自称「一般的な会社員」

どこにでもいる、一般的な会社員の日常

4月7日

2011-04-07 | Weblog
これからしばらくの間、本製品の分量は不謹慎77%、真面目(遺伝子組み換えでない)15%、魔法のことば3%、酸化防止剤2%、その他成分4%となっております。バファ○ンと異なり、優しさは入っておりませんので、不謹慎に対するアレルギー体質の方は閲覧をご遠慮いただくことをお勧めいたします。微量な放射性物質を含む恐れがありますが、ただちに影響が出るレベルではございません。また、本作品はフィクションです。実在する人物、団体、名称等とは一切関係ございません。

ただちに影響が出ない=ゆくゆくはダメかもしれないってことだよね。これだけ言っておけばクレームも来ないよね。好き勝手やっちゃっていいよね。



私は東北沖地震のときは、ヤージーと埼玉でゴルフをしていたわけです。そのおかげで帰宅難民になることはありませんでした。また、都内に引越していたため、計画停電も受けておりません。正直、今回の震災は遠いところで起こった出来事で、その影響で生活に支障が出ている程度でしかなかったのです。

そんな中で一緒にゴルフをしていたヤージーが、被災地に向かいました。彼は某公務員ですから、仕事として行くのは当然かもしれません。それでも私にとっては大きなショックでした。渋滞に巻き込まれながら、カーナビのテレビで津波をリアルタイムで一緒に見ていたヤツが、その津波が起こっていた場所に行くんですよ。人が波にさらわれるところも見たってーのに。同い年の人が『仕事』ってだけで、遺体がゴロゴロ転がっている場所へ行くんですよ。まぁ、私に連絡があったときには既に一度行って帰ってきたところでしたがね。

『オレも何かしなきゃならんなー、ポイっと給料丸々寄付でもしてみようかなー』なんて思っていたら、会社で被災地支援者の募集が発表されました。ウチの会社は携帯業界の片隅に存在しておりますので、通信がダメならオレたちで復旧しに行けばいいじゃない!と考えた御様子。ここでもスゲー悩んだよね。私の業務はコンテンツ側のディレクションであって、通信系の技術なんて小規模のサーバシステムを組める程度しかありません。コンピュータ用の知識が携帯に流用できるのかもわからない。大体、オレみたいなひょろいのが行って、本当に役に立つの?足手まといにならないか?半日、本当に悩んだ。夜のおかずとか、ノートパソコンとか、そういうのとは比べ物にならないくらい悩んだ。

悩んだ結果、行くことにしたわけです。業務も大して立て込んでなかったし、私より体力が無いであろうお年寄りや子どもが頑張っているし、人事部に『お前らに技術は期待していない』って言われたし。何より、ヤージーが頑張ってんのに、助けに行きたくても行けない人がいるのに、動けるオレがボーっとしてていいわけがないと思ったし。

手を挙げたのはいいけど、ここからが大変。ボランティアなんて行ったことないし、この時期に北国なんてスキーのとき以外に行ったことないから、何を準備すればいいのかさっぱりわからない。とりあえず寒かろうと思いまして、冬服の買い込み。近くのユニクロに突撃してみたよ。え?シルキードライって何?既に品揃えは夏物に変わりつつありましたよ。オレのヒートテック…。ネックウォーマーとか欲しかったんだけど、仕方がないので下着と厚手の靴下だけ補充。寒さ対策といえばホッカイロだろ!と薬局に行くと、全然置いてない。ホッカイロだけじゃなくて、全体的に品薄な感じ。カロリーメイトもなければウィダーインゼリーも無い。ガソリンや水もそうだけど、間違いなく東京人はアホだ。GSの人から聞いたけど、並んでいるのは大半が半分以上残っている人だってさ。必要な人に行き渡らず、いい迷惑だ。食事は基本的に会社が輸送してくれるらしいけど、何が起こるかわからんので用意してくれと言われていたので、何件もはしごしてホッカイロや非常食を入手。水は諦めた。

取捨選択したつもりでも、荷物はかなり多い。大きなカバンを持っていないのもあるけど。結局持っていったのは、2日分の着替え、1週間分の下着、長靴、毛糸の靴下(長靴用)、バイク用グローブ、非常食、携帯充電器、充電池、懐中電灯+ラジオ、甘味、タオル等等。もうパンパンやで!被災地へは業務終了後に直行なので、このパンパンなカバンで通勤しなければならない。計画停電の影響で、電車は超満員。そんな中でパンパンなカバンを抱えたヤツが乗り込んでくるんですよ。そりゃみんな嫌がりますよね。私だって白い目で見るもん。どんな羞恥プレイだよ。因みに、同僚たちは仕事を抜け出して荷物を取りに帰ったらしい。ずるい。

出発当日の業務を終え、事前レクリエーションを受ける。ここで目的地が宮城県と判明。観光バスに乗り込んでいざ出発。なんだろう、観光バスでテレビを見ながら移動していると、合宿にでも行くみたいな雰囲気だ。休憩を挟みつつ、東北道を北上。徐々に一般車両が減っていく。福島のPAで休憩したときは、周りは緊急車両とトラックのみ。小さいPAにひしめくように停まっている。緊急車両は救援に、トラックは救援物資を運びに行くんだろうな。さらに北上すると、もうPAに入れない。トラックが多すぎて。時刻は丑三つ時だから、夜が明けるまで休憩しようというドライバーが多いんでしょうね。これだけの人たちが被災地のために働いていると思うと、ちょっと感動した反面、それだけやばいんだと自覚させられる。考えてみればトラックや、我々のバスの運ちゃんも、好き好んで放射能が危険な東北地方に行きたいとは思わないよね。彼らの職業意識には頭が下がるわ…。そんな緊張感の中で恐縮ですが、もう腰と首が痛くて…。前の席の人はガンガンに座席倒してきて邪魔だし。あらゆる体勢を試した結果、横向きの体育座りが一番楽であることが判明。それでもケツと首は痛いけどな。

夜明け前に宿泊地に到着。これから説明を受けて活動。なのですが、長くなったので次の日記へ。