心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1711

2018-08-30 20:56:08 | Weblog
ナンバー1711 2018.08.30 物質世界の「おのごろ島」の創造 
現代宇宙物理学で星が誕生するときの様子と、古事記の国生みのお話は、とても似ているようです。
銀河の中の希薄な水素でできた雲がいたるところに漂っています。
水素原子同士がくっついて水素分子をつくっている密度の高い所もあります。
このようなところには、ごくわずかですが、一酸化炭素やアンモニアなどの分子も存在していることから、分子雲と呼ばれています。
大きな分子雲では、数百光年に渡って雲が広がっています。
この分子雲の中には、分子雲コアといって特に高密度のところがいくつもできています。
分子雲コアの大きさは1光年程度で、質量は太陽の数倍から数十倍だといいます。
この分子雲コアのなかでもさらに高密度の領域が、近くで起こった超新星爆発などの影響でゆっくりと収縮し始めることがあり、これが星の誕生の始まりです。
超新星爆発が起こると、周囲の空間に振動が起こると思われます。
すると、その影響で分子雲コアの高密度の領域が収縮しはじめるのでしょうか。
水素とヘリウムの集まりでできた分子雲コアが、自らの重力によって収縮し集まり続けていくと、高温高密度になっていきます。
収縮を始めてから、原始星が生まれるまでに数十万年の時間がかかります。
この収縮の状態が1000万年も続いて、1000万度を超えると核融合反応が起きて恒星が誕生します。
星が誕生するには収縮がおこなわれますから、この場には引力も働いていることになります。
古事記の国生みの話では、矛先から塩水がしたたり落ちることで島ができましたが、このしたたり落ちる様子が、引力による収縮を表しているのでしょうか? 
何か神話と現代宇宙物理学の星の誕生に似たものを感じました。
また神智学の教える太陽ロゴスによる惑星の創造にも似ているようです。
太陽ロゴスご自身の中に、宇宙の天体の進化系全体のイメージを想念形態として出現させます。
惑星をつくる場に根本的な根源要素である質料を安定させると、太陽ロゴスは霊の力を注ぎこみます。
するとそこに、無数の小さな泡ができます。
この泡は、究極の質料の材料となるもので、最も細かな微細な質料です。
太陽ロゴスがある動きをすることで、あらゆる泡が一塊になって集まり、より小さな領域の中に圧縮し始めます。
圧縮がある段階に達すると、激しい電気作用を伴う渦巻き運動が起こります。
こうして太陽ロゴスは、多くの次元を持つ巨大な渦巻きをつくります。
これが星雲の原料です。
渦巻く塊の圧縮は、永遠ともいえるほどの長期間にわたって今も続いているといいます。
これは、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)によって、尽きることなくしたたり落ちる塩水のしずくが重なり合って積もって、「おのごろ島」ができた場面と似ているように思われます。
ナンバー1712につづく 

まだまだ暑い日が続きますね。
暑さで お疲れな方もいらっしゃるようですね。
私もその一人でしょうか?
せっかくの休みなのに、午前中はボーっとして
いつの間にかお昼になってます。

私はいろいろな場所にある、いろいろなお店で、
いろいろなものを売るという仕事をしてますが、
先日、この人もボーっとしてるなあ(^^;)
という人に会いました。
その日は、ロフトで働いていたのですが、
来店された女性が、私に近づいて
「ハンズメッセは?」と聞きました。
一瞬「?」と思った私、
「ハンズメッセはハンズでやってます。ここロフトです」
心の中で(だいじょーぶですか~?)・o・;
と思ったら、「あら、やだ・・・」と笑い始めたので、、、
あ、だいじょーぶだったみたい、とおもいました。
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第3章 光とともに ナンバー1710

