ずずず、ずらーーーっと、並べてみました。
今回の作品で、不要になった台本です。
向こうにあるかたまりは、
ワークショップなどで、たまたま先に手に入れた、
最初の頃の台本です。
まず最初は、5枚くらい。
そこからだんだん分厚くなって、
渡されるたびに、前のが不要になって、
さすがに公演前の台本を、
メモにするのは忍びなく、
残していたら、
こんな量になりました。
いや、もっとあったんだけど、
どこかに散らかってしまったようで。
(やっぱりメモになってるか)
手前が、今使っている台本ですが、
これと比べると、
ここに至るまでの軌跡が、よくわかります。
最初の頃の台本とは、
登場人物の名前も、人数も、
もちろん、台詞も、
全然違っているんです。
今も、実は、まだ完成してなくて、
我々としては、毎日、
ホンができてくるのを、
餌を待つひな鳥のように待っているのですが(笑)
これがねぇ、なかなかねぇ。
ぱらり、ぱらり、と、
1、2枚ずつ、登場してきます。
時には、進まないまま、
前の部分の直しがあったりして、
2、3歩進んじゃ、また1歩下がる、って状態
たとえば、1字だけ、取ってあったりするんですね~。
「~かもしれんね」
が、
「~かもしれん」
たったこれだけ?
と言えば、たったこれだけです。
そう、たったこれだけ。
でもね、
その、たった1字で、
ニュアンスがまるっきり変わるんです。
そして、
「ああ、こういうことなのね」
・・・と、その心理が納得できるのです。
数文字が増えたと思ったら削られて、
しばらくすると、少し違う表現でまた現れる、
そんな箇所もいくつか・・・。
もちろん、作家なんですから、
推敲は当たり前です。
いや、作家でなくても、プロの物書きは、
あり得ないほど推敲を重ねます。
ただ、その推敲の変遷というか、軌跡に、
その台詞に対するこだわりの深さ、
その作品に対する、1字もゆるがせにしない思い、
そういったものを感じて、感動しました。
テキトーに台本を読んで、勝手に違う台詞を喋られたら、
そりゃぁ、許せないだろうなぁ。
といっても、怒ったりはしない人だけど。
この台本の山を見て、
珍しく真面目に考えちゃいました。
こういう、真摯さを感じるから、
私は久間作品が好きなんだろうな。
っていうか、
本来、作家って、
これじゃなきゃいけないはずなんだよね。
だって、キャスト・スタッフたち、何十人もの人間が、
その本に命を吹き込むべく、長い時間をかけるんだから。
なのにさ・・・、
と、と、と、
これ以上書くと、余計なことを言いそうなので、
この話はここでやめておきます(笑)
ちなみに、このいらなくなった台本ですが、
ちゃんと第二の人生を歩んでいます。
私が、小道具で、たくさんの干物を使うんですが、
その干物代わりに、
アジの開きならぬ、台本の開き(笑)
あ、もちろん、本番では、
ちゃんとした小道具を出しますよ
東京ストーリテラー・4月公演
「凛として」
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