。
こういう言葉をあとに残して、ポイマンドレースは姿を消していきます。
「私」はこう思わずにいられません。
―「私はポイマンドレースの慈しみを心に刻んだ。
望んだものはすべてかなえられた。
喜びがこみ上げてくる。
なぜなら、身体の眠りが魂の目覚めとなり肉眼を閉じることが真の開眼となり、
私の沈黙が孕(はら)むものとなり、言葉を発することが善行の実を結ぶこととなったのだから。
これが私におこったことなのである。」
こうして、仏教の経典と同じように、著者不明のヘレニズム時代のエジプトの
この聖典は、最後に「私」による神への賛美の言葉で終わっています。』
№999につづく
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第3章 光とともに №997

2013-12-16 19:59:26 | Weblog
古代の秘儀参入
ソクラテスやプラトンに限らず古代ギリシア哲学では、
繰り返し「秘儀」もしくは「密議」と呼ばれる霊界参入のプロセスが取り上げられているといいますが、
その内容を外に漏らすと死刑に処されたくらい、厳格に秘密を守ることが
秘儀参入をする人の義務だったといいますから、具体的な内容はわからないようです。
古代の秘儀参入の大筋をまとめた文章が、『神秘学入門』(高橋 巌 著 筑摩書房)という本にあります。
『紀元前3世紀から後3世紀のほぼ600年の間にエジプトで書かれた、といわれている『ヘルメス文書』は、
広い意味でのグノーシス系の古代エジプト哲学を代表する文献群ですが、その中の
「ポイマンドレース」(『ヘルメス文書』荒井献、柴田有訳 朝日出版社)は、
このような秘儀に参入した人の心の中の風景を忠実に再現した文章として読むことができます。
主人公の「私」は、不滅の存在についての瞑想を続けていました。
ある時、思考力が特別に集中の度合いを高め、魂が身体感覚の拘束を脱することができました。
そうすると、突然眼の前に、途方もなく巨大な人物が現れて、
「自分は絶対の叡智(ヌース)であるポイマンドレースである」と名乗り、
そして、「お前は一体何が知りたいのか」とたずねます。
「私」が「存在の本質を知り、神を認識したいのです」と答えますと、
ポイマンドレースは姿を変えて、そこに超感覚的な世界を現出させてみるのです。
たちまち、「私」の周囲も、「私」の内部も、すべてが一変し、感覚的な光に充たされて現れました。
その光景は、計り知れぬほどに美しく、喜ばしいものでした。
けれども、なおもその光景を見ていると、全体がまっくらな闇に代わりました。
そしてその闇の中には、うごめくものがありました。そこは、フュシスという、根源的な質料の世界でした。
この世界も、生命のエネルギーに充たされていて、今そこが熱く燃え上がりました。
そしてそこから火のような哀訴の叫びが発せられますと、先ほどの光の中から、
聖なるロゴス(言葉)がフュシスの中に流れ込みました。その結果、地水火風の四大が生じました。
そして火と風は上方へ立ち昇り、水と地は下に沈みました。ふたたびポインマンドレースの声が聞こえます。
―「あの光をよく憶えておきなさい。
あれは私であり、お前の神であるヌース(叡知)なのだから。
闇に現れた湿潤なフュシスより以前から存在している光なのだ。
そのヌースの光から出たロゴスは、神の子である。
今、お前が体験していることも、お前の中のこのロゴスによって可能になったのだ。」
「私」がさらに自分の内面に展開するヴィジョンを見ていると、光が無数の力から成り立っていることが分かってきました。
この光景こそが、外の世界ではなく、内の世界に展開する真のコスモス(宇宙)の姿なのだ、と悟りました。
その時、ポイマンドレースの声がさらに響いてきます。
―「お前は今、みずからのヌースの内に、コスモスの原型を見たのだ。
この原型は、無限の始めよりも以前から存在していた。」
№998につづく
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第3章 光とともに №996