2018-08-26 20:11:02 | Weblog
ナンバー1710 2018.08.26 物質世界の「おのごろ島」の創造 
『誰も教えてくれなかった日本神話』をもとに、国生みの話の続きです。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は尽きることなくしたたり落ちていく塩水のしずくを見つめていました。
気が付くと、塩水のしずくは重なり合って積もった島ができていました。
これが「おのごろ島」です。
「おのごろ島」とは、自ら転がる島、という意味です。
地球は自ら回転している島である、ということを古代のご先祖様はご存じだったのでしょうか。
別の日本の神話の解説書には、「産んだり造ったりした島ではなく、自らこり固まった島」と説明するものもあるそうです。
形がなく水母(くらげ)のように漂っている地に、天の沼矛を差し入れてかき回すと、そこに渦巻き運動が起こります。
そして天の沼矛を引き上げると、天の沼矛の先端からしたたり落ちる塩水のしずくが重なり積もって島ができますが、しずくが落ちれば、周囲に波紋が広がることになります。
これらのことから、振動や波動が周囲に広がることで、漂っていたものに形が現われることがわかります。
アイヌの人の神話にも、似たようなお話があるといいます。
「大地はもと、どろどろとして漂っていたが、神の命(みこと)をもって、セキレイが天降(あまくだ)ってきて、羽ではたき、足でふみ、尾でたたいていると、乾いた土があらわれて、水が海になった」というお話です。
そのためアイヌの人は、世界を漂う大地=モシリと呼ぶそうです。
水母(くらげ)のように漂っていた大地を、セキレイが羽ではたき、足でふみ、尾でたたくことで、漂っていた大地に振動が起こります。
すると、乾いた土が現われて水が海になるということは、セキレイが起こした振動によって水と土が混じってどろどろとしていた大地が、水だけの部分と乾いた土の部分に分かれたことになります。
世界が創造される過程には振動や波動が大きく関わっていることがわかります。
これは、現代物理学のスーパーストリング理論(超ひも理論)が考えている宇宙の創造と似ているように感じます。
スーパーストリング理論によれば、自然界のすべての物質は、粒子ではなく振動するただ1種類のひもからできていて、振動するひもが分割不可能な根源要素であり基本単位であると考えます。
振動するひもには1次元の長さがあり、質量を持ちますから、同時にエネルギーも持っていることになります。
ひもには張力があり、伸び縮みもしますし、固有の振動数がありますが、太さはありません。このひもは、伸び縮みして、様々なパターンの振動をします。
この振動のパターンが様々な粒子に対応しています。
ただ一種類のひもが振動によって、多種多様な粒子になります。
ナンバー1711 につづく
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第3章 光とともに ナンバー1709

2018-08-22 20:58:34 | Weblog
ナンバー1709 2018.08.22 物質世界の創造 
天地創造をおこなうための階層構造について考えるために、もう少し古事記のお話を見てみます。
高天原に現れた天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)の造化三神は、他の天の神々とともに、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)に対して「この漂える国を修(つく)り理(おさ)め固め成せ」と言って、天の沼矛をさずけられました。
ここにいたるまでに、すでに神々の住まれる天上界はできあがっていますから、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)によって、これから造られる世界は、現在私たちが暮らしている物質世界になります。その時に使われる物が、天の沼矛です。
『誰も教えてくれなかった日本神話』によれば、「“天沼矛”とは宝玉でかざった天来の尊い矛で、天地をつらぬく真理の矛と申せましょう。
水母のように漂い安定していない下界を、秩序ある姿になるようにおさめて安定させていくのが、“天沼矛”の使命なのです。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)二神は、混沌の国を、秩序ある国へと“修理固成す”ために大変なお働きを、これによってなさいます。」
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は高天原から雲に乗って、天浮橋(あめのうきはし)と呼ばれる天上界と地上界の通り道になる橋に着きます。
この天浮橋(あめのうきはし)は天空にかかる七色の虹の橋のことではないか、と言われているそうです。
ということは、この時点で下界の物質世界には、空気と水と光が存在していることになります。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、天浮橋(あめのうきはし)の上から下界を見下ろしましたが、乳色のモヤがもこもくと一面に広がっているばかりで何も見えません。
そこで伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、天の神から授かった天の沼矛を、さかさまに持ち直して乳色のもやの中へ差し入れて、ぐるりぐるりとかき回しました。
海の塩水が「こおろこおろ」と、かき回すたびに音を立てました。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が矛を引き上げると、矛はびしょぬれです。
その先端から塩水が、ぽたぽたと、したたり落ちました。
いつのまにか、モヤは薄れて消えていきました。
ナンバー1710につづく
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第3章 光とともに ナンバー1708

