心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

心と体を通して見えてきたもの №31

2007-07-05 20:52:04 | Weblog
14歳の頃おばあさんに呼ばれました。
おばあさんの家に行くと、家の裏で何かの祭壇を作っています。祭壇の隣では丸い石をいくつも集めてきて円形に置きその中で火を焚いていました。草を燃やしているようで独特の臭いと煙が出ています。
円形状の石の上には大鍋がのっています。中で何かが煮えているようですが蓋をしているので何が煮えているのかわかりません。
おばあさんが言います。
「おまえは今回この儀式に特別に選ばれたんだから喜びなさい」
「何の儀式?」
「特別な儀式さ」
具体的なことは教えてくれません。おばあさんは私が座る場所を指定し、私を座らせました。
私は何が始まろうとしているのか知りたくて、考えよう、おばあさんにもっと聞こうとするのですが
煙とその臭いを嗅ぐうちに頭の中がボーっとして考えられなくなります。
それから何かどろりとした液体をお椀に入れて持ってきました。
「おまえがこの儀式に参加するためには、これを飲まなくてはいけないよ」と言ってお椀を差し出します。
私は言われるままにそれを飲みました。頭が朦朧として、それがどんな味なのかもわかりません。
飲み終わると儀式が始まりました。私は座っていることもできなくなりました…。
その儀式の生贄として、私は祭壇に祭られ亡くなりました。おばあさんが私に飲ませたものは何なのかわかりませんが、劇薬のようです。私はただ朦朧とした意識の中で、おばあさんは本当は愛のある良い人なのだと信じていたようです。
ここでも私は、山岳部の行者だった時の信念を貫こうとしてこの人生を選びました。どんなひどいことをされても、人間の本性は愛であることを自らに試すかのように生まれ変わっています。
後日『解脱の真理』という本を読んでいて、ボン教という仏教伝来以前のチベットの宗教では、原始的精霊崇拝が行われ、たまには人間を生贄にすることもあったというのを知りました。しかし私のビジョン(心の中の映像)にはボン教の、しめ縄や経文を書いた旗を屋上などにかかげる「タルチョ」というものが見えません。おばあさんはボン教とは違うけれど原始的精霊崇拝で人間を生贄にする、似たようなものを信じていたのだと思いました。
№32につづく
コメント
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