2013-12-14 19:59:00 | Weblog
人間と神々の関係
この世の人間としての私は生まれて死ぬまでに様々な変化をしますし、
不完全ですから望ましくないことも行ってしまったりしますし、寿命があります。
一方で、あの世の神々は純粋で、永遠で、不死で、不変な存在ですから、人間とは対立する関係にあるといえます。
ですが繰り返して死の世界に赴いては、そこで神々と共にすごし、そして神々から神的なエネルギーを受けとって、
ふたたびこの世に戻ってくる輪廻転生があるということは、あの世とこの世、神々と人間は、
決して対立しあう関係にあるのではなく、神々がいて初めて人間はこの世に生まれてくることができますから、
神々によって人間は補われ、導かれているといえます。
人間が神々から神的なエネルギーを受け取ることで、この世に形態を持って生まれてくることができて、
物質形態を通して様々な表現を楽しみ、経験を通して意識が拡大し進化することができます。
この世で活動するためのエネルギーを、あの世で神々と共に過ごすことで受け取ることで、
輪廻転生を繰り返すことができ、経験が豊富になり意識も拡大し、進化が進めば神々の仲間に入ることもできます。
人間が神々のエネルギーで補われ、神々の教えに導かれているだけでなく、人間という存在を体験することで
初めて神々にまで進化ができますから、神々と人間は互いに補い合う関係にあるといえるのではないでしょうか。
神秘主義の根本的な特質である、umio mystica (ウミオ・ミスティカ、神秘的合一)と呼ばれる絶対者との合一体験は、
通常の自己からすれば絶対的に他なる者との合一のため、それを行う神秘家とは必然的に自己からの脱却、
あるいは自己という枠を突破する者のことを意味しているため、その体験の中で、
私たちが普段「自己」と信じているものは、絶対者の前に吸収されつくして無になり、
同時に絶対者は対象ではなくなり、それが真の自己の根拠になるといいます。
このような体験を自己の内面でするということは、真の自己の内面に神々と同じ性質のものを、
人間は本質的に持っているからこそ体験できると考えられます。物質形態としての自己から脱却することで、
ちょうど磁石が引き合うように、絶対者との合一ができるのだと思いますし、これが意識の進化による統合の過程なのだと思います。
これはまるで量子真空で一つの粒子と反粒子が生成され、この二つの粒子が出会うと互いに消滅し合っているのと同じようにも感じます。
プラスとマイナスが出会うことでゼロになるように、神がいなければ人間もいませんし、
人間がいなければ神もいないし、人間と絶対者の合一もないと思いますから、お互いは補い合う相補的な関係にあると思います。
№997につづく
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第3章 光とともに №995

2013-12-12 20:09:14 | Weblog
神秘主義と神秘家
プラトンは『パイドン』という本に、次のように書いています。
『われわれ人間は、これまでも、これからも、あの世へ行き、
純粋で、永遠で、不死で、不変な存在、つまり神々に出会うことができる。
なぜなら、われわれの魂は、そのような存在たちと同質なのだから。
したがって、われわれがこの世を生きる過程で、限りなく生命を消耗させられて、
生きていくことの意味が分からなくなってしまったとき、繰り返して死の世界に赴いては、
そこで神々と共にすごし、そして神々から神的なエネルギーを受けとって、ふたたびこの世に戻ってくる。
輪廻転生の過程は、魂にとって、必要な過程であり、ごく当然の過程なのだ。
物質的な環境だけに関心を向け、触れたり、見たり、聴いたり、食べたり、飲んだりする
肉体だけを真実だと考えてしまうと、魂の真実が見えなくなる。
しかし、自分たちギリシア人の文化の中には、すでに、この世を生きている間に、死後の世界へ赴き、
神々と共に過ごすことのできる一定の手続きがある。
「秘儀」と言われているものこそ、その手続きのことなのだが、
そのような方向で魂の認識を深める作業を「哲学」というのだ。』
こうして認識を深め「哲学」することや、「秘儀」を通して、この世を生きている間に、
死後の世界へ赴き、神々と共に過ごすことになるといいます。
ウィキペディア(Wikipedia フリー百科事典)によれば、神や最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在である絶対者を、
その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場を神秘主義といいます。
英語のmysticism などが神秘主義と訳されています。mysticism の語源は
ギリシャ語のmyein (眼や口を閉じるの意味)に由来するといいます。
神秘主義の根本的な特質は、umio mystica (ウミオ・ミスティカ、神秘的合一)と呼ばれる絶対者との合一体験にあります。
通常の自己からすれば絶対的に他なる者との合一ですから、それを行う神秘家とは
必然的に自己からの脱却、あるいは自己という枠を突破する者のことを意味します。
絶対者との合一は自分を脱しますから、いわゆる脱我(=エクスタシー)を体験しているといいます。
その体験の中で、私たちが普段「自己」と信じているものは、絶対者の前に吸収されつくして無になり、
同時に絶対者は対象ではなくなり、それが真の自己の根拠になるといいます。
このような「自己」の徹底的な死と復活といえる脱我的合一が、神秘体験の宗教的な核心となっているとウィキペディアにはあります。
№996につづく