2018-08-18 20:59:16 | Weblog
ナンバー1708 2018.08.18 天地創造がおこなわれた場の構造 
旧約聖書の天地創造で、「「はじめに、神が天と地を創造した。
地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」といいますから、最初に天と地が造られたことがわかります。
そのあとに水が造られますが、そこは闇が広がっています。
神が『光よ。あれ』と仰せられたことで、光が現われますから、神の言葉にはものを創造する力があることもわかります。
神の発した言葉は空間を振動させて周囲に広がっていくと考えられます。
闇が大いなる水の上にありましたから、この闇に言葉の振動が広がり、光が現われたと思われます。
こうして最初に天と地と水と、闇には光が創造されたことがわかります。
古事記の場合は、高天原で天地創造が始まります。
高天原とはどんなところなのか、『誰も教えてくれなかった日本神話』に書かれている説明を要約してみます。
私たちが住んでいるこの物質世界は、目に見える縦、横、厚みの三次元世界です。
この目に見える三次元の物質世界とピタッと重なって、目には見えない天の上はるか高い所に、神様の世界の高天原が存在しています。
それは、目に見える世界の何億倍も、もっともっとはるかに広く深い、悠久の昔から未来永劫に続いていく幽遠長久の世界です。
高天原の三文字の言霊の説明によると、「高」は限りなく続いていく時間のシンボルであり、火のほのおが、まっすぐ上に燃え上がる象です。
「原」は、限りなく広がる空間であり、水が水平に流れる象です。
「天」は「高」と「原」が垂直に交わり、静かに回ることで現れる丸い円すなわち天だといいます。
この『誰も教えてくれなかった日本神話』の著者は、高天原の3文字に「水」と「ほのお」と「丸い円」の言霊を感じるといいます。
「高」に感じる「ほのお」は、霊的なものの象徴であれば、旧約聖書の神の霊と同じもののように感じられます。
そして「原」は「水」が水平に流れる象だといいます。神の霊が水の上を動くと、静かな水面に波紋が広がると思います。
この波紋の広がりは、カタカムナ文字が渦巻き状に回転するように表記されているのを連想します。
カタカムナの意味は、「カタ」という空間から、「カム」という生命エネルギーや魂が広がり出て来ているということです。
空間からエネルギーが出てくるということは、空っぽの空間にエネルギーが入っていたということですから、「カタ」という空間にはエネルギーが満ち溢れていると考えられます。
カタカムナ文字は渦巻き状に並べられて言葉になっています。
科学的に空間に回転運動が起こる現象として、ファラディーが考えた磁石の周囲の場に磁渦が起こるのにも似ているように思われます。
するとただ単に、水の上に闇が広がっているだけではなく、闇の空間や水の上に回転運動を起こすような構造が空間内部に存在していると思われます。
これは科学的にはファラディーやマクスウェルが考えていた、階層構造になっているエーテルと同じようにも思えます。
ナンバー1709につづく
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第3章 光とともに ナンバー1707

