今日3月9日は父の8回目の命日でした。
父は、胃がんを患い、手術をしたちょうど一年後に亡くなりました。その時、娘羊はまだ3才になったばかり。息子羊は一歳になる前でした。
父が最初に手術した時、私のおなかには息子がいて、大きいお腹で介護をし、父が退院してからは、娘羊を連れて毎日実家に通い、世話をしていました。
退院してすぐに息子を出産。
実家では、生まれたての赤子を見ながら、病人の世話、娘の育児。
母はフルタイムで働いていたので、休めず、きつい産後でした。しばらくして、無理がたたったのか、出血がひどくなり、私は自宅に戻りました。その方が休めたのです。
半年もすると、父は自力で運転ができなくなり、通院に私が付き添うようになりました。父と、子供を二人とも車に乗せて、病院へ。
最後の頃は、歩けない父を連れていくのが大変でした。車になんとか乗せ、病院で車いすに乗せて押しますが、うちの子どもたちをどうしたらいいのだろう・・・。
すると、もうすぐ3才になる娘が、息子が乗った乳母車を押してついてきてくれました。本当にそんな風だったのです。
ぎりぎりまで、自宅で介護していました。入院してからは、毎日、お見舞いと付添。これも子ども2人を連れてです。子供にとって病院は危ないところなんて、わかってはいても、それよりも父を見る方が優先でした。息子を父のベットに一緒に寝かせ、娘におやつを食べさせながら、付き添っていました。
雨のお見舞いの日、先に病院通用口で子どもたちを下ろし、遠くの駐車場まで車を止めに行く時、娘に、弟を見ててね、と頼んでいきました。
私が車を置き、急いで戻ると、娘が息子をあやしながら、じっと、ガラス越しに外を見て立っていました。こんな事、この娘でなかったら、できるはずがない、と、思いました。
親の大変さを身近で誰よりもわかっていた娘でした。3才の娘がこれほどに助けになろうとは。
父は、入院して1週間で亡くなりました。私たちの負担にならないためとでも言うように。
命日には、こんな事をしんみりと思いだすのです。
お墓参りに行くと、父を偲ぶかのように、お寺の梅の花が満開でした。
お父さん、亡くなった時には2人だけだった孫も、今はなんと7人に増えたんだよ。
墓に手を合わせながら、心の中で語りかけました。
その孫たちは、こんな風に、仲良く遊んでおります。その娘も、今は11才。
専業主婦を決め込んでいた私もついに仕事につき、毎日がんばっているし、みな元気ですよ。
また、来るからね。
やはり、その時は必死だったんですね。今思うと、あそこまでよくできたと思うのです。ですが、それでも、亡くなってから、もっといろいろしてあげたかったとか、悔やむことが多いです。
それが今の介護に生かされているようなところがあります。
良く乗り越えていらっしゃいましたね。