ひとりごと
なぜかわからないけど、ウミオ・ミスティカ 
という言葉をインターネットで見た時、
以前に聞いたことがある、と思いました。
古代ギリシアの時代に、誰かが会話をしているのを
聞いていると、ウミオ・ミスティカと言っていたような気がするのです。
この人生では、一度も聞いたことがないのに、なぜか
古代ギリシャの時代に生きていて、聞いたことがあった、
その時は意味が分からなくて、
何のことだろう? 意味を知りたい・・・
と思っていたことを、ブログを書きながら思い出す・・・
何千年も昔の疑問が、今になって解決する・・・不思議だなあ
私自身が、ブログを書きながら学んでいる・・・不思議だなあ
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第3章 光とともに №994

2013-12-10 20:31:03 | Weblog
普遍の真理と認識
アトランティス時代の人々はほとんど考えることをしなかったようですが、
彼らの師匠たちから太陽によって象徴される至高の存在者である大師方を認めるように教えられたため、
彼らは山上に直立した巨石群の円を建立し、一種の太陽崇拝をつくったと『神智学大要 第5巻太陽系下』にあります。
私は小学校の歴史の授業で、先史時代の人々は山頂で太陽を礼拝するという習慣があった、
と教わったように思いますが、先史時代とはアトランティスの時代のことだったのかもしれません。
古代エジプトでは、『「吾は彼の光なり」と言い、
「その光にてこそ吾はあるなり」と人々に繰り返させた。
「彼の光こそ真(まこと)の人間なり。……光は到る処に秘められてあり。
岩の悉く(ことごとく)石の悉くの中にあり。……光こそ人々の生命なり。』(№989)
という内なる光の教えでした。
またペルシャの拝火教の教えも、
『火はあらゆる四大(地、水、火、風)の中でも最も純粋であり、
あらゆるものを浄めるが故に火をもって最も聖なるものの象徴とすべきを説いた。
火は太陽の中において具体的に現われ、目には見えないが心臓の中で燃えている。
それは熱であり、健康であり、力であり、その中においてかつそれによって万物は生命を得、動きを得ている、
と語り、いかにして万物の中に隠れたる火の存在を見るべきかを教えた。』(№984)ということで、火の教えでした。
そしてオルフェウスは、『あらゆる物には音があり、もしも人間が自分自身を調和の状態に保つならば、
聖なる調和が彼を通じて顕現し、全自然が歓喜する』ということを、歌と楽器の音によって教え(№990)ました。
彼の言う音は、波動でもあり、火から出る光も電磁波という波動でしたから、
オルフェウスの教える音は、波動で考えると光に通じるものがあると私は思います。
これらの教えはすべて、シャンバラから来られた大師匠によるものだと、
『神智学大要』にありますから、これらの教えはすべて普遍的な真理といえます。
これらの真理の教えが後の時代に伝わるなかで、エジプトやペルシャなどの神秘主義として
ピタゴラスやソクラテス、プラトンなどに手ほどきを与えたり、影響を与えたりして、
彼らの認識を深めることになり、哲学することで自己の本質と真の神についての
認識にまで到達する(№979)ことを求めるまでになりました。
認識をギリシャ語ではグノーシスといい、英語のknowの語源です。
自己の本質の認識(グノーシス)による内なる人間の神性の解放を、
思想や宗教によって行おうとするものにグノーシス主義があります。
ウィキペディア(Wikipedia フリー百科事典)には古代の宗教・思想の一つだとありますが、
認識を深め自己の本質と真の神についての認識にまで到達することは、とても重要なのだと思います。
以前意識について考えた時、意識とは、認識し、思考する心の働きでした(№275)。
マイトレーヤも認識について多くのことを語っています(№276~278)から、
意識の進化にとって重要なものですし、認識によって人生そのものも変わってきます。
№995につづく
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