2018-08-14 22:08:42 | Weblog
ナンバー1707 2018.08.14 宇宙が開放系だからできた天地創造 
真空中にごくわずかにエネルギーがあるだけで、粒子と反粒子の仮想粒子が次々に生まれても、すぐに衝突して対消滅することが、繰り返されています。
この宇宙が誕生してから100億年以上が経過していますが、宇宙には無数の銀河があり、それぞれの銀河が高エネルギーを放射しています。
また現在もこの宇宙のどこかで新しい星が生まれたり、巨大な星が超新星爆発を起こしたあとブラックホールになってしまったりして、宇宙のあらゆる場所で、様々な現象が起きています。
このような様々な現象が起こるときには、現象を起こすためのエネルギーが必要ですから、必ずどこかからエネルギーが供給されていると考えられます。
これらのことから、宇宙は外部から完全に閉ざされて孤立した閉鎖系の存在ではなく、どこからかエネルギーを取り入れることで、様々なものの生成と消滅がおこなわれている開放系ということになります。
この宇宙が開放系であることは、古事記のお話の様々な場面からもわかります。
たとえば古事記の冒頭は、「天地初めてひらけし時」という言葉から始まりますが、天地がひらけるためには、必ずどこかからエネルギーが与えられる必要があります。
古事記のお話だけでなく、旧約聖書の天地創造もまた、「はじめに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。
闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
そのとき、『光よ。あれ』と仰せられた。
すると光ができた」とあります。
まず「神が天と地を創造した」ということは、天と地を創造するためのエネルギーを神がお持ちであったか、あるはどこかから創造のためのエネルギーを得ていることになります。
そして次に、「地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」といいますから、次に形のない地と闇と大いなる水が、神によって創造されたことになります。
そのためのエネルギーもまたどこかから得ていることになります。
神によって天と地が創造されたということは、神によって創造された天や地、水、闇といったものよりも先に、神の霊が存在していることもわかります。
そして、神が『光よ。あれ』と仰せられたことで光が創造されていますから、神の言葉によって光が創造されていることがわかります。
これらのことから天地創造によって物質世界が現れるよりも以前に、神と霊と言葉が存在していることがわかります。
旧約聖書の天地創造と古事記のお話の両方に共通している事柄を見ていると、万物が創造されるときに、順番があるようです。
ナンバー1708につづく


夏休みの時期ですね?
暑いですね、、熱中症には気をつけましょうね
忙しくて、ちょっとぼー、、、としたりして、
文章も怪しい所があったら、お許しください
え? いつも変? 怪しい? f(^^;;;;
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第3章 光とともに ナンバー1706

2018-08-10 20:56:28 | Weblog
ナンバー1706 2018.08.10 古事記と旧約聖書の天地創造 
ここまで古事記のお話を見ていると、この世界を創造した順番が、旧約聖書の天地創造にとてもよく似ているようです。
最初に誕生した造化三神は、実有と陰陽、あるいは電気と磁気の力による光とも考えられます。
旧約聖書の最初の場面では、「地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」といいます。
そして神が「光よ。あれ」と言うと光ができます。この闇のなかの水と神の霊は、造化三神を指しているように感じられます。
限りなく広がる闇の空間は高天原であり、水は神産巣日神(かみむすひのかみ)の陰であり、神の霊が高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の陽であり、これら二神を誕生させたのが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という量子ポテンシャルであり、神が「光よ。あれ」と言ったのも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なのかもしれません。
こうして、地に形がない状態の時、光が現われます。
造化三神がそろうことによって、光ができたのだと思います。
また古事記の中で大宇宙を創造するとき「国わかく浮きし脂のごとくして、海月(くらげ)なす漂える」という場面があります。
これは旧約聖書の最初の場面の、「地は形がなく、何もなかった。」に対応しているように思われます。
この場面について『誰も教えてくれなかった日本神話』(講談社発行)の説明によると、「国土がまだわかくて固まっていない。水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように、国土は海に漂っていた」とあります。
この「水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように」というのは、ホログラムのフィルムのようにも感じられます。
このホログラムが現われる以前に、すでに造化三神が現れることで、光は存在しています。
この光によって、二次元の何もない平面に三次元の立体的な世界が現われるのであれば、物理学的には相転移、スピリチュアルでは次元上昇?が起こり、万物の創造が始まるのかもしれません。
この「水に浮いた脂のようで、水母(くらげ)が海に漂うように」というのは何もない無の空間に、ごくわずかにエネルギーがあるだけで、陰と陽の仮想粒子が次々と生まれては消えている状態にも似ているようです。
ナンバー1707につづく
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第3章 光とともに ナンバー1705

2018-08-06 20:44:03 | Weblog
ナンバー1705 2018.08.06 古事記の神々による天地創造 
目に見えない造化三神の働きを一層はっきりと現すために、また神々が現われます。
まず、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が姿を変えて、国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくもぬのかみ)として現れました。
国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、海の中に悠然とかまえた広大な陸地を現そうと働きます。
天之常立神(あめのとこたちのかみ)と国之常立神(くにのとこたちのかみ)は一対で「天地、国土は限りなく永遠に続いていく」といいます。
豊雲野神(とよくもぬのかみ)は天空にさまざまな色、かたちを千変万化させて現れてくる雲や、豊かな実りをもたらす野原や草原などの、豊かな創造を現そうと働きます。
次にあらわれた宇比地邇神(うひぢにのかみ)と須比智邇神(すひぢにのかみ)は、生まれたばかりで大海に浮き漂っている、どぶどろや沈殿した砂土でできた大地を固めたり乾かしたりします。
次に、勢いよく角を出す生き物や草木が芽を出す力を蓄える神が現れます。
さらに広大な大地を固める神、りっぱな地面をつくり納まるべきところに収める神も現れます。
このようにして、この星の空と雲と大地、そして草木も育ち生き物も現れます。
これらはまるで、旧約聖書の天地創造のようです。
そして次に、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)によって、八百万の神々が誕生し、万物が創造されていきます。
この二人の神が現われるまでに空と雲と大地が造られ、草木が育ち生き物も誕生しています。
そのあとにさらに、国生みと八百万神が誕生するというのは、旧約聖書の最初に神による天地創造があった後に、アダムとイブの話が続いているのに似ているように思われます。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)の名前をよく見ると、ナギとナミが違うだけです。
ナギを国語辞典で調べてみると、「凪」がありました。意味としては「海と陸の温度が同じになった結果風が全くやむ(やんで波が穏やかになる)こと」とあります。
ナギ「凪」に対してナミは「波」だと思えましたので、これも調べてみました。
「風などによって揺れ動いた水面に高低が生じ、押しやるように次々に伝わって行く現象」とあります。
ナギもナミも、海の水が見せる状態の一つであり、海の水そのものから独立して存在できないことから、自然現象を神の名によって表しているように感じられます。
ナンバー1706につづく
 
毎日暑い日が続きますね。熱中症対策などをして、無事にこの夏を乗り切りましょう。
と、言いたくなる暑さです。x_x;
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第3章 光とともに ナンバー1704

2018-08-02 20:56:07 | Weblog
ナンバー1704 2018.08.02 古事記の神々とエネルギーの場 
造化三神に続いて現れる天之常立神(あめのとこたちのかみ)は、お姿をかくされたままではあっても、常にしっかりと立ち続ける神であり、慈愛を現すといいます。
そして、大宇宙の中に萌えあがるいのちを根っこから支えているといいます。
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)が、分子や原子などを生み出す慈愛の神であり、電子だとすれば、天之常立神(あめのとこたちのかみ)は、磁気の力だと思われます。
ファラディーは、帯電した物体や磁石から磁力線が渦状に出ていて、その力は周囲の空間に及んでいると考えて、電磁誘導を発見しています。
この渦状に広がっているものが「国若く浮きし脂の如くして、海月(くらげ)なす漂へる」状態だとすれば、磁場は天之常立神(あめのとこたちのかみ)が現れる場かもしれません。
この磁場があることで、電気が流れ始め、電磁波が生まれます。
電磁波や光子が現れるためには、電気と磁気の力が欠かせません。
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)がそろうことで、電磁波である光も生まれるのでしょうか。
現代物理学では、加速器の真空内部で、光速度近くにまで加速させた陽電子と電子を衝突させると、両方とも消えてしまうといいます。
そして、電子と陽電子が消えた後、「クオーク」と「反クオーク」、あるいは「ミュー粒子」と「反ミュー粒子」など、もとの電子と陽電子とはまったく別の種類の新しい粒子が誕生するといいます。
これらの新しい粒子は、もともと衝突前の電子と陽電子が持っていたエネルギーから生み出されたものだといいます。
同じように、造化三神と宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)の五柱の神である別天つ神は、大宇宙のありとあらゆるところに、無限のお姿となって現れている、はかりしれない霊妙な奥ふかい理法であるためでしょうか、このあと目に見えない造化三神の働きを一層はっきりと現すために、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもぬのかみ)といった12もの神々が次々に現われます。
天之常立神(あめのとこたちのかみ)と国之常立神(くにのとこたちのかみ)は一対で、「天地、国土は限りなく永遠に続いていく」のだといいます。
ナンバー1705につづく
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